六厩

六厩

[1] 六厩

Webページ

[2] 岐阜県荘川村六厩(むまや)の砂金, , http://mineralhunters.web.fc2.com/mumaya.html

六厩金山の金鉱石に関するデータは未見であるが、天生鉱山のものに近かった

と考えられ、高い金の含有率が砂金の源と考えられる。

「日本希元素鉱物」には、『六厩金山群』との記述があり、小さな坑道が数多くあった

らしく、産地に至る途中、六厩川の川岸露頭部分に、旧坑跡を見ることができる。

「鉱物採集ガイドブック」の記述では、「桐ヶ谷洞谷」は基盤岩が露出していて砂金

採集に好適となっているが、2004年の集中豪雨か台風で上流から大きな岩塊や砂礫が

流れてきて厚く堆積し、基盤岩は見られず、砂金採集には不適であった。

そこで、六厩川岸に生えている葦などの植物を引き抜き、根に付いている土砂を

パンニング皿に受け、川の淀みでパンニングした。

旧坑跡 「桐ヶ洞谷」との合流点

砂金産地

4. 産出鉱物

(1)砂金【Placerv Gold:Au】

パンニングすると黄鉄鉱とそれが錆びた「武石」が多量に残り、「日本鉱産誌」の

記述を裏付けている。砂金も一緒に流してしまわないにように、慎重にパンニングすると

最後に黄金色の砂金が残る。

砂金は、一般には薄ぺらい”�ノ状”のものが多いのだが、六厩のものは”紐状””団塊状”

を示し、山金に近い形態をとどめており、原産地に近いことがうかがわれる。

砂金(自然金)

(2)ジルコン【Zircon:ZrSiO4】

金剛(ダイヤモンド)光沢、透明〜褐色〜薄紅色、四角短柱状で両端が錐面の

結晶で産する。結晶は最大でも1mm程度と小さく、最後までパンニング皿に残った

砂を実体顕微鏡で覗きながら先端を唾で濡らした楊枝を使い拾い上げます。

ジルコン

5.おわりに

(1)清冽な六厩川の流れは夏でも冷たく、パンニングする手がかじかむほどです。

「日本希元素鉱物」には、希元素鉱物産地として「白川郷」が記述されており

ジルコンなどの希元素鉱物が他の産地に比べ多く、モリブデン鉱などに伴って

放射能鉱物の存在が考えられるようです。

(2)飛騨國・白川の領主・内ヶ嶋氏理は初代為氏から数えて3代目の帰雲(くもがえり)

城主であった。氏理の代になって、飛騨國も戦国の動乱に巻き込まれ、天正13年

(1585年)秀吉の北陸・飛騨侵攻に際し、秀吉の敵・富山の佐々成政に加担した。

戦に敗れた後、ただ

[3] 村道を往く(第二回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15064560.html

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[4] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[5] ツーリングに 尻木宇豚堂/ウェブリブログ, , http://ulman.at.webry.info/201310/article_1.html

行ってきました。

当初は志賀高原に行くつもりでしたが、この日は東側の天候が良くなかったので比較的天気の良い西側へ行くことに。先日の「福井県にタッチ」の続きで荘川〜白川郷方面へ行くことにしました。

安房峠越えで岐阜県入り

安房峠を下る途中から見た乗鞍岳

平湯温泉スキー場前から見た槍ヶ岳

平湯温泉スキー場は少しだけ紅葉しはじめていました。

旧道を登って平湯峠

乗鞍スカイライン頂上は午前11時現在で9℃

ちょっと気温高めですね。

ここからR158で高山、中部縦貫自動車道で飛騨清美JCT、東海北陸自動車道で荘川IC。ここで高速を降ります。

昼になったので荘川町のソバ屋「蕎麦正」に入ります。

このときは新そばまつり期間中でした。

新そば旨かったです。

さあ、R156白川街道に入ります。ここは4年前のZZR一泊ツーリングで通りました。今回は逆方向の北上ルートです。

岩瀬橋が見えてきました。

注意標識

この先が難所であることを予告しています。

岩瀬橋

岩瀬橋を渡った先は直角カーブ

大量の注意標識。さあ、難所の始まりです。

荘川桜

御母衣湖の水没地区から移植した桜の木です。

尾上橋

渡ったところから振り返る

この橋も渡ったところは直角カーブです

この先2本目のトンネル「尾神2号トンネル」の中は補強付き

今はこのように照明が付いていますが、以前は無かった。暗い中でいきなり出っぱりが現れる怖いトンネルでした。大型車の運転手はさぞびっくりしたでしょう。

トンネルを抜けて振り返って撮影

少し行くと1999年開通の福島保木トンネル(全長1106m)と旧道

もちろん右側の旧道に進みます。

旧道に入って最初のトンネル「福島保木第1トンネル」

トンネルを抜けても洞門が続き、次は「福島保木第2トンネル」

ここも抜けても洞門が続き、次は「福島保木第3トンネル」

トンネルに横窓がついています

横窓から外の壁を見るとボロボロ

作ってから50年以上経ちますからねぇ

洞門の上に登るハシゴがあります

湖面を見おろす

この水面下数十メートルには、白川街道の難所「福島歩危」がありました(詳しくはコチラ)

トンネル名の福島「保木」は「歩危」から来ているんですねー。まさかトンネル名に「歩危」なんてコワい名前つけられませんから。

途中明かり区

[6] にしみやうしろ仮駅 荘川営林署林鉄六厩川線~その1~, , http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-180.html

ゴールデンウィーク初めに飛騨経由で再び富山へ。 途中で林鉄跡をいくつかつまみ食いしてきました。 ●荘川営林署六厩川線(森林鉄道2級) 最初寄る気はなかったのですが時間があったのでどこまでアクセスできそうか下見。 本格調査はまた後日です。 六厩は「むまい」と読みます。 平成の大合併で現在は高山市ですが以前は荘川村でした。 荘川村の木材はブナ林が多くかつては商品価値が低かったのがパルプ材として利用することで注目されるようになりました。 営林署の直営伐採事業が開始されたことで1929(昭和4)年から林鉄が敷設され始めました。 戦前は大阪営林局管内でしたが戦後1947(昭和22)年の林政統一で荘川営林署は名古屋営林局の管轄となっています。 中部地方では宮内省御料局が建設した森林鉄道が多い中珍しく農林省由来の森林鉄道です。 荘川署管内では海上(かいしょう)貯木場起点の尾上郷(尾神郷)線系統と秋町貯木場起点の六厩川・森茂線系統がありましたが名古屋営林局管内図では両線が連絡しているものもあったりして謎が多い路線です。大規模な路線網があったにも拘らず写真資料など記録はほとんどありません。 1954(昭和29)年より御母衣ダム建設で荘川村中心部が水没することになり村が真っ二つに割れて物議を醸しています。 1961(昭和36)年にはダムが完成し、村の中心部は湖底へと消えました。 路線の概念図ですが恐らく実際は他にも路線があったと見られます。 名古屋営林局統計書では最盛期の1952(昭和27)年に荘川営林署管内で森林鉄道2級線が6路線42,843mあったことになっています。 ただ毎年路線数・距離の変動が激しいので他署では統計に入れてない作業軌道まで2級線に入れてるのかも?? 起点がダムに沈んでしまった六厩川線へは上流の六厩集落からアクセスします。 上流なのですが土地が開けており、秋町から上って来た場合も渓谷が開けるのに意外感を覚えそうなところです。 どこまで軌道が達していたのかは分かりませんが国有林の標柱がありました。 荘川村中心水没後荘川営林署は庁舎を郡上白鳥に移転してしまいました。 さらに森林管理署に改組された現在当地は高山市内の飛騨森林管理署(旧高山営林署)管轄となっています。 未舗装の林道ですが何やら別荘地のような場所もあり何となく場違いな感じも覚えつつ行くと木製電柱に営林署の名

履歴

[21] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529294248

メモ