トンネルを抜けると廃道だった。
こんな書き出しの文学作品があったら読んでみたいだろうか。
このシチュエーションは色々な意味で象徴的であり興奮を覚えるが、文学を語るにはいささか土臭すぎないだろうか。
やはりここはオブローダーの世界だと思う。
この先は、「内ヶ戸歩危」(うちがとほき)と呼ばれる“難所”であった。
「歩危」は字の如くの危険地帯を現す方言地名で、白川村誌は村内4つの代表的な歩危を挙げている。
福島歩危、平瀬歩危、内ヶ戸歩危、下田歩危だ。
内ヶ戸村名義は、此村東方白川激流高岸に臨みて住人家にて、岸にそひて通ふ路もなければ、三方嶮しき山の包み周らしたる故、内之處と名づけしなるべし。然る村故に、南方飯島村の下田へ出るにも、北方椿原村へ出るにも、嶮難の山路を、上りつ下りつ、打越て通ふを、内之處歩危と言て、諸人いといと苦みて、福島歩危にもかはらぬ難所なりとて、越中城ヶ端歩荷も、此嶮路を避て、曲渓の四十八瀬を渉渡して、美濃国へ往来することなり。
土地に慣れた歩荷(ぼっか)たちでさえ避けたという内ヶ戸の難所は、現在椿原ダムの湖底に沈んでいるはずである。
だが、おそらくはその直上に付けられたであろう旧国道もまた、“車危”とでも言うべき危険を強いた。
結果、狭隘で線形も良くなかった「馬狩橋」の架け替えと絡め、開通から20年足らずで現在のルートへ切り替えられたのだ。
今回は、この内ヶ戸歩危にて、最善を尽くす!
2009/4/30 15:18 【現在地】
で、
気付いたときにはもう、
ここにいた。
この崩壊現場は、青と白と黒が主役の、美しい現場だった。
恐怖を感じるよりも先に、自らをその場に置きたいという衝動に駆られた。
だが、そのような激情に従うだけならば、私はとうに故人である。
半ば身を委ねながらも、咄嗟に身軽になるくらいの冷静さは有している!
というわけで、今回は自転車とリュックを、まとめて大放出だ!!
彼ら無くして本来の「旧道巡り」は出来ないが、身重のままこの「歩危」斜面に挑むことのリスクは、湖面へドボンという救われない結末を予感させたうえ、上手く目前の難場を突破できたとしても、崩壊箇所はひとつではない可能性がある。(予感と言っても良かった)
また自己分析すると、私は最初で引っ込みが付かない場合、無理に最後まで行く悪癖があるのである。
ここは、冷静である