堺田駅

堺田駅

[1] 堺田駅 (さかいだえき)

38.7357194444444 140.612538888889

Webページ

[2] 堺田駅 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E7%94%B0%E9%A7%85

堺田駅(さかいだえき)は、山形県最上郡最上町大字堺田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)陸羽東線の駅である。

[3] 陸羽東線堺田駅と分水嶺, , http://www.youtube.com/watch?v=hAMyupgCBAw

陸羽東線の秘境駅、堺田駅の駅前には、日本海と太平洋へと注ぐ、まさに分かれ目の「分水嶺」を見ることができます。

標高338m、県境の秘境駅にふさわしいイメージです。

さらに詳しい情報は、旅行記もご覧下さい。

http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/14589/

[4] 【まったり駅探訪】陸羽東線・堺田駅に行ってきました♪|歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!, , http://ameblo.jp/aru-king/entry-10548721826.html

皆さま、おはようございます!

昨日は中古車の引取りで秋田市まで行ってきました。

時間と心の余裕さえあれば、

いろいろと巡ってみたい場所もあったのですが、

同伴者がいたことと天候も悪かったこともあり、

寄り道は一箇所に留めることにしました。

そして寄り道した場所が、こちらの駅なのです!

JR陸羽東線・堺田(さかいだ)駅です!

この駅には30年ほど前、

「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーン時代に、

当時中学生だった頃に降り立ったことがありました。

その時に撮影した写真がこちらです。

この写真をブログに掲載したところ、

県境マニアのオーソリティである石井さん

からコメントを頂く事ができ、

以来、再訪したいスポットだったのでした。

それでは早速、堺田駅のホームに降り立ちたいと思います。

こちらの深い階段を降りると、堺田駅のホームに出ます。

いつの間にやら簡素な駅舎へと変わってしまった堺田駅でした。

自分が訪れた30年前には、

大きくて立派な木造駅舎があったのですが、

今ではちっちゃな駅舎に建て替えられたみたいです。

駅舎の「資産票」を見ると建立年は昭和58年。

…ということは、

自分が訪れた直後に立て替えられちゃった訳なのですよ。

もう少し当時の写真を撮っておくべきでした。

大正6年に開業した堺田駅、

列車の行き違いがあったために駅員が配置されていたのですが、

昭和58年の陸羽東線CTC化によって駅員が不要となって無人駅化、

駅舎も簡易駅舎に変わってしまったそうで。

その行き違い設備も、現在は撤去されてしまいました。

使われなくなった対向ホームに立つ県境駅を示す駅名標。

石井さんにも教えていただきましたが、

当時立っていた木製のものは既に姿を消してしまったようです。

あれはあれで味があったのにな…。

しばらくすると、仙台始発のみのさんがやってきました。

なんというタイミング!

当然ながら停車することなく、

みのさんはゆっくりと通過してゆきました。

それにしても本日のみのさんは、そこそこの乗車率でしたよ。

宮城の温泉巡りはこの列車に限ります。

駅の観察も程ほどに終えたら、もうひとつのお楽しみです。

堺田駅の目の前には、珍しい分水嶺(ぶんすいれい)があるのです!

分水嶺をわかりやすく説明しますと…

海域の境界線なのですよ。

上の写真の中央から流れ出た流水は、

[5] 中山越、堺田越(宮城県・山形県)<峠と旅>, , http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge_6n/nakayamagoe/nakayamagoe.htm

山越は宮城県・山形県の北の方で両県の境を越えている峠だ。南北に細長い東北地方にあって、その脊梁(せきりょう)を成す奥羽山脈を跨いでいる。いわゆる

大分水嶺の峠となる。しかし、峠を越える国道47号の県境部分は、上の写真からも分かる通り、どう見ても峠らしくない。大分水嶺は全く他の所にあったの

だった。

この中山越は過去に4回ほど通っているが、その度に不思議な気がしていた。これといって険しい峠道ではなく、よって素通りが多かったのだが、どうにも不可解なのが気になっていた。そこで4度目にしてやっと峠の周辺を探索したのだった。

県境と大分水嶺が異なるのは、古い国境から引き継がれている事情らしかった。昔の出羽仙台街道中山越の旧道が一部に保存され、国境らしき場所があった。また、松尾芭蕉ゆかりの「封人の家」が立ち、大分水嶺に位置する堺田駅があった。中山越はいろいろな顔を見せてくれる。このホームページ「峠と旅」に掲載してきた峠は、それなりに険しい峠ばかりの中、この中山越は少し異色ではあるが、それなりに面白い峠である。

峠名は「中山越(え)」(なかやまごえ)とか「堺田越(え)」(さかいだごえ)、あるいは「中山峠」、「堺田峠」と書かれている地図も見掛ける。場合によっては「堺田」の代わりに「境田」の字が当てられることもある。

「中山」は峠の宮城県側にある地名、「堺田」は山形県側にある地名で、そのどちらを取るかで峠名が大きく違ってくるようだ。後は「越」を使うか「峠」かの僅かな差である。

「中山」という名の峠はいろいろあるが、「堺田」という峠は他に見たことがない。このページトップの表題も、できれば大きく「堺田越」としたかっ

たのだが、道路地図などでは「中山越」と表記している方が多い。国土地理院の地形図も、峠名の記載はないものの、道の名を「出羽仙台街道中山越」と記している。どうやら「中山」の方が市民権を得ているようなので、それに従うこととした。

ただ、文献(角川日本地名大辞典)を調べてみたところ、「中山越」はなく、「堺田越」での掲載だった。また、「境」の代わりに「堺」の字を使うのも珍しく、「堺田越」という名は、捨て難い峠名である。

[6] 堺田駅の分水嶺: 宮城県民、昔の「仙台・さとうや」です。, , http://sendai-satouya.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-1c7c.html

お隣の山形県「最上町」にある

陸羽東線「堺田駅」の前の

「分水嶺」のモニュメントから。

分水嶺、

名前をそのまま考えますと、

水源から流れ出る水が左右に分かれて下る場所?。

陸羽東線「堺田駅」付近の山々から流れ出る水が、

堺田駅を目指して小さな水路で流れてきて、

堺田駅の前で、

「右と左」に分かれて流れていく。

水源に向って、

左に流れると「日本海」に注ぎ、

右に流れると「太平洋」に注ぐ。

分水嶺のある堺田駅ですが、

以前は、

この「分水嶺」のモニュメンも、

木製だったそうです。

数年前に立派な石の記念碑に取り換えられたと。

陸羽東線「奥の細道湯煙ライン」の

山形県最上町にある「堺田駅」。

今は、

乗り降りする乗客もマバラな、

ごく普通の無人駅に。

昔、昭和30年代は、

国鉄職員が勤務して駅業務に従事、

列車交換もありました。

無人駅の「堺田駅」、

ここに「分水嶺」があるとは、

ほとんどの方は知らないのではないでしょうか、

いや、知っているかもしれませんがー???

それよりも、

ここで有名なのは、

「松尾芭蕉」ゆかりの、

「封人(ホウジン)の家」でして。

でも、それは次回ということで。

[7] 陸羽東線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%BD%E6%9D%B1%E7%B7%9A

陸羽東線(りくうとうせん)は、宮城県遠田郡美里町の小牛田駅から山形県新庄市の新庄駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。

路線データ[編集]

管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)

区間・路線距離(営業キロ):小牛田駅 - 新庄駅 94.1 km

駅数:27(起終点駅含む)

陸羽東線に限定した場合、起終点駅(小牛田駅は東北本線、新庄駅は奥羽本線の所属[1])が除外され、25駅となる。

軌間:1,067 mm

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:なし(全線非電化)

閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)

運転指令所:小牛田CTC

最高速度:

小牛田駅 - 鳴子温泉駅間 95 km/h(キハ110系またはキヤE193系気動車列車時に限る。それ以外は85 km/h)

鳴子温泉駅 - 新庄駅間 85 km/h

最急勾配:18.2 ‰(鳴子温泉駅 - 赤倉温泉駅間)

新庄駅から南新庄駅の南側付近までは奥羽本線と並行して線路を敷設している。複線路線のように見えるが、奥羽本線は山形新幹線走行のため標準軌に改軌しており、双方の線路は完全に独立している。なお、改軌以前も単線並列となっていた。また陸羽東線は非電化のため、陸羽東線側の線路には架線はない。南新庄駅も地図上は奥羽本線上にあるように描かれているものもあるが、奥羽本線には南新庄駅はなく、陸羽東線上だけにホームが設けられており同線の列車のみ停車する。1915年の陸羽東線開業以来このようになっているが、1944年から1960年の間は陸羽東線の線路を撤去し奥羽本線と共用していた。ただし、1960年の増設線路はもともとは奥羽本線用に増設したものを、戦前のように陸羽東線が使うことに決定したものである。

全線が大都市近郊区間の「仙台近郊区間」で、小牛田駅・古川駅・鳴子温泉駅でICカード乗車券「Suica」が利用可能である[2]。

全区間が仙台支社の管轄である。国鉄時代は前述の奥羽本線との並行区間については、同線と同様に秋田鉄道管理局の管轄だった。

運行形態[編集]

各臨時列車については「#過去の観光臨時列車」を参照

基本的に普通列車のみの線内運転で、系統としては鳴子温泉駅を境に東西に分割されているが、少数ながら全線を通して運転される列車も設

[8] 鉄道写真:中山峠と〈奥の細道〉を行く 陸羽東線・中山平−堺田, , http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl164.html

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・奥の細道に沿った陸羽東線

164. 

中山峠と「奥の細道」

・陸羽東線/中山平−堺田

〈0001:中山峠を登る〉

〈0002:梁を渡る〉

〈0003:中山平から堺田へ進入〉

…………………………………………………………………………………………………

〈紀行文〉

今回は陸羽東線の下り列車を、鳴子温泉を過ぎてV字谷の大谷川の断崖をのごって台地状の中山平を過ぎて、国道47号線とからみながら開けた高原のような雰囲気を感じさせる中山峠手前の辺りで撮った二大をお目に掛けたい。重連の発車地点である川渡の先で荒尾川を渡って西岩の断崖を登り始めた陸羽東線は支流の大や川を四回渡っている。その最三大や川橋梁では中山平の先で大や川と、それに流れ込む軽井沢川、そして砂利道の国道47号線を一括して跨いで大家川の北側の山すその高台をサミットに向かって最後の勾配を登っている。ここからはしばらく道路と鉄路は並走しており、築堤を進む列車を下から仰ぎ見て追い掛ける構図も素晴らしい。

やがて宮城/山形の県境が近づいて来ると、陸羽東線が改良された国道を堺田架道橋で跨いでイル所に手合うのだが。渡しが通い始めた昭和43ねん頃の昔の砂利道の国道は大谷川と関沢川と一緒に第四大谷川橋梁の下を潜って峠に向かっていたのだった。この第四大谷川橋梁は大谷川の最も上流に位置しており、長さも高さも違う橋桁が各一連が煉瓦積みの橋台と、石積みの橋脚に架かっていた。

このような峠のサミットでもない所が県境となっているのには人間臭さが感じられる。その昔から北出羽街道の中山越における新庄領と伊達領の境目は明確な線引きが行われていなかったようで、後に紛争が絶えなかったが、幕府の裁定に持ち込まれて、正保2年(1645年)に境界を二村間を流れる大谷川にする約定を取り交わし和解したと云う

こうして大谷川の端に「境分杭」が立てられ国境の目印となった。この境目は今日も県境として引きつがれている。二万五千分の一地形図を見ると、第四大谷川橋梁は山形県

[9] 新・県民ケンちゃん〜最上町・堺田大分水嶺公園, , http://psyzans.com/Newken/05sakaida/05sakaida.html

最上町・堺田大分水嶺公園

東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平洋とを分ける大分水嶺でもある。大分水嶺とは降った雨が日本海の水になるか太平洋の水になるかの境目のことで、山の上にあるものもあれば、平地、地下にあるものもある。

特にここ、最上町・堺田の大分水嶺は水中にあるもので、水が東西に別れる様が見られるという全国的に珍しい大分水嶺である。当初はただの用水路に過ぎなかった大分水嶺も、現在は遊歩道や四阿が整備され、「封人の家」と並ぶ堺田の新名所となっている。

重大な岐路は意外と身近なところに、ひっそりと存在している。水分(みくまり)の地を眼前に、人はそこに己の来し方往く末など、重ねてしまうわけである。

堺田駅

JR陸羽東線堺田駅。停まる列車は一日数便程度、単線の線路とホームと待合室があるだけという、典型的な田舎の無人駅。大分水嶺はこの一見なんでもない無人駅前の空き地、下車30秒のところにある。

よく見ると、駅構内の水路も大分水嶺付近を境に、流れる方角が変わっている。

大分水嶺の看板

駅入り口に立つ看板。大分水嶺の里であることを記念して、2001年頃建てられた。

堺田は「奥のほそみち」で松尾芭蕉一行が泊まった「封人の家」がある場所として有名。山形県と宮城県との県境であり、また分水嶺のある場所であり、文字通り境の集落となっている。このあたりは奥羽山脈でも標高の低い地点で、海抜338メートル。県境は堺田峠・中山峠とも呼ばれている。

もとはちょうどこの看板の向かいに大分水嶺があった。大分水嶺は公園の整備にともない東に移動している。

旧大分水嶺

さっきの看板の真向かい、民家そばのなんでもない用水路。公園整備で分水嶺が移動させられたため、現在はただの水路となっている。北からの水はかつてここで東西に分かれていた。水は奥羽山脈の北の方、禿岳(かむろだけ)や花立峠の方から流れてくる。

大分水嶺公園

2004年から2005年にかけて整備された公園。四阿(あずまや)も設けられ、日陰で憩いながら水が分かれる様をゆっくり見物できる。

田んぼを横切る遊歩道は「封人の家」につながっている。「封人の家」は、国境を往来する旅人を見張るための建物。「封人の家」は東西に行き交う人々を、四阿は東西に分かれる水を眺めるわけだ。

案内看板から

「東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平

[10] 堺田駅 分水嶺 封人の家, , http://www.geocities.jp/es62v/sub6031.html

堺田駅(分水嶺の在る駅)

標高338メートル 山形県最上郡最上町大字堺田

東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平洋とを分ける大分水嶺でもある。降った雨が日本海の水になるか、太平洋の水になるかの境目のことを大分水界というが、それが山脈の尾根にある場合、大分水嶺と呼ぶ。

水にとっては重大な岐路なのだが、それが意外と身近なところに、目立たない形でひっそり存在してたりするというのは何か示唆的でありロマンを感じる。

駅前広場にある用水路。

北から流れてきた水がつきあたりで西と東に分かれている。

水の分かれる様が見える大分水嶺は全国的にも珍しい。

同じ流れも西の水はやがて日本海に、東の水は太平洋に注ぎ込み、大海原でいつの日か出会う。

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[11] 県民ケンちゃん〜堺田峠水中大分水嶺, , http://psyzans.com/Newken/05sakaida/Sakaida.html

堺田峠水中大分水嶺

東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平洋とを分ける大分水嶺でもある。降った雨が日本海の水になるか太平洋の水になるかの境目のことを大分水界というが、それが山脈の尾根にある場合大分水嶺と呼ぶ。水にとっては重大な岐路なのだが、それが意外と身近なところに、目立たない形でひっそり存在してたりするというのは何か示唆的である。

ここが大分水嶺

最上町のJR陸羽東線堺田駅前に立つ看板。堺田は「奥のほそみち」で松尾芭蕉一行が泊まった場所として有名。山形県と宮城県との県境であり、また分水嶺のある場所であり、文字通り境の集落となっている。このへんは奥羽山脈でも標高の低い地点で、海抜338メートル。

水中大分水嶺

駅前広場にある用水路。北から流れてきた水がつきあたりで西と東に分かれている。水の分かれる様が見える大分水嶺は全国的にも珍しい。同じ流れも、西の水はやがて日本海に、東の水は太平洋に注ぎ込み、二度と出会うこともない。

(2001年取材・2002年12月記)

堺田峠水中大分水嶺案内

アクセス:山形県最上町JR陸羽東線堺田駅前。新庄市から車で約1時間。電車なら堺田駅で下車。

冬季閉鎖:無。

特記事項:夏場は水量が少ない。春の雪解け時期が見頃。近所には「奥のほそみち」で有名な封人の家がある。

[12] 堺田の大分水嶺 , , http://www.youtube.com/watch?v=AuBYKQhgXWI

堺田の大分水嶺は奥の細道で芭蕉が泊った北羽前街道の封人の家の間近にあります。堺田駅はさらに至近の距離。

履歴

[14] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054530649898

メモ