古座川町

古座川町

[1] 古座川町 (こざがわちょう)

33.53199 135.814999

Webページ

[3] 古座川町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%BA%A7%E5%B7%9D%E7%94%BA

古座川町(こざがわちょう)は、和歌山県東牟婁郡にある町。紀伊半島南方の山間部に位置する町で、古座川材を産すなど林業も盛んな町である。 町域面積は、2005年5月1日に田辺市が日高郡の龍神村、西牟婁郡の中辺路町と大塔村、東牟婁郡の本宮町と合併し、新しい田辺市になるまでは和歌山県下で最大だった。

[4] 道路レポート 林道樫山小匠線, , http://yamaiga.com/road/kodakumi/main13.html

2014/3/27 11:38 【現在地】

白洞への約20分間の寄り道を終えて、支線と本線の分岐地点に戻ってきた。

これからまた小匠川沿いの本線を進む。

目的地樫山まで、もう残り推定800mほど!

いったい樫山はどんな場所なのだろう? 特異な道の終着点に、私はどんな景色を期待して良いのか。

なお、現在はそうではなくなっているが、この道が開通した当時、車の場合はこの道以外で辿りつけない集落だった。

そしてこの道は那智勝浦町の小匠集落から始まっていたが、樫山は古座川町の集落であって、樫山集落の住民が自分の町の他の集落へ出るためには必ず隣町を経由する必要があるという、そんな不便な状況がほぼ無人になるまで続いていたと見られている。

本線を上流へ走り始めてすぐ、隣の小匠川がこれまでにない怒濤の風景を見せていた。

谷の両側は屏風のように切り立った黒い崖に狭められ、その底には未だ日射しが届いていない。

小匠川の全水量が幅2mに満たない岩の隙間に収斂する部分を核として、その前後50mほどが白い飛沫と青黒い深流の鬩ぎ合う怒濤の水流世界と化していた。

小匠峡などという名前はどこにもないが、そんな風に名付けて地図に書き記したくなるような素晴らしい風光である。

水勢の極めて激しい狭窄部の上流端辺り。

道もこの堅牢なコンクリート擁壁でなければ、数年で完全に削り取られて消滅してしまいそうだった。

思えばこの路面の鋪装といい、コンクリートによる鉄壁の擁壁といい、いずれも「出合橋」辺りから急に始まったものだ。その変化の理由は、単にこの区間の完成が新しかったからとも考えられるが、別の可能性として、出合橋からこちら側は樫山集落を擁する古座川町の区域だからというのも考えられる。つまり、古座川町は樫山の住民のために本腰を入れて道を整備したが、那智勝浦町はほぼ隣町の住民だけが利用する道の整備にあまり熱心でなかったかも知れない。

「道路法」は、市町村道に限って、市町村の外にも自らの市町村道を指定して整備できることを定めている。例えば、A村の隣にB村があり、B村に鉄道の駅が開業したとする。A村はB村に出来た駅へ通じる道を整備したいが、B村はその道をあまり整備したいとは思わないかも知れない。そんな場合を想定し、AB両村の協議のうえで、B村にA村の村道を指定たり、A村の予算で整備したりが出来るの

[20] 道路レポート 和歌山県道228号高瀬古座停車場線 月野瀬不通区, , http://yamaiga.com/road/wpr228/main.html

【周辺図(マピオン)】

和歌山県道228号高瀬古座停車場線は、紀伊半島の南端に近い和歌山県古座川町と串本町を結……ぼうとしている、推定全長約6kmの短い一般県道である。

路線の概要は右図を見て頂きたいが、古座川町の月野瀬にある起点から串本町のJR紀勢本線古座駅前の終点まで、全線が古座川に沿っている。

起点も終点も県道38号すさみ古座線との交差点になっており、同県道とは古座川を挟んで鏡の関係にあるかのようだ。

しかし悲しいかなこの県道、交通量が比較的多い東半分では、自分より路線番号が若い県道との重用区間が長くて、単独区間は僅かである。

そして、ようやくまとまった単独区間になるはずだった西半分には、開通区間よりも長い未開通区間が存在しており、通り抜け不可能である。

推定全長約6kmの内訳は、開通済みの単独区間1.5km、開通済みの重用区間1.7km、不通区間2.8kmとなる。こんなんで真っ当な存在感をアピールしろというのは無理な話であり、いわゆる“不遇路線”というやつだろう。

これが地理院地図に見る不通区間の全貌である。

地理院地図では古座川町高瀬から串本町古田付近に至る不通区間に、道は一切描かれていない。

しかも、川岸の地形はかなり険しそうに見える。

さすがに不通区間内に道が存在しないならばどうにもならないが、描かれていないだけで、実は道があるという可能性に期待したい。

というわけで、県道228号の起点から探索をスタートしよう。

2014/3/27 14:45 【現在地】

やって参りました、起点です。

古座川沿いの「古座街道」こと県道38号は、古座川流域の交通量を集めて海沿いの都市部へと往来させる重要路線である。

だが、そこから分かれる県道228号に対しては、本当に最低限度の案内しかされていなかった。

ツタに絡まれてよく見えない分岐用のミニヘキサが、本当に控えめに置かれているだけ。

早速右折して探索を開始する。

探索の足は、もちろんいつも通りの自転車だ。

不通区間で分断されている県道228号の起点側には、わずか300mしか道が描かれていない。

そしてこの300mの半分を担当するのが、昭和56(1981)年竣工という高瀬橋だ。

古い地形図や「角川日本地名辞典」によると、先代の高瀬橋は昭和34(1959)年に現在地の少し上流に架けられていたらし

[21] 和歌山県道228号高瀬古座停車場線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%93228%E5%8F%B7%E9%AB%98%E7%80%AC%E5%8F%A4%E5%BA%A7%E5%81%9C%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E7%B7%9A

概要[編集]

路線データ[編集]

陸上距離:3.9km(分断区間を除く)

起点:和歌山県東牟婁郡古座川町月野瀬(高瀬口交差点=和歌山県道38号すさみ古座線)

終点:和歌山県東牟婁郡串本町西向(JR古座駅前交差点=和歌山県道38号すさみ古座線)

地理[編集]

通過する自治体[編集]

和歌山県

東牟婁郡

古座川町

串本町

接続する路線[編集]

和歌山県道38号すさみ古座線

和歌山県道227号田原古座線

関連項目[編集]

和歌山県の県道一覧

[22] 和歌山県道38号すさみ古座線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9338%E5%8F%B7%E3%81%99%E3%81%95%E3%81%BF%E5%8F%A4%E5%BA%A7%E7%B7%9A

和歌山県道38号すさみ古座線(わかやまけんどう38ごう すさみこざせん)は、和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見地内(国道42号との交差点)を起点に、和歌山県東牟婁郡串本町西向地内(国道42号との交差点)に至る主要地方道である。別名「古座街道」「周参見街道」とも呼ばれる。

路線状況[編集]

周参見川沿い区間(本家平・小河内(おかうち)交差点間、約5km)は、見通しが悪く急坂・急カーブが続く離合困難で狭隘な1車線区間であり、さらに夜間は野生動物の飛び出しもあるので、昼夜を問わず走行には注意が必要である。

山間部に入り込むにつれて道が狭くなるが、未開通区間のある和歌山県道228号高瀬古座停車場線の迂回路としての役割もある。

重複区間[編集]

和歌山県東牟婁郡古座川町添野川(そいのがわ)地内・和歌山県古座川町一雨(いちぶり)地内間 (国道371号)

地理[編集]

通過する自治体[編集]

西牟婁郡

すさみ町

東牟婁郡

古座川町

串本町

主な接続路線[編集]

すさみ町

国道42号

和歌山県道36号上富田すさみ線

和歌山県道222号城すさみ線

和歌山県道224号佐本深谷三尾川線

和歌山県道225号大附見老津停車場線

古座川町

国道371号

和歌山県道39号串本古座川線(国道371号との重複区間内)

和歌山県道43号那智勝浦古座川線

和歌山県道227号田原古座線

和歌山県道229号古座川熊野川線(国道371号との重複区間内)

串本町

国道42号

和歌山県道228号高瀬古座停車場線

関連項目[編集]

和歌山県の県道一覧

[23] wr038-350, , http://road.uroneko.com/wr038-351.htm

●概況

和歌山県道すさみ古座線は、和歌山県西牟婁郡すさみ町と東牟婁郡串本町(旧:東牟婁郡古座町)を結ぶ主要地方道。海岸沿いに進むR42に対して山中を通るのがr38。

整備・改良の進む県道であるが、まだ未整備の狭路区間があり、ローカル県道区間も残っている。

[24] ☆ 岩門 ☆|癒しの和歌山, , http://ameblo.jp/968-910/entry-10683051288.html

12:55ごろ

「石門」バス停です。

ここにもクジラの絵が描かれています。(‐^▽^‐)

バス停のそばに岩門(せきもん)があります。

麻巳子たちは 燈明崎

からこの岩門を見にやってきました。

坂を下った漁港そばで、国道240号線沿いになのですぐ分かりました。

岩門(せきもん)の説明板がありました。

『古来、和田の岩屋とか和田の岩門(せきもん)と呼ばれていた。

紀伊風土続風土記には「和田の岩穴 村の端磯辺にあり。山を切抜きて門の形をなす。内に入れば村居に適せり。和田氏住居せし所といふ。」

と記載されている。(和田氏とは、太地古式捕鯨の創始者のこと。)

和田氏は、この石門の内側に4,5千坪もある屋敷をもち、のちにここを和田の東屋敷と呼んだ。』

鎌倉時代の武将・朝比奈三郎が北條氏に鎌倉を追われた後、この岩門の内側に居を構えたと伝えられているそうです。

また、和田家の通用口だったようですが、現在は屋敷は無く、この向こうには住宅が密集していました。

岩門は素彫りのトンネルかと思ったら、風化作用で自然にできた岩穴なんですって。\(゜□゜)/

内部は崩落防止のために、今はコンクリートで補強されています。

[25] 道路レポート 和歌山県道213号 白浜久木線, , http://yamaiga.com/road/wpr213/main8.html

今回の探索を通じて印象に残ったもののワン・ツーを挙げるとすれば、序盤に登場しその後の異様な展開の走りとなった 【通告の看板】 と、終盤に登場して見事に有終の美を与えてくれた “隧道” (右写真)であろう。

そんなわけだから、帰宅後に行った机上調査においても、現地探索では竣工年はおろか名称さえ明らかにならなかった“隧道”について重点的に調べた。

この項でその成果を紹介する。

古いトンネルについて調べたいとき、大抵私が最初にあたってみるのは、 『道路トンネル大鑑』 (昭和43(1968)年/土木界通信社)巻末の「隧道リスト」である。もはやお馴染みだろう。

『大鑑』は、現在では廃止されてしまった多くのトンネルが現役で頑張っていた昭和40年頃の資料という点で、比肩するもののない優れた資料なのであるが、大きな弱点がある。

それは、都道府県道以上のトンネルしか記録していないということだ。

“久木の隧道”(仮称)は、現在でこそ県道に指定されているが、果たして昭和40年当時にも県道であったのだろうかという疑問(不安)があった。

さて実際に『大鑑』の「隧道リスト」を開いてみる。

右図は和歌山県の部の一部である。このような型式でトンネルの各種データが並んでいる。

図中の一番左が路線名欄であるが、案の定、「白浜久木線」の名は見られなかった。

考えられるのは、昭和40年当時はこの県道が存在しなかったか、隧道が存在しなかったかということだが、前者の方が遙かに可能性は高いだろう。

早くもこの資料では手詰まりになったかと思われた。

実際、ここで一旦“隧道”についての調査をストップし、成果を本編後段で紹介するが、庄川越という道全体の歴史調査を進めることになった。

だが、その過程のなかで幸運にも私は、ふたたび『大鑑』に戻ってくる事が出来たのだった。

庄川越の歴史調査の結果、 昭和40年当時この道が、一般県道「三尾川紀伊富田停車場線」に認定されていた ことが判明したのである。

ピコーン! この路線名ならば、『大鑑』に載っていたぞ!

右図の赤線のところだ!! →

路線名: 三尾川紀伊富田停車場線 トンネル名: 〃 個所名: 日置川町久木 延長: 3.9m 車道幅員: 2.1m 限界高: 2.7m 竣工年度: (空 欄) 素掘,

履歴

[27] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054565560688

メモ