2011/9/28 15:08 【現在地】
「どうだ? 晴れの日の“天空街道”も良かっただろ?」
…この声は勿論、幻想。
だが、そんな道の声が聞こえてもいいくらい、私は今日の塩那道路を深く楽しんでいた。
今は、もう間もなく“折り返し地点”であり、再度の延長はしないと決めていたので、前途に対する不安も解消された状態である。
今回、このようにリラックスして、時間にほとんど縛られず“天空街道”と過ごせたことは、本当に幸運なことであり、また我ながら優れた決断をしたとも思った。
最初からこうする(山中泊する)つもりで夜営道具を準備して臨んでいたとしたら、荷物の重さのために“工事用道路”で大幅に時間をロスし、“天空街道”ではこんなに時間を使うことが出来なかっただろう。
全ては結果論だが、“日帰り”のつもりで“工事用道路”に挑み、“天空街道”で“鍵の開いた小屋”に出迎えられたうえで“夜営を決断する”という、今回のこの流れが、私と塩那道路の間に得難い幸福な時間をもたらしてくれた。
終宴に向かう、“天空の道”。
“天空街道”の終わりを目前として、道は堰を破って流れ落ちる水のように下り始めた。
その下りの先には、遠近感を圧縮した迫力で突き上がるこの主稜線の最高峰、日留賀岳の威容があった。
だが、塩那道路がこの主稜線を蹂躙するのは、もうオシマイ。次の上りには付き合わないし、付き合えない。
この唐突な急坂の周辺は、パイロット道路ならではの荒々しい風景を見せていた、
大小の落石が路上に積み重なり、これまでの区間では“最も廃道に近い”と思った。
それはこの道の決して遠くない“未来”の風景、その先取りなのだろう。
ここに散らかっているのは、もう2度と退かされることのない落石なのかもしれない。
15:12 【現在地】
道の荒れ方に気を取られ、うっかり素通りしかけたが、振り返り際にぎりぎりで看板の存在に気付いた。
「 つらら岩 」の看板地点はここだった。
この看板は6年前から全く変化した様子はない。
そして、相変わらず「つらら岩」というのがどの岩なのかは、分からないままだった。
とはいえ、こうして所々に地名が付けてあることは、この道が単なる林道などではなく、訪れる人に愛着を持たれる観光道路として生きるための工夫だったのだろう。
少しくらい無理矢理であっても、とにか