第一久頭合隧道

第一久頭合隧道

[1] 飯田線第一久頭合隧道

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[2] 廃線レポート 飯田線旧線 旧第一久頭合隧道, , http://yamaiga.com/rail/iida_misakubo/main.html

あの夕暮れまで続いた激戦のあと、佐久間駅に降り立った私は手負いのチャリを車に収め、空腹を満たすべく移動を開始した。

佐久間にはおそらくコンビニというモノはなく、閉店間際の小さなマーケットで買い込んだ魚肉ソーセージと塩焼き鳥の缶詰をおかずに、車に積んであるガスコンロで作ったカップラを主食にするという、侘びしい夕餉をとった。

それから午後8時頃までに車で水窪付近へ移動してから、翌朝の探索を考えて飯田線の向市場駅前を車泊場所に定めた。

上の写真は、その向市場駅だ。

今度は右の地図を見てもらいたい。

JR飯田線は、国鉄時代の昭和30年に大規模な路線付け替えを経験している。

電源開発株式会社による佐久間ダム建設によるもので、中部天竜〜大嵐間の13.3kmを水窪川沿いに迂回する新線(17.3km)へ切り替えたのだ。

そうして生まれた現在の”水窪新線”だが、こちらにも部分的な旧線があることは、巨大な水没旧線に較べてあまり知られていない。

それは、城西(しろにし)〜向市場(むかいちば)間にある、

・第一久頭合(くずごう)隧道

・第六水窪川橋梁(向皆外(むかがいと)隧道)

の2箇所である。

この新線全体の工事はダム着工翌年の昭和28年8月に始まり、ダム完成前年の30年11月に完成した。

国策であるダム工事に関わる路線の付け替えは、国鉄の威信をかけての突貫工事とならざるを得なかった。

右図にカーソルをあわせると「地質図」に切り替わる。

それを見て頂ければお分かりの通り、新線は「中央構造線」と「天竜川断層」という2本の巨大な断層帯に挟まれた地域に敷設されている。

一般に断層地帯の地質は劣化していることが多く、土木工事には不適である。

それゆえに新線工事は、想定外の苦難を数多く乗り越えねばならなかった。

2つの“新線の旧線”もまた、それと無関係ではない。

それでは、まず「第一久頭合隧道」を紹介しよう。

事前情報となったのは、『鉄道廃線跡を歩く�[

』巻末の資料「全国線路変更区間一覧」だ。

個人的にこの資料は、旧線ファンにとってバイブル的な価値のあるモノだと思う。これのためだけに�[号は買う価値があると思う。

「全国線路変更区間一覧」の「飯田線」の部には10の「付け替え」が記録されているが、その4番目を次に引用しよう。

履歴

[4] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054549395017

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