国道401号

国道401号

[1] 国道401号

Webページ

[2] 国道401号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93401%E5%8F%B7

国道401号(こくどう401ごう)は、福島県会津若松市から群馬県沼田市に至る一般国道である。

[3] 国道401号線 昭和村~会津若松市 2013/9/19, , http://www.youtube.com/watch?v=R3uJYQR8GZw
[4] 国道401号線 尾瀬大橋|Hi-ROAD, , http://ameblo.jp/hi-road/entry-11601356913.html

今回は尾瀬を目指してみました。

ところが、尾瀬ヶ原や尾瀬沼ってそうそう簡単にいける場所ではないんですね、、、恥ずかしながら知らなかった。

車が入れないのは知っていましたが、歩いて何時間もかかってやっと湿原にでるという。

だって地図では尾瀬沼の近くまで道が通っているじゃないか!

そうなんですそれが地図と現実の違いなのです。

一番楽しいやつですね(笑)

時間が少ないためやはり偵察といった感じで今回の「旅」も始まります。

ここが国道120号線と401号線が分岐し401号線の終点へ向かう道。

尾瀬大橋が見えてきました。

見てください。

何気なく見えているここからの区間は40km/hですよ。

この標識が変貌を遂げます。

この交差点が重複していた国道120号線と国道401号線が分かれるところです。

「鎌田」の信号の標識に小さく120と書かれているでしょ。

そしてここから橋を渡る道は国道401号線ですよと。

国道401号線はこの先「尾瀬」で途切れます、それは環境問題のために道を通せなかったからです。

橋をわたりながら説明します。

国道401号線

起点 福島県会津若松市から北柳原交差点、国道49号線との交点。

只見の手前で尾瀬方面へ国道401号線は進路をとりますが、尾瀬周辺が国立公園特別保護地域で車道が通せないばかりか、歩道以外の場所も立ち入りが禁止されている。

終点 群馬県沼田市、国道17号線との交点。

路線延長212kmに対して実延長87km。

未共用延長23kmというよだれが出そうなスペック。

群馬県と福島県は隣り合う県なのですが車道が通っていないんです。

だから群馬県から福島県へは車でいけないんですよ、おかしいでしょ。

それはこの「尾瀬」を挟んでしまった運命なのです。

分かれる国道120号線はこの先日光方面へ向かうが、ロマンチック街道になっているためいろいろ規制がある。

おそらくこのアンカーは問題おおありなのだろう・・

だってほとんど留まってないといっても過言ではない。

橋から下を覗き込めば、涼しげな景色。

こんな草と水がふと癒されること自体が病んでいる証拠なのだろうか・・・

そして道端には境界標が。

当然群馬県の国道なので「群巾」ですよね。

大体は県名が「千葉県」とか「埼玉県」とか彫られているのですが、群馬県は特別で「群巾」となっているんです。

この先メロディーライン

[8] 国道401号線(博士峠)冬季通行止のお知らせ - 会津美里町, , http://www.town.aizumisato.fukushima.jp/news/detail.1.16005.html

国道401号線(博士峠)が冬季通行止となりました。

期間 平成26年1月10日 午後7時から当分の間

積雪による全面通行止

なお、詳しくは福島県道路総室及び福島県会津若松建設事務所の雪道情報にてご確認ください。

通行止に関するお問い合わせ先

福島県会津若松建設事務所 管理課

TEL 0242-29-5451

[9] 道路レポート 十二ノ森公園の謎の道, , http://yamaiga.com/road/ozetokura/main.html

ちょっと右の地図をみておくれ。

愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。

「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか?

麓の道からは140mくらい高いところだぞ。

それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。

もしかして廃公園とか、そういうのか?

何となく気になったので、行ってみた。

<この場所について>

ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。

2010/8/23 14:39 【現在地】

私がここに行ったのは8月末の平日だが、一応学生は夏休みの時期である。

そのせいだろう。明らかに尾瀬界隈の通行量は沿道住民の往来を超えていた。

特にここ戸倉は、尾瀬ヶ原へ続く鳩待峠のマイカー規制に伴うバス乗り換え地であり、お土産物屋なども多いことから、混雑といってよいレベルの通行量があった。

写真の地点は戸倉の中心部、尾瀬ヶ原へ向かう県道63号と尾瀬沼へ達する国道401号の分岐地点手前で、右側に駐車場や土産物屋などが所狭しと並んでいる。

そしてその一角に、「十二ノ森公園」の真新しい案内板が建っていた。

「ああ、なるほどね。」

さっそく謎は解けてしまった。

地図に道が描かれていなかったのは、単に公園が出来たばかりなので間に合わなかったのだろう。

この巨大な案内板からは作りたての匂いがするし、とうてい“廃公園”という感じではないことが分かった。

これは流石にボツかな…。

ん?

なにやらトンネルが有るようだ。

公園の中の遊歩道に。

しかも、この案内板を信じるなら、それなりに長いトンネルのような気がする。

公園に長いトンネル。 なんとなく、“変な風景” が期待される。

まあ、せっかく来たんだし行ってみよう。 「並木トンネル」へ!

というわけで、結局は十二ノ森公園というところに行ってみることにした。

案内板がここにあるくらいだから、それはすぐ近くにある。

左の写真は国道と県道の分岐地点で、私は左の沼田方から来

[11] 尾瀬紀行(9)尾瀬 「点線国道」, , http://sky.geocities.jp/orimasa0225/oze-hiuti5.htm

国道401号線標高図 (「道中閑有り」;http://www.hyokozu.jp/henshu/ さんから借用しました)

因みに・・、 隣県同士でお互いの県へ車で行き来するための車道が無いのは、全国で群馬県と福島県のみであるらしい。 尤も、群馬県と福島県が接している総延長距離は20kmに満たない。 この県境の中心に尾瀬沼があり、西には尾瀬ヶ原が広がる。

その昔、群馬県の沼田市から、尾瀬沼を通って福島県の会津若松へ至る道は群馬側からは会津街道、福島側からは沼田街道と呼ばれ、会津と上州を結ぶ交易路とされていた。

交易が盛んに行われていたのは江戸期のことで、初代沼田城主の真田信幸(信之;真田家当主・真田昌幸の子。 公式には上田藩および松代藩の初代藩主)が戸倉に関所を設けたのち、路の整備を行ったとされている。 交易された物資は、会津側からは米や酒、上州側からは油や塩・日用雑貨などで、尾瀬沼のほとりの三平下のあたりで中継されていたという。

また、幕末の戊辰戦争(1868年)の際には会津軍と征東軍が会戦しますが、最後まで抵抗した会津軍は、沼田街道を通って征東軍が侵攻してくることに備え、大江湿原辺りに防塁を築いたとされる。 その名残りが現在でも大江湿原に馬蹄型として見られるが、結局は会津軍は尾瀬を越え、戸倉で交戦になったため、この防塁が使われることはなかったという。

現在、この街道は尾瀬を通る国道401号(沼田街道・会津街道;重複区間あり)として、沼田市から会津若松市に至っている。 但し、檜枝岐地区の七入、赤法華、沼山峠休憩所、尾瀬、そして片品村の三平峠、岩清水、一ノ瀬休憩所、大清水までの区間は登山国道、点線国道などとして知られる。 (但し、この歩道区間は国は群馬県、福島県両県に保守、管理を委譲し、直接的には関与していないため、正確には国道指定はされていないらしい)

点線国道とは、国道の車両通行不能区間における国道指定された連絡路(海上国道を除く)のことで、同じく群馬県内では上越国境谷川岳山麓を通って清水峠から越後へ通じる国道291号、通称・清水街道がある。 この区間は、歩行でも一部通行不能部分がある。

小生のH・P 「上越国境・谷川岳」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/kokkyou.htm

次回、古代の「尾

[12] 尾瀬片品 - 毎日送電線 鉄塔旅日記, , http://d.hatena.ne.jp/sarumaruhideki/20100904/p1

尾瀬片品

スズラン柱

先週に引き続き尾瀬の入口、片品村へやってきた。先週のハイキングで戸倉の手前の送電線と発電所がとても気になった。車窓からちらっとスズラン柱が見えたのだよ。

最初の訪問地は鎌田から戸倉方面に入りすぐの鎌田発電所。道の際に黄色いとんがり帽子を2つ付けた鉄構が立っている。

発電所の導水管は太い管と細い管が1本ずつ。後ろの山の調整池から下りている。建物は前面に大きな窓があって発電所というより、大きな公民館といった印象。154KVの無人発電所だ。

発電所からは鎌田線と越本線が延びている。鎌田線は奥の山の上に送電線を上げている。需要地へと結ぶ線だろう。越本線は道を隔てて立ち、1本だけですぐ横の片品変電所へと送電線を下ろしている。こちらは配電変電所と思われる。

そしてもう1ルート送電ルートがある。片品川沿いに尾瀬の方向からやってくる1回線の戸倉線だ。電圧は33KV。奥の発電所からやってくる送電路に違いない。33KVとは東京電力では珍しい電圧だ。

戸倉発電所周辺の鉄塔は鳥居型かスズラン柱という構成。これが今回のお目当てなのだ。

発電所付近では鳥居型もスズラン柱も木柱で、鹿の害を防ぐためか一面に網で覆ってある。

戸倉線 84-1号 変電所横に立つ引き留めの鳥居型木柱。下の方は木柱を3本束ねている。鉄塔札には「昭 63.10」と書いてあるが、小さなプレートがもう一枚貼ってあり「建替 昭63.11」とある。1ヶ月で建替とはいったい何だろう。

[13] 公報check(2016年6月) ( その他趣味 ) - Yahoo!ブログ 道徒然話 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/kasuga_3z/13761570.html

下手な写真と文章で、主に「道」、ちょっと「鉄・ゲーム」でウェブサイトと同時並行でやっていこうと思った次第であります。

[14] 戸倉, , http://www.nautis.org/page074.html

独立行政法人水資源機構によって昭和57年に計画され、完成すれば重力式コンクリートダムでは福島県の奥只見

を抜いて提高1位になるはずだったダム。

用途としては片品川、利根川流域の洪水調整をするとともに、異常渇水が起こったときの河川流量維持、及び群馬

県渋川市、埼玉県、千葉県、東京都の水道用水を供給するはずでした。

[15] 利根川水系幻のダムめぐり - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/160729197070_2.htm

続いて向かったのは、沼田市で利根川に東から合流する片品川の上流。この片品川の流域には現在、薗原ダムという中規模のダムが設置されているけれど、計画ではあと3基のダムが建設されていたかも知れなかったという。

その中でもっともプロジェクトが進行していたのが、片品川本流の上流に計画されていた戸倉ダムだ。

沼田市街から片品川の上流を目指すと、かなり遡ってきたのに走りやすい道が続き、立派な橋もいくつか架かっている。実は工事開始に向けて、工事用車両が走れるように道を改良してあるのだ。1982年から着手された戸倉ダム建設プロジェクトは、そういった下準備をいろいろと済ませ、あとはダム本体の建設工事を行うだけ、という段階でやはり公共事業見直しの波に巻き込まれ、2003年に事業が中止になった。

履歴

[19] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054528743613

メモ