森茂

森茂

[1] 森茂

36.161523373495 136.977195739746

Webページ

[2] 森茂川流れ込みと六厩橋・源流にいた獣と御母衣湖での恐怖の体験, , http://doyano.sytes.net/keiryu/33/index.html

森茂峠を越えて森茂川へ

森茂川へ車で行こうと思うのなら、高山市清見町・小鳥川方面より森茂峠を越えるしか方法がありません。

ただし、林道にはゲートがあります。

また、道路は崩落していて途中までになります。

国土地理院・1/50000の地図では、御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、

森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、

この道路はすでに昭和45年頃から土砂のため埋没しています。

車は通る事はできません。

自転車も難しい。

徒歩でも過酷です。

50年程前までは、集落に人が住んでいて、流れ込みあたりまで車で行けましたが、

現在は、廃村となり人は住んでいません。

このため道路は手入れがされておらず、

峠から1.5キロ下ったところで道路が滑落しており車はここまでです(地図参照)

森茂峠には地蔵堂があります。

地蔵堂の中には天明年間に建立された、お地蔵様が奉られています。

今でも、人里から離れたこの地蔵堂に花が供えられています。

かって、この地域に住んでいた人が、今でも地蔵堂にお参りをしています。

森茂川流域に住んでいた人々は、昭和35年頃に道路が整備されたとともにこの地を離れてしまったそうですが、

当時の住居跡が森茂川流域に残っています。

この地では縄文時代の遺跡も発見されており、随分と古くから人が住んでいたことがうかがえます。

釣りには関係の無い話かもしれませんが「森茂川」に興味が沸いて色々調べてみました。

森茂峠についてはこちらで▼詳しく案内されています。

飛騨の峠・建設省中部地方建設局・高山国道工事事務所

森茂川流れ込みを目指しカヌーを用意したが、風が強く断念。

御母衣から小鳥ダムまで行き峠を越える。

御母衣ダム湖からカヌーを使って流れ込みへ行く計画でした。

一旦は御母衣ダム湖の東湖畔側の隋道付近まで行きましたが、

残念な事に風が強くカヌーを漕ぐには危険な状態のため、小鳥川

まで戻って峠越えしました

移動に多くの時間を費やしたために、既に時間は12時を過ぎています。

森茂峠から1.5キロほど下ると右岸へ渡る橋があります。

ここには既に車が7台ほど停めてありました。

車を降りて流れ込みへと続く道路の状況を確認すると、

道路が滑落しており車が通行出来る状況ではありません。

停めてある車はここで車を降りて、それぞれの

[3] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main2.html

綺麗だ…。

出発地がある小鳥川の谷間を見事な雲海が覆っていた。

足元に発する「なぶし洞」のV字のシルエットもまた美し。

この景色に祝福されつつ、森茂峠は極まった。

8:05 【現在地】

林道の入口から3.3kmの地点で、本日行程の最高所である海抜1112mの「森茂峠」に到着した。

ちなみに、これまでフリガナをふってこなかったが、「森茂」の読みは「もりも」である。

あと、前に「六厩」の読みを「むまい」としたところ、「むまや」が正解ではないかというご意見を頂いた。

なるほど、いまは「むまや」が一般的なようです。訂正したい。(「むまい」は旧版地形図にある読み方)

峠はどこにでもありそうな掘り割りだったが、結構深く切り下げられている。

登ってきた東側は谷が大きく開けているのに対し、これから向かう西側にはちょっとした広場があるようだ。

また、一本の杉の木がぴょこんと正面で目立っている。

広場と思った場所は、別の林道との分岐地点であった。

本線は真っ直ぐで、左へ行くのは支線だろうか。

標識もなく路線名は分からないが、地形図では3km以上も尾根に近い所を縦走して行き止まりになっているようだ。

私はもちろん直進する。まだまだ轍の数は衰えていない。

そして、存在感のある杉の根元に小さな祠が祀られていた。

立ち寄っていこう。

この言葉は曖昧すぎると思いながらも、同じ日本人なら分かってくれるだろうと信じて使う。

これは“好ましい感じ”のする峠の祠だ。

祠自体というよりも、置かれた峠というシチュエーションが心に響く。

峠に神さまを祀るというのは古くから日本人に共通する美意識だったようだが、飛騨地方では今でも数多くの峠に地蔵堂が残る。

一般の交通網からは完全に隔離され、ともすれば忘れられてしまいそうな森茂の峠。

ここに祀られた地蔵には、どんな人々の祈りが込められているのだろうか。

さらに近付いてみよう。

祠には、深い愛情がこもっていた。

格子扉の向こうに、素朴な作りの石地蔵と木彫りの仏像とが、寄り添うように安置されていた。

クッキーの缶を改造した手作りの賽銭箱が置かれていたので、今日はいつもより大きな加護を祈願して100円を投入した。

扉の上に、年代の異なる3枚の額が掲げられていた。

1枚目は、賽銭箱に集まった浄財をもって平成元年に祠の屋根を掛け替えた

[14] 森茂 2002年 5月5日, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a15s2.html

森茂 2002年 5月5日(日)

友人の I氏と 約20年ぶりに 森茂を 訪れた。

2002年 5月 右が 森茂村跡

森茂林道入り口 青が道 ・ 赤が崩れた道

赤が 崩れている カ所で 車通行は 不可

2年ぐらい前の集中豪雨で この谷間が 変貌したようだ

大谷橋を脇に 森茂峠を下って 崩れた道

左が御母衣方面 右が森茂への道

森茂橋

森茂橋から数百m進んだ崩れた道

森茂村手前の崩れた道

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[15] 道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路), , http://yamaiga.com/road/akimati/main.html

右の地形図を見て欲しい。

これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一本の橋が描かれている。

橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。

「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。

橋を中心に3本の道が存在する。

一本は南西へ、一本は北へ、一本は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。

これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。

3本が、3本とも廃道になっているとのことである。

現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。

だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。

この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。

そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸の、かなり山へ入り込んだ峡谷である。

一見するとダム湖の左岸を通行している幹線道路(国道156号)から離れていないのだが、実際は湖を渡る橋が少ないために、近くはない。

橋から伸びる3本の道は、それぞれが別の終点を持っている。

最も短距離である「右岸ルート」でさえ約13km、次ぐ「森茂ルート」で約14km、「六厩ルート」が約15kmもあるのである。

この橋の情報提供者は過去に二人いた。

一人(原付3種氏)は約10年前にバイクで右岸ルートから橋を目指し、果たせずに途中で断念をしたという。

もう一人(パンダ使い氏)は約4年前に自転車で六厩ルートから橋を目指し、見事に達成した。

だが惜しくもそこで時間切れとなり、来た道を引き返したのだという。

(お二人がその後再挑戦されていたとしたら申し訳ないです。その場合ご連絡下さい。)

原付3種氏はさらに、この橋を紹介した数少ない(恐らく最初の)サイトとして、『冒険伝説』というサイトを教えてくれた。

その管理人のt.s氏は、今から約11前にバイクで森茂ルートに進入し、途中から廃道を徒歩に切り替え橋に到達。

それを渡って、さらに右岸ルートの秋町隧道まで到達して、引き返した模様である。

時期が古いせいもあり、決して豊富な画像で綴られているわけではないのであるが、橋の姿をモニタ越しに見た私は、トリハダがたった。

そして、強く

[17] 森茂, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a10s2.html

森茂

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある

そのダム東に 廃村になった部落 森茂(もりも)がある。

森茂 奥の 行き止まりの 谷・一之谷 二之谷 三之谷かは不明

1戸の朽ちかけた廃墟を見た

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[18] 村道を往く(第二回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15064560.html

「林道&廃道」書庫の記事一覧

飛騨の江戸街道

2011/12/29(木) 午後 11:17

続・利賀巡礼

2011/10/2(日) 午前 0:34

春のお散歩♪(後編)

2011/4/25(月) 午後 11:46

春のお散歩♪(隧道編)

2011/4/21(木) 午後 11:12

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2011/4/17(日) 午後 8:48

冬の隧道ツアー再訪編

2011/3/1(火) 午後 10:45

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双六谷を往く(最終回)

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双六谷を往く(第三回)

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[19] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[20] 毎日ボンクラな毎日です, , http://weinzel.web.fc2.com/log1110-1112.htm

2011年10月〜2011年12月の日記 トップへ

2011-12-31

・あっという間に

今年ももう終わりですね。1年間の体感速度が年々速くなっている気がしますよ。今年を振り返ると、やっぱり登山に関してはあんまり登れてなかったですね。その分1回の登山が濃かった気はしますが。

スカイラインは走行距離18万キロを超え、来年車検ですがまだまだ乗る感じで。

そういえば今年はiPhone買ったのが大きいです。電池が持たないのが弱点ですが、DropBoxやFieldAccessなど、素晴らしいアプリもそうですが、iPhoneが自宅の無線LANに繋がると撮った写真が自動的に自分のPCに入ったり、とにかくスマートです。もっと使いこなしたいですね。

ちなみに、自分のおもちゃのつもりで買ったタブレットPCは…

文字通り甥っ子のおもちゃと化しました。

2011-12-30

・登り納め

さて、今年最後の登山は大文字山です。当初は去年同様に御来光を拝むつもりでしたが、色々あって6時45分銀閣寺付近の駐車場からスタート。まぁ天気が曇りなのでどのみち見れなかったっぽいですが。

近所の適度な散歩コースなのか、この時間に下ってくる人が結構多いです。7時20分、大文字焼きの火床に到着。

京都市内が一望出来ます。雲りっちゅうか雪が降っていますけど。

7時45分、山頂着。

う〜ん、相変わらず見えませんな。いまいちスッキリしませんが、まぁ、こんな時もあるさー。

せっかくたくさんルートがあるのに同じ道で帰るのも何ですし、かといって南に下りすぎると車まで戻るのが大変なので、一つ下の霊鑑寺に出るルートで帰ります。登りの道はトレッキングコースっぽいですが、こっちはやっぱりマイナールートらしく、普通の登山道のような感じです。市街地に出たら、哲学の道をちょいと歩いて9時前にゴール。

今回の行程図。やっぱり便利なアプリだな。

2011-12-23

・NETSUKE #001-044

前の携帯と比べて、iPhoneは横幅は広いのですが厚みが薄いのでポケットへの収まりは意外と良いのです。しかし幅の広さと、ストラップが付けられないことも相まって、電話が鳴ってもなかなか取り出せないこともしばしば。

そこで…

コネクタの横のネジを利用してストラップを付けられるアクセサリ。

1800円と高い

[21] 森茂 六厩側: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/195100288.html

明るい時間の六厩川沿いの林道を行ってみます。 入口で工事が有って、結構待ちました。 もう9時20分です。 天気は悪いですが紅葉が綺麗です。 綺麗な道をどんどん進みます。 廃別荘地みたいな場所も通過します。 六厩川の流れです。 大蓑谷林道の分岐まで来ました。 こちらが大蓑谷林道の方。 ちゃんと看板が有ります。 例の南京錠。 もう番号も分かっていますが、今回はパス。 さらにどんどん進みます。 間もなく六厩赤谷林道との分岐に来ました。 こちらは本線側のゲート。 そしてこちらが六厩赤谷林道のゲートです。 「違反者の無い事を祈る」 なんだか素敵です。 大自然の中の渓流で釣りをする人に 悪い人は居ないと思います。 本線のゲートには例の南京錠ですから、ちょっと 車ごと失礼させて頂き、さらに進んでいきます。 ところどころに砂防の処置がされています。 この砂防、なみなみと水が一杯。 まだまだ道はとても良い状態です。 ここは六厩川二級林道へのT字路です。 明るい時間に来ると、見る物が多くて時間が かかる気がします。 こちらが六厩川二級林道方面。 夜中見るととても荒れているように見えましたが そうでもないようです。 これも今回は見送ってさらに本線を進みます。 まだまだ車で進むことが出来ます。 あんな場所に林道が見えています。 望遠で見てみます。 結構新しそうなコンクリートが見えます。 2009年12月9日の夜中にここでUターンした と思われる場所まで来ました。 先ほど山の上に見えていた林道の答えです。 ここに分岐が有りました。 大原谷林道と言うようです。 後ほど行ってみましょう。 ここからはいきなり、使用されていない感たっぷり の林道です。 でも4駆なら難なく進めます。 しかし、廃な雰囲気の結末はすぐにやって来ました。 道がごっそり無くなっている! 歩いてすら難しそうです。足をかける場所が無い。 ここから六厩川橋までは7kmくらいは有るでしょうか。 今の軽装備では私の立っている位置から一歩も前へ 進むことが出来ません。 六厩川橋を拝むにはそれなりの装備で来なければ ならないようです。 恨めしく六厩川の流れを見ながら元来た道を 戻ります。

[23] にしみやうしろ仮駅 古川営林署大谷山森林鉄道~その1~, , http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-182.html

高山市清見町(旧・清見村)大谷山にあった古川営林署の森林鉄道2級線です。 1933(昭和8)年の開業時は古川営林署も荘川営林署と同じく大阪営林局の管轄でしたが、林政統一後に名古屋営林局に所管替えされています。 起点は大きな枝垂れ桜があるお寺がある長閑な集落。 かつては地区内に営林署の大谷山事業所があったはずですが今ではどこだったのか分かりません。 この山の向こうは荘川の森茂線が通っていたところ。 御母衣ダム完成後、荘川側からアクセスが難しくなった森茂国有林は古川署に移管されています。 林道起点側から振り返るとこんな感じ。 後方の山中をトンネルで東海北陸自動車道が抜けています。 集落の外れから大谷山林道が始まりますがいきなり勾配がきついので林鉄跡をそのまま利用したわけではなさそう。 林鉄は片野川沿いに金山谷へと延びていたと思われますが・・・ 林道標拡大~ 林道起点の数m手前から分岐する怪しげな平場。どうやらこちらが林鉄の軌道跡のようです。 現在は細い水路が通されています。軌道跡に巡視路と水路を置くと幅も丁度良く勾配も緩いので具合が良いようです。 他の林鉄でも軌道跡が水路に利用されているのを何度か見かけましたね。

[24] 艨艟ノ棲処−森茂林道と秋町隧道, , http://moudou.hatagashira.com/moudou/motercycle/kdx/kdx_touring_report/20100504_kdx_morimoakimachi/20100504_kdx_morimoakimachi.html

地図で見て、昔からとても魅力的に思っていた御母衣ダム周辺の林道。マシンと時間がなかなか合わず、何年も行こうと思っていて実現しなかったのだが、実は昨年、ようやくに走ってきた。

で、だ。御母衣ダム周辺林道のどこへ行こうかと思っていたかというと、まずはここ。 地図を左上から右下へ横切る細い線は尾根上を走る林道で、これは関係ない。問題は右上から左下へ、途中で切れている道だ。古い地図(といっても平成の始め頃まで)には、この部分に隧道があるのだ。未舗装(たぶん)林道の先に現れる謎の隧道。なんかもう、想像するだけでワクワクしてくる。

加えて、その地図を更に左上へ辿ると、川を渡るところに橋が架かっているのが分かると思う。

だがしかし。橋へ至る左下からのルートは、件の隧道のところで切れている。そして橋の右(東)から来るルート、上(北)から来るルートは、いずれも途中で林道が終わり、細い線(徒歩道)となっている。

どう?ドキドキしてきたでしょ。

こうなってくると、廃(?)隧道

と橋をこの目で確かめたくなるのは人情というもの。で、さっきも言ったように、行たのである。

だがしかし、その結果はレポートにまとめる程の成果も得られず、分かりやすく言えば「惨敗」である。南から廃隧道を目指したルートは、激藪のためKDXどころか徒歩でも進めず。東から橋を目指したルートは、途中で路盤が消失(落ちて)していた。やむなく再挑戦の時期を狙っていたのだが、その間に、こっちのサイトで先を越されてしまっていた(一時期、アムンゼンに先を越されたスコットのような気持ちだったのは事実である)りして、ややテンションは下がり気味だった。

しかし持つべきものは友である。昨年の状況を聞いたリターンライダーKDX氏が、是非行きたいという。ならばと今年、再挑戦してみることにしたのである。

さて、廃隧道と橋へのアプローチだが、昨年は南からの六厩林道、そして御母衣湖沿いの秋町林道のコースを取った(両方とも失敗したが)ので、今年はまだ走ったことのない東からのアプローチ、森茂林道を通ることにした。

さて、途中は飛ばして森茂林道の入口がここである。延長は15km(!)とある。これがここから橋までの距離なのだ。

急勾配の九十九折れを10分ほど上がって行った先に森茂峠がある。峠の祠はきちんと清掃されているところから、それなりに

履歴

[27] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529288440

メモ