2014/11/12 6:12 【現在地】
“松陰くぐり”は、長さが5mにも満たない、隧道としては極めて小規模のものであった。
その一方は海岸に沿っているが、他方の出口はほとんど海面の方を向いていて、外へ出た直後に“明かり”の岩場伝いに右折する事で、やっと大泊側の海岸線を辿る事が出来る。
この道路としての機能から考えれば奇妙で不条理な線形も、元来は天然の海蝕洞であったものを隧道として流用した可能性を感じさせた。
写真は“くぐり”を抜けて“右折”した直後目の前に広がった、大泊側の海岸線である。
これから進む海岸線の望遠写真。
一番奥に見える波除けブロックの所は、もう大泊集落である。
そこに至るまでは、岩場が海岸に迫っており、道らしい道は無い。
波に濡れた礫海岸を歩くよりない。
ただ、岩場の下部に片洞門を思わせるような凹みがあるのは、人工的なものなのか、自然の波の作用なのか。
おそらくは後者であろうが、“くぐり”に人手が加わっていた以上、こっちもその可能性はある。
大泊側から見る“くぐり”の姿。
こちらから見ると、坑口は明らかに海の方を向いているのが分かるだろう。
それだけに、素掘隧道同様の加工された壁面が、より奇妙に見えるのである。
あれは道なのか、海なのか……。
何度見ても、奇妙だ。
6:16 【現在地】
100〜150mほど海岸を歩くと、崖の上の旧国道が急速に降りてきて、その路肩にある巨大な護岸擁壁が、あろう事か海岸線を先へ進む事を否定してしまっていた。
残念だが、松前街道の散歩はここまでである。
ただしこの先の風景は、皆さまにお見せしよう。
これは前日の日中、大泊集落を通ったときに撮影した写真である。 →
道は旧国道で、目の前に見えるのが大泊集落。
左に見える波除けブロックの列は、上の写真に見えるそれの、続きである。
なるほど、旧国道が松前街道を利用している事が頷ける、大泊集落の風景であった。
さて、帰ろう。
帰りは動画を撮りながら、“くぐり”をくぐってみた。
ここが今から200年後に“ヨッキくぐり”と呼ばれていたら、どうしよう〜。
ワルクードに戻って、探索終了!
ここからは、お楽しみの“解説編”と行きたいところだが、私自身、まだ納得の行く“答え”には辿り着けていない。
先に結論を申し上げるが、“松陰くぐり”の誕生や改良の全容は判明してい