最上町・堺田大分水嶺公園
東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平洋とを分ける大分水嶺でもある。大分水嶺とは降った雨が日本海の水になるか太平洋の水になるかの境目のことで、山の上にあるものもあれば、平地、地下にあるものもある。
特にここ、最上町・堺田の大分水嶺は水中にあるもので、水が東西に別れる様が見られるという全国的に珍しい大分水嶺である。当初はただの用水路に過ぎなかった大分水嶺も、現在は遊歩道や四阿が整備され、「封人の家」と並ぶ堺田の新名所となっている。
重大な岐路は意外と身近なところに、ひっそりと存在している。水分(みくまり)の地を眼前に、人はそこに己の来し方往く末など、重ねてしまうわけである。
堺田駅
JR陸羽東線堺田駅。停まる列車は一日数便程度、単線の線路とホームと待合室があるだけという、典型的な田舎の無人駅。大分水嶺はこの一見なんでもない無人駅前の空き地、下車30秒のところにある。
よく見ると、駅構内の水路も大分水嶺付近を境に、流れる方角が変わっている。
大分水嶺の看板
駅入り口に立つ看板。大分水嶺の里であることを記念して、2001年頃建てられた。
堺田は「奥のほそみち」で松尾芭蕉一行が泊まった「封人の家」がある場所として有名。山形県と宮城県との県境であり、また分水嶺のある場所であり、文字通り境の集落となっている。このあたりは奥羽山脈でも標高の低い地点で、海抜338メートル。県境は堺田峠・中山峠とも呼ばれている。
もとはちょうどこの看板の向かいに大分水嶺があった。大分水嶺は公園の整備にともない東に移動している。
旧大分水嶺
さっきの看板の真向かい、民家そばのなんでもない用水路。公園整備で分水嶺が移動させられたため、現在はただの水路となっている。北からの水はかつてここで東西に分かれていた。水は奥羽山脈の北の方、禿岳(かむろだけ)や花立峠の方から流れてくる。
大分水嶺公園
2004年から2005年にかけて整備された公園。四阿(あずまや)も設けられ、日陰で憩いながら水が分かれる様をゆっくり見物できる。
田んぼを横切る遊歩道は「封人の家」につながっている。「封人の家」は、国境を往来する旅人を見張るための建物。「封人の家」は東西に行き交う人々を、四阿は東西に分かれる水を眺めるわけだ。
案内看板から
「東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平