沖ノ島

沖ノ島

[1] 沖ノ島 (おきのしま)

34.2391666666667 130.105

Webページ

[2] 沖ノ島 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E5%B3%B6

沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市の旧大島村域に属する、九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島である。宗像大社の神領で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座する。

[3] 沖ノ島:国家的祭祀、学術価値の再検討迫る 考古学調査が先行、史料の裏付け弱く 福岡で国際研究報告会 - 毎日新聞, , http://mainichi.jp/feature/news/20131026ddp014040008000c.html

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「海の正倉院」と呼ばれる沖ノ島(福岡県宗像市)を中心に、世界遺産登録を目指している「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の国際学術研究報告会(文化庁など主催)が12、13日、福岡市で開かれた。古代の国家的祭祀(さいし)を担ったとされる沖ノ島だが、これまで考古学研究ばかりが先行し、文献史料による裏付けの弱さが研究者から指摘されるなど、その学術的価値の再検討を迫る内容になった。【大森顕浩】

報告会では内外の研究者17人が発表やパネルディスカッションで議論を深めた。文献や海外交流史研究からの問題提起、韓国の祭祀遺跡との関連も指摘された。

文献史学からは西宮秀紀・愛知教育大教授が「沖ノ島自体で直接祭祀を行ったとする明確な文献記事は、実は見当たらない。ヤマト王権(古墳時代の倭=当時の日本=の政権)や律令祭祀との関連は、もっぱら発掘遺物に基づくもの。長らく文献研究から発言はなかった」と述べた。

『日本書紀』は、宗像神が、雄略天皇が新羅出兵を企てた際に天皇を戒めたと記しており、国家の守護神的役割がうかがえる。このため西宮教授は、遅くとも5世紀には、宗像神が国際関係で王権に神意を示すなどの宗教的権威を持っていたとする。

だが文献上、6世紀以降は王権の中で重要度が低下、祭祀は在地の宗像氏に任されたという。7世紀に胸形君徳善の娘が天武天皇に召されて高市皇子を生んだとする記事が『日本書紀』にあるが、その一方で、対外交渉で重要な遣隋使や遣唐使の派遣時、白村江の戦い(663年)前後ですら宗像神は文献に登場しなくなる。

8世紀に成立する律令祭祀の下では、朝廷の捧げ物は宗像氏を通し行われていたが、9世紀になると朝廷が臨時に直接使いを派遣して捧げ物をしたとする文献記事が登場する。西宮教授は「沖ノ島の遺物は、宗像氏や地域の漁民による祭祀の遺物とまず考えるべきで、朝廷の捧げ物は臨時か、宗像

[4] 沖ノ島の瀬渡し船一覧:壱岐・対馬へ釣りに行こう, , http://ikitushiman.seesaa.net/article/108408241.html

沖ノ島のポイントは沖ノ島本島と、本島前の小屋島、御門、天狗岩の三つの島。沖ノ島本島は主に北西側に好ポイントが多く、東側は全体的に浅く、流れもそれほど早くない。

主なポイントは、本ワレ、舟入、北の瀬、ノリ瀬、カベ、タコ足、クジラ、ゾウの鼻、ポン、ケーソン、長瀬、東瀬、平瀬など。

小屋島は比較的どの磯も足場がよく、ヒデ崎、中鼻、ホームグランド、沖バナ、西のハナレ、シケシラズ、小屋ワレなど、人気のポイントばかり。

御門と天狗岩は釣り座が高く、石鯛狙いの人が多い。御門はコンクリ、コンクリ裏、水道、御門のタカリ。

天狗岩は天狗のタカリ、ダンツキ、天狗の表、水道などがポイント。

沖ノ島への瀬渡しは福間漁港、津屋崎漁港、神湊港から出ている。

アクアシャイン

船長 : 中村 勝之進

住所 : 福岡県福津市西福間3-11-2

電話 : 0940-43-8834

20:30津屋崎港を毎日出航〜翌日13:00頃納竿(天候による)

高速船アクアシャインは沖ノ島まで1時間ちょっとで行く。

一昔前は考えられないようなことだが、そのおかげで日本屈指の釣り場、沖ノ島が身近になった。

その高速船を操縦する中村船長は、操縦の腕がいいという評判だ。

もちろん沖ノ島本島だけでなく、小屋島、御門柱、天狗岩のポイントも知り尽くしている。ポーターであり息子さんの若船長も明るくていい青年なので、何を釣りたいか事前に相談するといい。

船の予約と餌の手配は、釣り天狗ヤナイで受け付けている。

一度ヤナイによって乗船名簿を記入してから津屋崎港に行くことになるので、その際に釣果情報やポイントを聞くといいだろう。

餌は一人分ずつ袋分けしてヤナイのほうでアクアまで運んでくれる。

釣り天狗ヤナイ → http://www.fishingaqua.com/memo/yanai.htm

恵比寿丸

船長 : 宮坂 芳信・宮坂 進一

住所 : 福岡県福津市福間町花見2-4-16

電話 : 0940-42-2016

22:00福間港を毎日出航〜翌日13::00頃納竿(天候による)

19:00福間港を休日前出航〜翌日12:00頃納竿(週末・休日前のみ)

恵比寿丸は沖ノ島へ1時間で行く高速船が2艘あるため、週末は19:00出航の便もある。

一艘いくらするのだろうかという、高速瀬渡し船が2艘

[5] 「宗像・沖ノ島」を世界遺産に推薦へ NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150728/k10010169481000.html

文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。

一方、このほかの「北海道・北東北の縄文遺跡群」、新潟の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、それに大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は「改善すべき課題が残されている」と判断されました。 世界遺産を巡っては今月、登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」について、韓国との調整が難航する場面がありましたが、審議会は今回の決定について、「政治的、外交的な観点では見ておらず、学術的な立場から候補を決めた」としています。 国はことし9月末までに、暫定版の推薦書をユネスコに提出し、再来年・平成29年の世界遺産委員会で審査されることになります。

「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は福岡県宗像市の沖ノ島を中心に、宗像大社や福津市の新原・奴山古墳群など5つの資産で構成される遺産群です。日本と大陸の交流が活発に行われた4世紀から9世紀までの500年間、航海の安全などを願い、多くの装飾品などを用いた祭りが行われていたことや、その祭りが、日本固有の信仰として今も残っていることに価値があるということです。 このうち、沖ノ島は、銅鏡や金製の指輪など、およそ8万点の装飾品などが出土していることから「海の正倉院」とも呼ばれています。質の高い品々は当時の対外交流の重要性を今に伝える物証として評価され、すべて国宝に指定されています。 沖ノ島は、海の中でみそぎをしないと島に入れず、生えている草や落ちている石などは島からは1つも持ち出してはいけないとされ、神聖な場所として立ち入りが制限されています。 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は世界文化遺産への登録を目指す暫定リストには平成21年に記載されましたが、去年の文化庁の審議会では「新原・奴山古墳群の学術的な調査研究が不十分だ」とか、「沖ノ島の保全策が明確でない」といった意見が付けられ、推薦が見送られていました。

文化庁の審議会の決定を受けて、福岡県の小川知事と遺産群がある宗像市と福津市の市長が県庁でそろって記者会見しました。 この中で福岡県の小川知事は「国内推薦が決まり素直に喜びたい。これでスタートラインに立ったので登録に向けてしっかり準備をしなければならない。構成資産の説明や保存・管理の方法について国や専門家と相談していきたい」と述べました。

[6] 宗像大社 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E5%A4%A7%E7%A4%BE

宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮ともいえる。裏伊勢と称される。

概要[編集]

「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では辺津宮のみを指す場合も多い。地図上で辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮を線で結ぶと、その直線は145km離れた朝鮮半島釜山の方向に向かう。古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。古くから海上・交通安全の神としての神威にちなみ、信仰されているが、現在では海上に限らず、陸上・交通安全の神として信仰を集めている。そのため、福岡県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多い。また、車に装着する交通安全のお守りは宗像大社が発祥である。

海上交通の要所に位置する沖ノ島に祀られている沖津宮は、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。現在、緊急避難港に指定されているが、島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。このことから、沖の島は俗に「海の正倉院」と呼ばれており、古代から信仰の対象とされていたことが偲ばれる。

近年、九州を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成遺産として世界遺産暫定リストに追加掲載された。

祭神[編集]

3社にそれぞれ以下の神を祀り、宗像三女神(宗像三神)と総称する。

沖津宮(おきつぐう) : 田心姫神

中津宮(なかつぐう) : 湍津姫神

辺津宮(へつぐう) : 市杵島姫神

歴史[編集]

伝えられる伝承では日本神話に起源を持つという。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とさ

[7] 沖ノ島の岩礁国史跡へ 文化審、県内4件の指定範囲追加 [福岡県] - 西日本新聞, , http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_sougou/article/176781

国の文化審議会が19日、文部科学相に指定を答申した史跡で、県内からは世界遺産登録を目指す「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を構成する宗像市の宗像神社(宗像大社)境内など4件の指定範囲が追加される。 他の追加指定は、太宰府市の観世音寺境内および子院跡附(つけたり)老司瓦窯跡▽福津市の津屋崎古墳群▽うきは市の屋形古墳群。 1971年に史跡指定された宗像神社境内の範囲は沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮を含む約81万平方メートル。世界遺産登録に向け、沖ノ島の南東1キロに位置する三つの岩礁=小屋島、御門柱、天狗(てんぐ)岩=を含む海域約10万平方メートルが追加されることになった。 観世音寺は70年に史跡指定。7~10世紀ごろの寺院跡に江戸時代建造の堂が残る。12~15世紀の墓や陶磁器などが出土した東側丘陵地を追加指定する。 2005年に史跡指定された津屋崎古墳群は5~7世紀に断続的に築かれた60基。周辺の一体保存を目指し、地権者の了承が得られた兵陵地まで広げる。屋形古墳群は6世紀末ごろの古墳4基で構成。1953年に史跡指定され、古墳を構成する葺石(ふきいし)などが見つかった範囲を追加する。 =2015/06/20付 西日本新聞朝刊=

[8] 沖ノ島:海底に人工的な階段や壁、広場? - 毎日新聞, , http://mainichi.jp/graph/2014/08/01/20140801k0000m040028000c/001.html

「宗像・沖ノ島関連遺産群」として世界遺産登録を目指している福岡県宗像市の沖ノ島周辺の海底に、岩礁を人工的に切り出したような垂直の壁や階段、広場のようなものが見つかり、ダイバーの間で話題になっている。

沖ノ島は、宗像市沖約60キロの玄界灘に浮かぶ孤島。島の陸上で見つかった鏡、勾玉(まがたま)、金製指輪など約8万点が国宝に指定され「海の正倉院」と呼ばれる。島周辺には暖流の対馬海流が流れ込み、豊かな海中環境と景観がダイバーを引きつけている。

海底で見つかった壁や階段のようなものは、島の東側に約20メートルにわたって続き、上部には20メートル四方の広場のような部分があるという。

海底については詳しく調査されておらず、宗像市世界遺産登録推進室は「交易船の遺物などが沈んでいても不思議ではないが、階段や壁のようなものについては初めて聞いた」としている。【三村政司】

[9] 宗像・沖ノ島と関連遺産群 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E3%83%BB%E6%B2%96%E3%83%8E%E5%B3%B6%E3%81%A8%E9%96%A2%E9%80%A3%E9%81%BA%E7%94%A3%E7%BE%A4

宗像・沖ノ島と関連遺産群(むなかた・おきのしまとかんれんいさんぐん)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった福岡県宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰、大宮司家宗像氏にまつわる史跡、文化財の総称。自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されている。

2008年12月15日、文化庁が北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群(北海道など)、九州・山口の近代化産業遺産群(福岡県など九州6県)とともに追加申請を決め、翌2009年1月5日に暫定リストに追加掲載された。

[10] 「宗像・沖ノ島」 世界遺産目指し推薦へ NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160114/k10010371371000.html

政府は来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」をユネスコ=国連教育科学文化機関に推薦することを決めました。

14日、外務省で世界遺産に関する関係省庁連絡会議が開かれ、今月中にユネスコに推薦書を提出することを決めました。政府は推薦の理由として、「古代の祭りのあとがほぼ手付かずの状態で保存されており、現代でも神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著だ」などとしています。 政府は15日に閣議了解したあと、推薦書をユネスコに提出することにしていて、ユネスコの諮問機関による現地調査を経て、来年の夏に開かれる世界遺産委員会で登録するかどうかの審査が行われることになります。

[11] 世界遺産登録の沖ノ島 一般の上陸を全面禁止へ | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170715/k10011060271000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

新たに世界遺産に登録された福岡県宗像市の沖ノ島について、島を管理する宗像大社は遺産の保全・管理に厳格に取り組む姿勢を示すため、年に1度だけ、公募で選ばれた一般の人が島への上陸を許される現地大祭について、来年から、一般の人の参加を取りやめることを決めました。

[12] 宗像大社 公式ホームページ | 宗像三宮 沖津宮・中津宮・辺津宮詳細, , http://www.munakata-taisha.or.jp/html/sangu_syosai.html

沖ノ島は玄界灘のほぼ真ん中に浮かぶ絶海の孤島です。その中腹に、

田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る

沖津宮が鎮座し、辺津宮より

神職が10日交代でたった一人で奉仕しています。

住人はなく、女人禁制、上陸時の海中での禊、一木一草一石たりとも持ち出すことは禁ずるなどの掟が、

いまでも厳重に守られている神聖な島です。

島全体が宗像大社の境内地であり、御神体島として皇室・

国家安泰の祈りが連綿と捧げられています

宗像本土より沖合11kmにある「大島」は、東西3.2km、南北1.7km、周囲15kmの福岡県で最大の島です。

湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮は、島の南西岸に海を隔て、辺津宮と向かいあって鎮座しています。

島の北側には沖津宮遥拝所があり、天気の良い日にはここから遥か沖ノ島を拝することが出来ます。

季節の風物詩「七夕」。

中津宮七夕祭は鎌倉時代まで遡ることができ、七夕伝説発祥の地といわれています。

「正平年中行事」(1346)には「七月七日、七夕虫振(むしふり)神事」とあり、境内にある牽牛社(けんぎゅうしゃ)、織女社(しょくじょしゃ)に参籠(さんろう)し、水に映る姿によって男女の縁を定める信仰があると記されています。

福岡市と北九州市の中間にある宗像市。

海岸から釣川をおよそ3km内陸部へ遡ったところに鎮座する総社・辺津宮。

御祭神は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を主祭神とし、広大な神苑には本殿を中心に儀式殿、高宮祭場、第二宮・第三宮、

神宝館、祈願殿などが点在し、宗像大神を崇敬される多くの人々が絶えることはありません。

[13] 神宿る島 沖ノ島1/2(日本語版), , https://www.youtube.com/watch?v=c0-fL2-nayI

福岡県宗像市の沖ノ島の紹介です。宗像・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に

[14] 神宿る島 沖ノ島2/2(日本語版), , https://www.youtube.com/watch?v=ibKFED5QKBM

福岡県宗像市の沖ノ島の紹介の続きです。宗像市・沖ノ島と関連遺産群を世界遺産に

[15] 大島 (福岡県) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6_%28%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%29

地理 [ 編集 ]

宗像市本土側の神湊港から北西に約6.5 km の場所に位置する。約5km東の海上には 地島 がある。地島・ 沖ノ島 とともに玄界灘と響灘を分ける島で、島の西側の海が玄界灘、東側の海が響灘である。

面積7.17 km² で [1] 、福岡県の離島の中では面積が最大。島の多くは丘陵地であり起伏が激しい。中央部にある御嶽(224m)は島の最高峰で、山頂には展望台と宗像大社中津宮の奥の院にあたる御嶽神社がある。

島の東側には本土との間を結ぶ船が発着する大島港フェリーターミナルがあり、フェリーターミナルのやや南側に大島漁港、北東側に宮崎漁港がある。人家・集落はこれらの港の周辺部に集中している。

人口は731人(2010年国勢調査) [1] 。

島内に 宗像市立大島小学校・中学校 がある(小中併設校)。

歴史 [ 編集 ]

1889年 (明治22年)の 町村制 施行時に 宗像郡 大島村 として村制を施行。 2005年 3月28日 に宗像市に編入合併された。

産業 [ 編集 ]

漁業 が中心で、小規模な 農業 もあるほか、島の西側にある牧場で 黒毛和牛 を飼育している。

交通 [ 編集 ]

陸上交通 [ 編集 ]

県道541号線 が島南東部のフェリーターミナル周辺部の中心集落を通り内陸部を一周する形で敷設されているほか、中心集落内や海岸部などへの道路もある。

島内にはバスは運行されていない。タクシーは2008年4月に宗像市内のタクシー事業者であるみなとタクシーが島内に営業所を設置し、1台を配置しており通常はフェリーターミナルにいる。

また、フェリーターミナル等でレンタサイクルを借りることもできる。

水上交通 [ 編集 ]

九州本土の宗像市・神湊港より大島漁港まで 市営フェリー 「フェリーおおしま」で25分、旅客船「しおかぜ」で15分。ダイヤおよび運航状況については宗像市のウェブサイトに記載がある。

その他に民営の海上タクシーなどがある。

観光名所 [ 編集 ]

沖津宮

沖津宮

履歴

[17] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054536664926

メモ