冬瓜山

冬瓜山

[1] 冬瓜山

Webページ

[2] 笈ヶ岳09, , http://www.geocities.jp/yamaaruki108/sub2/oizuru09/oizuru09.htm

笈ヶ岳は石川、富山、岐阜の県境にある標高1841mの山で、伊吹山から続く両白山地の最北部に位置する。これまでのこの山についての知識は、登山道はなく、深いヤブのため対象となるのは積雪期に限られており、私のような一介の素人登山者にはとても無理な山というものであった。しかしインターネットで調べていくうちに白山スーパー林道入り口の自然保護センターから日帰りで可能ということが分かってきたが、登ることが出来るのはやはり残雪期で、しかも登山口となっている自然保護センターから往復10時間以上もかかるという、なかなか厳しい条件も付いていた。

この11日に同じ白山山系の野伏ヶ岳に登ったが、この山も登山道はなく、登るのはやはり積雪期に限られると云うものであった。野伏ヶ岳に比べれば笈ヶ岳の困難さは数段上を行くものと思われたが、このGWの前半は天気が良さそうなので、行けるところまで行こうと云う気持ちで28日の午後11時に出掛けることにした。

北陸道の小松ICを出て国道360号を走り、標高600mの自然保護センターの駐車場に着いたのは29日の午前3時20分ごろだった。一里野からここまでの間は24日に開通したばかりで、駐車場には既にかなりの車が止まっていた。夜明けまでには少し時間があるので仮眠をとろうと積んできた寝袋に入って少し微睡んだころまわりが騒がしくなる。時計を見ると4時過ぎだったがもう支度をして出発して行く人たちがいた。予定では5時頃に出掛けることにしていたが、なんだか気が急いてきたので起きて支度をし、薄明るくなってきた4時45分に駐車場を出発した。

[3] 笈ヶ岳, , http://w2222.nsk.ne.jp/~turu/oizuru.html

笈ヶ岳 1841m 石川県

笈ヶ岳は深田久弥も百名山に入れたかったと言うだけあって白山の北方稜線の山々の中でもでもひときわ

高く奥深い山である。残念ながら登山道がなく残雪期しか登頂が出来ない。白川側と中宮側から登頂を目指す。

今回中宮側のジライ谷から日帰りでスキー山行を行った。予想通り厳しい山行だった。

一里野ゲート

一里野からしばらく進むとゲートがある。通常中宮までの開通は4月中旬以降である。ここから

白山自然保護センターまで約4km自転車があれば楽である。歩けばゆうに1時間はかかる。

ジライ谷出合

料金所少し手前に自然保護センターがある。ここから水平な遊歩道が野猿園左まで続く。歩いて約30分

正面がジライ谷狭く急な険悪な谷である。写真右左岸尾根に取り付くが,踏み跡はしっかりしている。

かなり急な尾根を枝にしがみつきながら標高を上げる。兼用靴でスキーを担ぐとかなりしんどい。

標高1100mのブナ林

この辺りはブナ林が素晴らしい。手つかずの原生林である。この年は標高1000m付近まで尾根上に

雪は全くなかった。この辺りからスキーが履けるが此処より上部も尾根の西側をトラバースしながら進む。

尾根から見た白山

標高1200m辺りで振り返ると白山の眺めが素晴らしかった。白山を背にしてどんどん標高を上げる。

尾根上部から見た冬瓜山

標高1450mで尾根は終了。稜線に着く。右が冬瓜山,さらにシリタカ山へと続く。

冬瓜平

冬瓜山の北には平坦な地形が広がる。一般的には此処でテントを張って翌日笈ヶ岳を目指す。

冬瓜山頂のナイフリッジ

山頂の約20mのナイフリッジは雪が非常に不安定でいつ落ちても不思議ではない。

神に祈りながら馬乗りになって進む。冬瓜山北をトラバースして冬瓜山を過ぎた鞍部に出ることも出来る。

シリタカ山山頂付近にて

冬瓜山の次はシリタカ山。ここからは笈ヶ岳に続く稜線が見渡せる。ここから一端下るが,稜線西には

雪庇が発達しているので十分気を付けたい。

雲沸く白山

この辺りから白山には雲がわきだしていた。天候は崩れそうである。

シリタカ山を過ぎた鞍部

鞍部から見た笈ヶ岳(写真左)。見上げるその姿は登行意欲をかき立てる。

鞍部の先

正面に見える稜線が白山から続く北方稜線である。正面の三角岩は左から巻いていく。

北方稜線にて

ここから山頂まで穏やかな登りが続く。稜線東側を適当

[4] 笈ヶ岳 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%88%E3%83%B6%E5%B2%B3

概要[編集]

両白山地の北部の中では、最も標高が高い山である。すぐ北側には、少し標高が低い大笠山(日本三百名山)がある。狭い山頂部には、国土地理院の三等三角点(点名は「笈岳」)が設置されている。[2]

山名の由来[編集]

古くは、笈摺岳、笈劔岳[3]、笈釣山[4]、剣岳[5]、老鶴山[6]等と記されていた。

西側から見て笈を背負った修験者に似た山容であることが、山名の由来とされている[7]。

歴史[編集]

泰澄上人が開いたともいわれる。

1905年(明治38年)9月 - 陸地測量部が三角点を設置したとき、この山で経塚を発見、そこから経筒・仏像・鏡・短刀・鏃など多数が出土した。経筒の一つに「永正十五」(1518年)の年号が記され、「武州太田庄光■寺住僧実栄」「大聖寺住僧■■坊」などの銘が刻まれていた。[8] このことから、古くから修験道の対象とされていた。

1962年(昭和37年)11月12日 - 国定公園からし昇格し、山域は白山国立公園の特別保護地区に指定される[9]。

1968年(昭和43年)5月 - 深田久弥が日本百名山執筆後に、日本山岳会のサポートを受けて中宮温泉から登頂[10]。

登山道[編集]

藪山で夏(無雪期)の登頂は極めて困難で、積雪期の限られた期間のみ登頂が可能である。日本二百名山の中では登頂が難しい山の一つである。 一般的な登山道はないが、春先にこの残雪を利用して、以下のコース登られることがある。

石川県白山市の白山自然保護センター駐車場から冬瓜山(かもうりやま)・シリタカ山を経由するコース[7]

白山スーパー林道三方岩駐車場から県境沿いのコース[7]

大笠山から県境沿いのコース(廃道化されている)[11]

地理[編集]

周辺の山[編集]

[5] 笈ガ岳, , http://w2222.nsk.ne.jp/~turu/k.short6.html

笈ガ岳(県内最難関の山)

県内で登頂が最も困難な山は何処であろうか。白山だろうか,はたまた別山だろうか。

否違う,それは笈ガ岳(標高1841m)である。毎年白山へは何千人という人が押し寄

せるが,笈ガ岳に登頂できる人はかなり熟達した一握りのエキスパートだけである。

秘境の山として知られるこの山に明治38年陸地測量部が三角点を設置した際,山頂か

ら多数の仏像や銅剣が出土された事は有名であり,人跡未踏と思われていた当時既に

数百年も前から白山信仰の修行僧が大勢登っていたことは驚きであった。

この山は白山の北方稜線上の石川県と岐阜県の県境にあり未だ登山道がなく無雪期に

は猛烈な藪こぎとなるため登頂には残雪期の限られたわずかな期間に挑戦する以外に

は方法がない。しかも山頂に至るアプローチがとても長く一般的には山中でテント数

泊をしなければならないためかなりの体力も必要である。さらに道中に冬瓜山という

山頂が剣の先のように両側とも切れ落ちた危険な難所が待ち受けているためその困難

さを助長している。

かの深田久弥もこの山は是非とも日本百名山に入れたかったと後々後悔したほどの名

山なのである。科学が進歩して人間が月の上に立てるようになった現代でも未だ人が

容易に立ち入れない秘境が身近にあるなんてなんて興味深いことではないか。この日

本でも未だ登山道が開拓されずに人の立ち入りを拒み続けている山がいくつかある。

県内ではこの笈ガ岳,富山では毛勝山,岐阜県では猿ヶ馬場山などがその代表格であ

ろう。実はこうした山こそ手つかずの自然が豊富に残っており登山を満喫できる。

僕自身この山の山頂からスキーで滑り降りることが念願であった。今年の3月の二度

目の挑戦でようやくその念願が達成できた。まだ真っ暗な一里野温泉から自転車にま

たがりスキーを担いで白山自然保護センターに到着。ここからジライ谷を経由して道

無き道をスキーを駆使して登り詰め,幾多の難所を乗り越えて登頂し日帰りで下山し

た。出発から実に13時間に及ぶ厳しい限界に近い格闘だった。帰宅が夜遅くになった

ためかみさんを大いにあわてさせてしまったものだった。

最近この山にも登山道を付けようとする動きがあると聞いた。秘境の山はそれ故に価

値があるのである。後世まで秘境であって欲しいと祈るような気持ちで願っ

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054545747419

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