陸羽東線

陸羽東線

[1] 陸羽東線 (りくうとうせん)

Webページ

[2] 陸羽東線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%BD%E6%9D%B1%E7%B7%9A

陸羽東線(りくうとうせん)は、宮城県遠田郡美里町の小牛田駅から山形県新庄市の新庄駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。

[3] 鉄道写真:中山峠と〈奥の細道〉を行く 陸羽東線・中山平−堺田, , http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl164.html

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・奥の細道に沿った陸羽東線

164. 

中山峠と「奥の細道」

・陸羽東線/中山平−堺田

〈0001:中山峠を登る〉

〈0002:梁を渡る〉

〈0003:中山平から堺田へ進入〉

…………………………………………………………………………………………………

〈紀行文〉

今回は陸羽東線の下り列車を、鳴子温泉を過ぎてV字谷の大谷川の断崖をのごって台地状の中山平を過ぎて、国道47号線とからみながら開けた高原のような雰囲気を感じさせる中山峠手前の辺りで撮った二大をお目に掛けたい。重連の発車地点である川渡の先で荒尾川を渡って西岩の断崖を登り始めた陸羽東線は支流の大や川を四回渡っている。その最三大や川橋梁では中山平の先で大や川と、それに流れ込む軽井沢川、そして砂利道の国道47号線を一括して跨いで大家川の北側の山すその高台をサミットに向かって最後の勾配を登っている。ここからはしばらく道路と鉄路は並走しており、築堤を進む列車を下から仰ぎ見て追い掛ける構図も素晴らしい。

やがて宮城/山形の県境が近づいて来ると、陸羽東線が改良された国道を堺田架道橋で跨いでイル所に手合うのだが。渡しが通い始めた昭和43ねん頃の昔の砂利道の国道は大谷川と関沢川と一緒に第四大谷川橋梁の下を潜って峠に向かっていたのだった。この第四大谷川橋梁は大谷川の最も上流に位置しており、長さも高さも違う橋桁が各一連が煉瓦積みの橋台と、石積みの橋脚に架かっていた。

このような峠のサミットでもない所が県境となっているのには人間臭さが感じられる。その昔から北出羽街道の中山越における新庄領と伊達領の境目は明確な線引きが行われていなかったようで、後に紛争が絶えなかったが、幕府の裁定に持ち込まれて、正保2年(1645年)に境界を二村間を流れる大谷川にする約定を取り交わし和解したと云う

こうして大谷川の端に「境分杭」が立てられ国境の目印となった。この境目は今日も県境として引きつがれている。二万五千分の一地形図を見ると、第四大谷川橋梁は山形県

[4] 堺田駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E7%94%B0%E9%A7%85

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては相対式ホーム2面2線であったが、近年になって駅入口と反対側のホームの線路が撤去されたため(ホームは残っている)、列車交換が不可能になった。掘割の中にあり、駅からは周辺の状況をうかがい知ることはできない。待合室兼用の駅舎があり、電話がある。

新庄駅管理の無人駅。駅入口に分水嶺の標識が掲げられている。

駅周辺[編集]

国道47号

封人の家 - 松尾芭蕉が宿泊した家、「蚤虱 馬の尿する 枕元」の句を残している。

歴史[編集]

1917年(大正6年)11月1日 - 開業。

1971年(昭和46年)11月30日 - 出改札無人化[1]。運転要員のみの配置となる。

1983年(昭和58年)3月7日 - CTC化により完全無人化。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。

1999年(平成11年)12月20日 - 交換施設撤去。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道

■陸羽東線

中山平温泉駅 - 堺田駅 - 赤倉温泉駅

脚注[編集]

[5] 【まったり駅探訪】陸羽東線・堺田駅に行ってきました♪|歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!, , http://ameblo.jp/aru-king/entry-10548721826.html

皆さま、おはようございます!

昨日は中古車の引取りで秋田市まで行ってきました。

時間と心の余裕さえあれば、

いろいろと巡ってみたい場所もあったのですが、

同伴者がいたことと天候も悪かったこともあり、

寄り道は一箇所に留めることにしました。

そして寄り道した場所が、こちらの駅なのです!

JR陸羽東線・堺田(さかいだ)駅です!

この駅には30年ほど前、

「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーン時代に、

当時中学生だった頃に降り立ったことがありました。

その時に撮影した写真がこちらです。

この写真をブログに掲載したところ、

県境マニアのオーソリティである石井さん

からコメントを頂く事ができ、

以来、再訪したいスポットだったのでした。

それでは早速、堺田駅のホームに降り立ちたいと思います。

こちらの深い階段を降りると、堺田駅のホームに出ます。

いつの間にやら簡素な駅舎へと変わってしまった堺田駅でした。

自分が訪れた30年前には、

大きくて立派な木造駅舎があったのですが、

今ではちっちゃな駅舎に建て替えられたみたいです。

駅舎の「資産票」を見ると建立年は昭和58年。

…ということは、

自分が訪れた直後に立て替えられちゃった訳なのですよ。

もう少し当時の写真を撮っておくべきでした。

大正6年に開業した堺田駅、

列車の行き違いがあったために駅員が配置されていたのですが、

昭和58年の陸羽東線CTC化によって駅員が不要となって無人駅化、

駅舎も簡易駅舎に変わってしまったそうで。

その行き違い設備も、現在は撤去されてしまいました。

使われなくなった対向ホームに立つ県境駅を示す駅名標。

石井さんにも教えていただきましたが、

当時立っていた木製のものは既に姿を消してしまったようです。

あれはあれで味があったのにな…。

しばらくすると、仙台始発のみのさんがやってきました。

なんというタイミング!

当然ながら停車することなく、

みのさんはゆっくりと通過してゆきました。

それにしても本日のみのさんは、そこそこの乗車率でしたよ。

宮城の温泉巡りはこの列車に限ります。

駅の観察も程ほどに終えたら、もうひとつのお楽しみです。

堺田駅の目の前には、珍しい分水嶺(ぶんすいれい)があるのです!

分水嶺をわかりやすく説明しますと…

海域の境界線なのですよ。

上の写真の中央から流れ出た流水は、

[6] 堺田駅の分水嶺: 宮城県民、昔の「仙台・さとうや」です。, , http://sendai-satouya.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-1c7c.html

お隣の山形県「最上町」にある

陸羽東線「堺田駅」の前の

「分水嶺」のモニュメントから。

分水嶺、

名前をそのまま考えますと、

水源から流れ出る水が左右に分かれて下る場所?。

陸羽東線「堺田駅」付近の山々から流れ出る水が、

堺田駅を目指して小さな水路で流れてきて、

堺田駅の前で、

「右と左」に分かれて流れていく。

水源に向って、

左に流れると「日本海」に注ぎ、

右に流れると「太平洋」に注ぐ。

分水嶺のある堺田駅ですが、

以前は、

この「分水嶺」のモニュメンも、

木製だったそうです。

数年前に立派な石の記念碑に取り換えられたと。

陸羽東線「奥の細道湯煙ライン」の

山形県最上町にある「堺田駅」。

今は、

乗り降りする乗客もマバラな、

ごく普通の無人駅に。

昔、昭和30年代は、

国鉄職員が勤務して駅業務に従事、

列車交換もありました。

無人駅の「堺田駅」、

ここに「分水嶺」があるとは、

ほとんどの方は知らないのではないでしょうか、

いや、知っているかもしれませんがー???

それよりも、

ここで有名なのは、

「松尾芭蕉」ゆかりの、

「封人(ホウジン)の家」でして。

でも、それは次回ということで。

[7] 中山越、堺田越(宮城県・山形県)<峠と旅>, , http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge_6n/nakayamagoe/nakayamagoe.htm

山越は宮城県・山形県の北の方で両県の境を越えている峠だ。南北に細長い東北地方にあって、その脊梁(せきりょう)を成す奥羽山脈を跨いでいる。いわゆる

大分水嶺の峠となる。しかし、峠を越える国道47号の県境部分は、上の写真からも分かる通り、どう見ても峠らしくない。大分水嶺は全く他の所にあったの

だった。

この中山越は過去に4回ほど通っているが、その度に不思議な気がしていた。これといって険しい峠道ではなく、よって素通りが多かったのだが、どうにも不可解なのが気になっていた。そこで4度目にしてやっと峠の周辺を探索したのだった。

県境と大分水嶺が異なるのは、古い国境から引き継がれている事情らしかった。昔の出羽仙台街道中山越の旧道が一部に保存され、国境らしき場所があった。また、松尾芭蕉ゆかりの「封人の家」が立ち、大分水嶺に位置する堺田駅があった。中山越はいろいろな顔を見せてくれる。このホームページ「峠と旅」に掲載してきた峠は、それなりに険しい峠ばかりの中、この中山越は少し異色ではあるが、それなりに面白い峠である。

峠名は「中山越(え)」(なかやまごえ)とか「堺田越(え)」(さかいだごえ)、あるいは「中山峠」、「堺田峠」と書かれている地図も見掛ける。場合によっては「堺田」の代わりに「境田」の字が当てられることもある。

「中山」は峠の宮城県側にある地名、「堺田」は山形県側にある地名で、そのどちらを取るかで峠名が大きく違ってくるようだ。後は「越」を使うか「峠」かの僅かな差である。

「中山」という名の峠はいろいろあるが、「堺田」という峠は他に見たことがない。このページトップの表題も、できれば大きく「堺田越」としたかっ

たのだが、道路地図などでは「中山越」と表記している方が多い。国土地理院の地形図も、峠名の記載はないものの、道の名を「出羽仙台街道中山越」と記している。どうやら「中山」の方が市民権を得ているようなので、それに従うこととした。

ただ、文献(角川日本地名大辞典)を調べてみたところ、「中山越」はなく、「堺田越」での掲載だった。また、「境」の代わりに「堺」の字を使うのも珍しく、「堺田越」という名は、捨て難い峠名である。

[8] JRの料金路線図、山手線が消えるのはどのへん? - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/160210195692_3.htm

ほら、1660円だ! 予想通りですね。これって、つまり下の券売機で買えるきっぷの金額の上限ってことじゃないですか?

そうか、うっかり路線図の形ばかりみててそっちに気がむかなかった……でも、そうなると、上野で1940円の宇都宮が復活してたのはなぜなんでしょうかね?

[9] 八高線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八王子駅 - 高麗川駅間 [ 編集 ]

中央本線 上りホームの反対側1番線から 八王子駅 を発車すると、右手に 横浜線 が分岐し 京王線 を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、 浅川 を渡り、 国道16号 ( 八王子バイパス )を跨いで勾配を上っていく。 国道20号 (甲州街道)を潜って巨大な倉庫や工場の林立する 北八王子駅 に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、 中央自動車道 を潜ると間もなく 小宮駅 に到着し、勾配を下りながら 1945年 に 八高線列車正面衝突事故 のあった 多摩川橋梁 にかかる。多摩川両岸に向き合う 東京都下水道局 の二つの 下水処理場 を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと 青梅線 を跨ぎ、青梅 電留線 、 米軍横田基地線 、 保線 基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から 西武 拝島線 が寄り添ってきて 拝島駅 に到着する。

拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、 五日市線 、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、 東福生駅 に到着。東福生駅 - 箱根ケ崎駅間の路線は 横田基地 拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、 瑞穂バイパス となり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は 滑走路 からすぐの延長線上にあり、未電化時代は トンネル となっていた部分である。これは昔、 飛行機 からの部品落下などが時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に 架線 を張る邪魔になるため上部が取り壊された。 新青梅街道 を跨いですぐに、 箱根ケ崎駅 に到着。箱根ケ崎駅は拝島方面からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

箱根ケ崎駅を出ると、かつては本線の右側を複線のように貨物線が並走していた。撤去された現在は草に覆れ面影が乏しい。ゆるい登り勾配を進むと、瑞穂バイパスの跨線橋をくぐる。ここで、八王子駅から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、 川越市 までは、当線と 川越線 とは全く別ルートを走る。 埼玉県 入間市 に入り、 狭山茶 の 茶畑 の中を走り標高158メートルの八高線最高

[10] 亜洲鉄道日記 : 1999年 インドシナ雲南鉄道の旅 12, , http://blog.livedoor.jp/asianrailroad/archives/685473.html

月曜日と木曜日に定期更新。亜洲鉄路(アジアの鉄道)の日記です。中国と日本の鉄道が主になりますが、そのほか近辺の国の鉄道・飛行機の写真を載せています。

旅行をした年も記載していますが、古い旅行の写真も入りますのでこの日記を参考に旅行をされる方は充分に現地に確認して下さい。

下の写真をクリックすると目次が開きます。

「2000年1月1日 滇越鉄道 ベトナム〜中国 国際列車 5121次 6」                     その後は車内でしばらくボケ〜〜〜っとしていました。あまりにも静かで車庫の中にいる車両に間違えて乗っている気分です。しばらくすると入れ替えが再び始まり、写真のようなベトナムの小型ディーゼル機関車が2両の国際客車を牽く小さな編成になりました。これが国際列車と言われても、イメージが程遠いです。編成が完成すると機関車のエンジンが止められて、機関士もどこかに行ってしまいました。時刻表での出発の時間は9:20。1時間くらいあります。 ベトナムのラオカイから中国の国境の町の河口までの間は5121列車という列車番号になります。番号のパターンからこの国境超え区間はベトナムの列車として扱われるみたいです。 9:20になると、定刻ですが発車の合図も前触れも無く突然列車は動き出しました。時速約20キロ程度、警笛を鳴らしながら子どもが遊んでいる庭先をのんびりと進んでいきます。次の停車駅は中国であることを全く思わせません。 列車が一旦停止しました。国境です。モンゴルのときのようにものものしさは全く無く、1分くらい停車すると汽笛一声、再び列車は動き出し国境の川の南渓河を渡り始めました。この橋は幅7メートルの鉄道道路併用橋で、列車が渡る時間帯は人や車はシャットアウト。ゆっくりゆっくりと列車は橋を渡ります。 橋の長さは200メートルです。渡り終えた瞬間、中国に入った!と思いました。まず目についたのは人の多さ。橋の入口のところには沢山の国境の行商人が国境が開くのを待っています。すごい人の数。その人たちは蹴散らすように列車はその中を割り込んで行きます。鉄道の標識も漢字になりました。橋を渡るとすぐにトンネルがあります。トンネルの中で右への急カーブになっていて、抜けると河口駅。ベトナムと中国との間には1時間の時差があるので1時間時計を進めて10:30に定刻に到着しました。 列車が到着す

履歴

[15] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054530649444

メモ