新鏡ヶ池

新鏡ヶ池

[1] 真盛寺新鏡ヶ池

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[2] 小沢川(1)最上流部ー金太郎と密かに残る蓋暗渠、そして池 : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/15804649/

小沢川は、丸ノ内線新高円寺駅近く、杉並区梅里から流れ出し、杉並区和田の丸ノ内線(支線)中野富士見町駅近くで神田川に注いでいた全長2kmほどの小川で、現在では全区間暗渠となっています。小さな支流ながら独立した呼称を持ち、なぜか暗渠好きの間では比較的有名な川(跡)でもあります。 川は、段彩図(数値地図5mメッシュをgoogle earth「東京地形地図」からキャプチャ)でみるとわかるように、桃園川と善福寺川〜神田川に挟まれた台地にかなりはっきりと刻まれた谷を流れています。主な水源は、谷が環七通りを横切るすぐ東側に現存する湧水池「新鏡ヶ池」とされていますが、それより上流にも谷が伸び、さらにその先の台地上にも人工と思われる水路の痕跡が残っています。

年末に時間ができたので、4年ぶりにこの「小沢川」の暗渠を辿ってみました。上流部のカオスぶりは相変わらずでしたし、縁あって最上流部に密かに残る蓋暗渠や今まで行ったことのなかった"蛇窪"の支流跡にも足をのばすことができましたので、記事にしてみます。 既にいくつもの暗渠系サイト/ブログでとりあげられており(本ブログでも以前、主水源だった「新鏡ヶ池」を紹介しました)、あまり新鮮味はないかとは思いますが、おつきあいいただければ幸いです。 ============= 「小沢川」の暗渠は、丸ノ内線新高円寺駅の近く、青梅街道から五日市街道が分かれる交差点のすぐ東側から始まります。といってもここから200mほどは直線の水路敷が続いており、本来の水源よりも上流部につくられた、人工的な水路だと思われます。かつて青梅街道沿いには南阿佐ヶ谷駅付近まで、千川上水の分水「六か村分水」がひかれていましたが、その余水がここまで到達していたのか、あるいは街道沿いの排水路がつながっていたのでしょうか。

[5] 参道の横に新鏡ヶ池があります - 真盛寺のクチコミ, , http://i.4travel.jp/review/show/10805194

高円寺に向かう途中の環七沿いに真盛寺があり寄っていきます。参道を進むと山門があり、中は意外と広く本堂に向かう脇に「新鏡ヶ池」があり、神田川の支流の谷の先の源流のような位置にあります。交通量の多い環七の近くに意外な緑が残っていました。

[6] , , http://kawawalk.sakura.ne.jp/kandagawa/jou2/wadasiryuu2.html

富士見橋で合流する和田の支流を追ってのウォーキングの第二回。前回水路跡ははっきりしていてたどりやすいといったが、一ヶ所だけ一般の道路に紛れ、しかも次の車止めが道なりの道路に面していないところがある。そこからの再開だが、ただ地図を見れば谷筋の食い込んでいる場所やクネクネした道路は一目瞭然なので、どのあたりを探せばよいかのメドはたちやすい。

地図中オレンジ点線は40メートル等高線で、その食い込んでいるあたりが、旧高円寺村の元の地名、小沢の由来となった谷筋である。

[7] 真盛寺|杉並区梅里にある天台真盛宗寺院、三井寺, , http://www.tesshow.jp/suginami/temple_umezato_shinsei.html

真盛寺山門

真盛寺玄関

真盛寺の縁起

真盛寺は、寛永8年(1631)に湯島天神前に開創、天和3年(1683)谷中清水町に、元禄元年(1688)本所小梅寺町に、大正11年に当地に移転しました。当寺は三井高利が江戸日本橋に越後屋創業して以来の菩提寺で、三井寺とも称されています。

杉並区教育委員会掲示による真盛寺の縁起

当寺は、天羅山養善院真盛寺と称し、真盛上人の興した天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津市坂本の西教寺です。本尊は阿弥陀三尊立像です。

「江戸本所真盛寺之記」によれば伊賀国(現三重県)出身の真観上人によって寛永8年(1631)に湯島天神前樹木谷(現文京区湯島)に開創されました。その後、寺域が御用地となって天和3年(1683)谷中清水町に、更に東叡山拡張のため元禄元年(1688)本所小梅寺町(現墨田区横川)にと移り、のち煤煙と浸水を避けて大正11年に現在の地に移転しました。

当寺は延宝元年(1673)に三井高利が江戸日本橋に越後屋創業して以来の菩提寺で、俗に三井寺とも称され、三井一門の香華院として知られています。

本所から移築した本堂は安永5年(1776)、元三大師堂は文政3年(1820)、中玄関書院は慶應元年(1865)と、いずれも区内では数少ない江戸時代の建物です。

また客殿・庫裡は明治天皇の行幸を仰ぐため細川侯爵邸を譲り受け、目白高田老松町から移築したものです。

境内右手の「新鏡ヶ池」は旧高円寺村字中小沢の地名の由来となった古池で、中島に弁財天を祀り放生池となっています。門前の木遣塚は元禄年間、江戸城普請のときうたい始めた木遣節を後世に伝えるために建てたもので、毎年五月三日に鳶職和泉会の有志によってうたい継がれています。

なお当寺には、「真観上人画像」、雪舟銘「商山四皓」図をはじめ数多くの文化財が所蔵されています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による真盛寺の縁起

真盛上人の興した天台真盛宗の東京別院である。当時の開創は、開山真観が、真盛上人開山の伊勢津の西来寺で得度、寛永5年関東に下り、川越仙波の無量寿寺中院末西明寺住職を経て江戸にのぼり、寛永8年、藤堂大学頭高吉の家来長谷川藤十郎の大きな援助により、湯島に江戸で最初の天台宗真盛派の寺を建立したことによる。開創間もなく豪商越後屋三井高利の帰依を受け、以来三井家の外護により、江

[8] 真盛寺の池: 行け! いけ! 探訪!! 東京の池, , http://peepooblue.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-3ad0.html

所在地:杉並区梅里1丁目

青梅街道と環状7号線の交差点の南西側の一帯には堀ノ内祖師で知られる妙法寺(日蓮宗)などいくつもの寺院が集まっていますが、その中にあるのが真盛寺(天台宗真盛派)です。江戸初期、湯島に創建され、やがて越後屋三井家の菩提寺となりました。現在地に移ってきたのは大正11年のことです。 環七から続く参道を行き、山門をくぐると、広い境内は清新な雰囲気で、なかなかよい感じです。そんな境内の東側に池があり、池畔には弁財天が祀られ、茶室があります。

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054543180037

メモ