ふとしたはずみで、“羽田道”を歩くことになった。
家人と、その高校時代の友人 Kさんと三人でふらふら散歩。
羽田道は東海道が内川を渡るところから分岐して、羽田方面へ続く旧道。
かつて近くにあった旅館の名を冠して「するがや通り」とも呼ばれるという。
まるで川跡のような道。
こんなふうに蛇行する道はたいがい暗渠である、というのは実は間違いである。
道だってくねるのだ。
呑川の旧水路跡を渡る。(呑川橋)
羽田道はなぜ羽田へ向かうのか‥‥
羽田空港の前身である東京飛行場が開港したのは昭和六年のこと。
羽田道が空港へ行くための道でないことは明らかだ。
実はよくわからないまま、ともあれ歩いていく。
海苔の専門店。向かいには鮮魚店。
江戸前の海産物を商う店がたいへん多い。界隈には海苔問屋の倉庫なども見られた。
閉店した銅板屋。
建材や看板、屋根材などさまざまな用途に使われるため、金属の中では珍しく古くから専門店が存在するのが銅である。
ふるい商業地にはかならずこうした銅板屋がある。
新呑川を渡る。(末広橋)
呑川の新水路は、何もないところにいきなり造られたわけではなく、海側から作られた掘割を内陸に延長するかたちで開削された。
もともとの掘割の一番奥にあたるのが末広橋のあたりだ。
当時の名残なのか、今でも呑川の下流域には多くの船が係留されている。
他の掘割は現在ではほとんど消えてしまったが、それらをすべて巡回するかのように羽田道が横断していく。
こうした様相からわかるのは、羽田道が海から収穫された産物を移送するための重要な流通路だったことだ。
羽田道は 穴守稲荷神社などを経由して
羽田の渡しで多摩川を渡ると、川崎まで行くこともできた。
羽田の渡しは、昭和十四年に大師橋(写真奥)が架けられた際に廃止された。