東京都水道局小河内線

東京都水道局小河内線

[1] 東京都水道局小河内線, 水根貨物線

Webページ

[2] 【奥多摩ポタ】水根貨物線廃線遺構めぐり(前編) : マッキータウンぶろぐ 〜東京近郊自転車コースガイド〜, , http://blog.livedoor.jp/mackey_town/archives/51979304.html

今回のライドは奥多摩の東京都水道局小河内線(水根貨物線)めぐり。 奥多摩にはかつて奥多摩湖(小河内ダム)を建設するために 資材運搬用に使用された水根貨物線跡がある。 今回はその廃線跡をロードバイクを使って探索する。 今回のコース。 奥多摩駅を起点にして水根貨物線の廃線遺構を探索する。 コースはあくまでもロードバイクでの走行ルートなので水根線の軌道とは違うので注意。 所々で水根線の高架跡が見れるので、それを元にコースのプランニングを練った。 なお、大きな見所の具体的な場所についてはコメントを打っておいたのだが 上の地図では表記されないようなのでコチラをクリックして参照してくだされ。 まずは多摩サイを行く。 新奥多摩街道の青梅マラソンスタート地点。 上の地図では省略したけど、この先で青梅街道に入り奥多摩を目指す。 御岳のコンビニで休憩中。 1回のライドに1枚はブルバちゃんを入れる縛りがあるのでそれを実行。 青梅街道の青梅マラソン30キロ折り返し点。 この日の東京の最高気温は8度。 特に青梅を過ぎたあたりから目に見えて気温が下がってくるので寒い。 基本、東京の気温と奥多摩の気温は違う。 白丸ダムが見えた。 寄っていけば1回分のツーレポになるが面倒なのでスルー。 新氷川トンネルは長いので脇道の側道に逃げる。 奥多摩駅に着いた! ここが本日の起点なワケだが、いかんせんここまでが遠いよ。 さて。ここを起点にして水根貨物線の廃線遺構を見に行くのだが まずはじめに簡単に水根貨物線の歴史などを紹介しておこうと思う。 東京都水道局小河内線(水根貨物線)は1952年に 小河内ダムの建設資材運搬用の貨物線として東京都水道局が敷設。 総距離が6.7キロで23箇所ものトンネルからなっている。 1957年に資材の輸送完了とともにわずか5年半で役割を終えた。 だが現在も大半の区間で線路やトンネル、鉄橋などの廃線遺構が残されている。 ハイカーの中には線路沿いを歩いて探索している人もいるようだが ちょっと調べれば分かるが、これはかなりのリスクが伴い危険だ。 なので今回は舗装路しか走れないロードバイクを使って安全に探索するのが狙い。 まずは駅前を日原方面に向かい進む。 まもなく橋が現れるのでここを右折する。 さらに道沿いを進むとまた橋が現れる。 この橋の上が最初の見所だ。 橋の上から奥多摩工業側に線路が

[6] 奥多摩駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%A4%9A%E6%91%A9%E9%A7%85

奥多摩駅(おくたまえき)は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)青梅線の駅である。

青梅線の終着駅で、東京都内でもっとも西に所在する。標高は東京タワー(海抜高351m)よりも8メートル低い343mで、東京都内にあるJRの駅の中でもっとも高い。

歴史[編集]

1944年(昭和19年)7月1日 - 運輸通信省(→運輸省→日本国有鉄道)青梅線 御嶽 - 当駅間開通と同時に氷川駅(ひかわえき)として開業。一般駅。

1952年(昭和27年)12月16日 - 東京都水道局小河内線(専用鉄道)が開通。小河内貯水池の建設資材運搬用の専用鉄道。

1957年(昭和32年)5月10日 - 東京都水道局小河内線、ダム建設竣工が間近となり、運行休止。

路線は休止後も撤去されていない。所有者は1960年代頃に西武鉄道、その後1970年代以降に奥多摩工業に移っている。

1971年(昭和46年)2月1日 - 奥多摩駅に改称。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。

1997年(平成9年) - 「関東の駅百選」に選定。選定理由は「自然豊かな奥多摩に似合っているロッジ風の山小屋駅」。

1998年(平成10年)8月13日[1] - 貨物列車の最終運行日。

奥多摩工業の石灰石積込設備へ専用線が続き、石灰石の輸送を行っていた。最終期の行先は、浜川崎駅にあるセメント工場であった。

1999年(平成11年)3月25日 - JR貨物の駅(貨物営業)が廃止。

2002年(平成14年)2月8日 - ICカードSuica供用開始。

2006年(平成18年)4月21日 - 奥多摩ステーションギャラリーがオープン。電車発車時の合図が発車ベルから、童謡『どんぐりころころ』の発車メロディに変更される。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームは1番線と2番線がある。2番線の有効長は6両編成が入線可能であるが、電車とホームの隙間が大きく開く箇所があるため、平日は朝の1本のみ、土休日は「ホリデー快速おくたま」号(6両編成)と普通電車の数本、臨時列車のみが使用している。かつては2番線の奥に貨物ヤードがあり、隣接する奥多摩工業の工場から川崎方面に向かって石灰石を発送していた。また、過去には東京都水道局小河内線(現・奥多摩工

[7] 奥多摩工業を巡る鉄道たち, , http://hkuma.com/rail/okutetsu.html

奥多摩の山中より採掘した石灰石を近代日本の工業・産業界に供給して来た奥多摩工業ですが、その前身が実は奥多摩電気鉄道という鉄道会社であったという事実は以前より何度か触れてきました。

それは同社の Webサイトにある沿革のページにも記載されていますが、そもそもこの企業は青梅電鉄の御嶽駅と氷川(現奥多摩)駅を結ぶ区間の鉄道路線を敷設した上で、さらにその奥地の日原にある鉱山から石灰石を採掘し、東京湾岸部の京浜工業地帯へと運ぶ目的で設立されたものなのです。

ところが、この線区の開業と同時に奥多摩電鉄は青梅電鉄もろとも国鉄へ買収されてしまった為、残念ながら私鉄線として日の目を見る事はなかったわけです。

その後、社名を奥多摩工業へと変更して本来のミッションである採掘事業に精を出しますが、氷川駅に集められた鉱石は青梅線上を行く石灰石貨物列車で運ばれ、長らく沿線の風物詩となっていました。

しかしそれも 1998年に廃止されてしまい、以後表向きには鉄道と縁の切れた存在となって現在に至っています。

でも忘れてはいけません、奥多摩工業は休止線であるものの現在も鉄道路線を保有しています。

そう、東京都が小河内ダム建設のために敷設し、一時期は西武鉄道の手に渡った事もある水根貨物線ですね。

また、それ以外に現役の鉄道も運行させている事に気づく人も多いのではないでしょうか。

奥多摩駅に隣接する奥多摩工業氷川工場と日原の氷川鉱山を結ぶ曳索鉄道がそれです。

大部分がトンネル内ですが、日原街道の何箇所かで沢を渡るその姿を目にする事が出来ます。

もう一つ、一般の人の目に触れる機会はまずありませんが、氷川鉱山の中には鉱石運搬用の鉱内軌道もあった筈で、実は奥多摩電鉄以外でも鉄道と深い関係を持つ会社と言えるかと思います。

という事で、一部は過去のレポートも含め、以下に奥多摩工業を巡る鉄道たちについてまとめてみたいと思います。

[8] 廃線跡訪問記 : 日光鋼索鉄道線(馬返-明智平) その1, , http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3034472.html

●データ 【所在地】栃木県日光市 【運営キロ】1.2Km 【開業】1932年(昭和7年)8月28日 【廃止】1970年(昭和45年)4月1日 【魅力】赤城登山鉄道同様、距離的には僅かですがこれを鵜呑みにしては いけません。厳しい傾斜や悪路が待ち受け、野生動物にも注意が必要です。 【訪問日】10.07.17 ●栃木県日光市へやって来ました。日光と言えば世界遺産にも 登録されていることから世界的にも有名な観光地です。 しかし私の目的は当然このようなものではなく(爆)、 この地にあった鋼索(ケーブル)鉄道の探索にやって来ました。 前回訪れたケーブル軌道探索(赤城登山鉄道)では 酷い目に遭ったために、今回はキッチリと予習をして参りました。 ということで「今回は大丈夫だろう」と思いきや・・・またしてもトラブル発生。 ケーブル軌道探索、恐ろしや。。。ではドゾ〜 まずは位置確認から参りましょう。画像にはありませんが、左手には 華厳の滝や中禅寺湖があり、右手約7km先には日光東照宮があります。 出発地点、「明智平駅」へとやって来ました。実はこの「明智平駅」という 駅名は現在も「明智平ロープウェイ」の駅名として存続しています。 その「明智平ロープウェイ」の「明智平駅」です。距離は300m、その間に 86m上昇します。ちなみに「鋼索鉄道線」は1.2kmで、430m上昇します。 では本題へ参りましょう。「レストハウス」の裏手へ回ると・・・ で、デターーー!!! 「日光鋼索鉄道線」の「明智平駅」の登場です! それにしてもまず最初に思ったことは、「ナンだよ、この角度わ・・・」 「赤城登山鉄道」でも見た筈でしたが、やっぱケーブル関連はスゲェや。 とりあえず周辺を探索します。こちらはホーム下の突き当たり部分。 つまりレストハウスの下の部分です。中央の施設は何でしょうね。 同場所で今度はそのまま振り返ります。この感じってスキーの ジャンプ台を想像させますねー。モチロン行ったことなんかないけどw ちなみにジャンプ台の角度は35度だそうな。ひょっとして同じくらい?^^; 廃線跡はその角度のまま「森のトンネル」の中へと続いています。 今度はホームを下から撮影します。先端部にはこの傾斜に対しては 少々心許ないかなと思われる壁と、その外側には階段が見られます。 正面から撮影。左の白い棒は読み取れるかとも思

[13] , , http://www.geocities.jp/glock1320031/sub11-5.html

ケーブルの先を目で追うと、なんとすぐ先の茂みの中に三頭山口駅が・・・。道路わきに石段がありその先は獣道になっているが、すぐに駅跡にたどり着く。

ロープウェイというと低い所から高い所に上っていくものだと思っていたが、ここはなんと標高差0.65m。多摩湖を横断するだけであったために、対岸に渡る橋が出来上がると乗客が途絶え、休止に追い込まれる。

[14] 道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道 , , http://yamaiga.com/road/nippara/main.html

後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。

そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」

そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。

中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。

東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。

促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが…

皆 撤退していた。

だが。

私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、

「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」

そんな疑問を感じるようになっていた。

確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。

だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。

極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底まで迂回することだって出来るのではないか。

年に数回、誰かしからは届く、“日原からの挑戦状”。

遠く秋田にいた私は、それを読むたび、もうもどかしさでどうかなってしまいそうだった。

もし東京で暮らすことがあったら、じっくりと挑戦してみたい。あの松の木の時と同じように… 独りで、思う存分…。

そう願ってきた。

2007年1月5日、私は上京を果たす。

その日より僅か11日目の朝。

挑戦するために 私は独り 家を出た。

問題の大崩壊地は、東京都の西端部を占める奥多摩町の中北部の一角、日原(にっぱら)という場所にある。

自宅からは約50km。電車を乗り継いでいけば簡単に行けそうな近場だ。

旧道を地図に探したが、最新版ではもう描かれていなかった。

手許の古い地図でも見てみると、日原トンネルを迂回するような谷沿いのグネグネ道と一本の短い隧道が、確かに描かれている。

情報によると、その旧道の入口付近に崩壊があり、隧道の内部や裏側へは行くことが出来ないというのだった。

日原上流には関東有数の規模を誇る鍾乳洞があり、渓流釣りや登山に適する場所も豊富で、日原全体が都民の一大レクリエーション場となっている。

反面、一帯の地下には石灰石が膨大に埋蔵されており、昔からの石灰石鉱山地帯でもある。奥多摩町氷川に本拠を置く奥多摩工業は、専用鉄道を日原谷の奥地まで延ばし、今なお盛んに

[15] 日原トンネル旧道を歩く, , http://kasetsu.sukimakaze.com/hobby/nippara2.htm

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前回は、旧都道開通以前の道(部分)を紹介した。

今回からは、前回の訪問から1年後の2009年3月に、お馴染みスイッピ氏と共に訪れたときのことをレポートしていく。

スイッピ氏はこの探索の1週間後にはブログにてレポートを公開されていたのに対し、私ときたら公開まで4ヶ月以上開いてしまった。

いよいよ旧都道のレポート…と行きたいところだが、もう一つだけ読者様に見ていただきたいものがある。

今回は、この赤い円の範囲内をレポートしたいと思う。

ここは(現)日原トンネルの西側坑口附近である。

左の橋は「登竜橋」といい、現道はそのまま長さ凡そ1100mの日原トンネルの中へと続いている。

さて、写真の右側奥に青い道路標識が見て取れるだろう。

その道路標識が旧道のものであるのは、云うまでもない。

トンネルと旧道の分岐というものは、トンネルの坑口のごく近くにあるのが一般的なのだが(峠道などは除く)、

この日原トンネル新旧道分岐地点は、この写真を撮っている所なのである

とはいっても錆びた道路標識の方向には道は無く、数十メートルの虚空がただ続いている。

そしてその数十メートルの隔たりを経て、さらに奥へと道が続いている。

実は、嘗てはこの隔たりに橋(旧・登竜橋)が架かっていたのである。

この路肩の不自然な出っ張りは、嘗ての旧登竜橋の橋台だったのだ。

恐らく現日原トンネルを掘るに当たり、旧登竜橋の向きではルート設定に差支えがあったことから、

真っ直ぐ山に向かって新橋を作り、旧道へと向かう旧橋は落とされたのであろう。

橋が消えてしまったから、旧道へのアプローチは出来ないのだろうか?

そんなことは無く、ここにはこの旧登竜橋が出来る「さらに前の時代の道」が存在するのだ。

その道はこの写真の地点から左に分かれ、素直に山をトラバースし、トンネルの直前で現道と交差して

そこから旧道へと向かっているのである。この旧旧道のお陰で我々は旧道に進むことが出来るのだ。

さて、「路肩の不自然な出っ張り」を良く見ると、これまた古い手すりが存在する。

はてさてこの階段、一体何処に続いているのだろう…。

明らかに低い手すりと急傾斜の階段に、足を踏み外せば軽症では済まないなと思いつつ、我々は階段を降り始めた。

[16] 奥多摩工業曳鉄線水根貨物線, , http://members.jcom.home.ne.jp/cappa-ahiru/rail-photo/eitetusenn/eitetsu001.html

JR青梅線の終点「奥多摩駅」です。

昔ながらの郵便ポストがいい味出してますね。

土曜日ですが、昼過ぎに着いたせいかそれほどの混雑はなかったです。

ハイキングや川遊びの人達は、もっと朝早くに来てますよね。

[17] 松木渓谷・銅親水公園・足尾ダム・みちくさ - 足尾銅山 | トラベル - [ありの木], , http://www.arinoki.com/travel/ashio/page04.shtml

銅親水公園

銅(あかがね)親水公園は、本山地区の北部に造られた「足尾ダム」と一体的に開発された公園です。

砂防ダムが連なっている。奥に見えるのが銅親水公園。

前述の通り、製錬所の煙害により、足尾の山々は壊滅的なダメージを受け、不毛の土地となりました。このため、雨で山から土砂が流れ出し下流に堆積する現象が多発、河川氾濫のリスクが高まったそうです。

足尾ダムは、上流の山々から流出した土砂を堰き止めるために建造された砂防ダムで、渡良瀬川・仁田元川・久蔵川の3つの河川が交わるこの場所が建設地に選ばれました。砂防ダムとしては、国内第2位の規模を誇り、水が激しく流れ落ちる様子は壮大です。

岩肌が露出した斜面に足場が組まれ、植林が行われている。

砂防ダムでありながら巨大で水量も多い足尾ダム。

銅親水公園には、足尾ダムをはじめとする、足尾の砂防に対する取り組みを学べる「足尾環境学習センター」が併設されています。

日本のグランドキャニオン

松木渓谷は、本山製錬所があった場所から北西方向へ約3kmの地点にある渓谷です。「日本のグランドキャニオン」という異名を持つ“曰く付き”の景勝地です。

本山製錬所からほど近くにあるこの渓谷は、製錬所の有毒な排煙により、徐々に植物が育たない不毛の地へと変貌していきました。木々は枯れて禿げ山となり、岩肌がむき出しになりました。かくして、松木渓谷は切り立った岩壁が特徴的な景勝地として注目を浴びることになったのです。

足尾ダム建設当時は周囲がほとんど禿げ山だった。

渓谷に入る

親水公園から先、ゲートによって道路が封鎖されています。この先は、許可された車両だけが通行できるそうです。

ただ、自転車の通行は特に禁止されているわけではなく、進入が可能です。

この先は一般車両進入禁止。

ゲートの高さが高いため、自転車はそのまま通れる。

一つ目のT字路を左折する。

渓谷内の道路は未舗装の場所が多く、工事現場のようになっています。一方で、電線や水道管が通っていて、不思議と山の中という感じはしません。

どうやら松木渓谷の土地は、古河機械金属の所有となっているらしく、道路は古河の私道のようです。(川の対岸は国の所有とのこと)

ゲートをくぐってから、途端に道路の整備が遅れている印象を受けましたが、私道だったからなんですね。

川の水は透き通っていてきれい。

足尾ダムを上流から眺め

[18] 東京都八王子市 どこからも行けない橋(前編) ( その他趣味 ) - 埼玉発 おとなの小探険 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152/33938958.html

東京都八王子市元八王子町 中央自動車道に奇妙な橋の記号を見付けた。

どうやら本線を跨ぐ橋であるようだが、橋に辿り着くべき道が地図上にはない。拡大してもやはり道の記号は橋に接続してはいなかった。

履歴

[19] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529742862

メモ