小牧ダム

小牧ダム

[1] 小牧ダム (こまきだむ)

36.55677778 137.0082222

Webページ

[3] 小牧ダム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%80%E3%83%A0

小牧ダム(こまきダム)は、富山県砺波市庄川町小牧にある水力発電用のダム(重力式コンクリートダム)。庄川水系のダムで関西電力が管理している。

[4] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main.html

【所在地(マピオン)】

随分久々になってしまったが、“越中五箇山”を巡る道を、また少し語りたいと思う。

越中五箇山、或いは単に五箇山(ごかやま)とは、日本海に望む北陸の砺波平野から山を隔てた内陸部、庄川水系に属する山峡地帯の歴史的広域地名であり、平成の合併前に存在した富山県東礪波郡旧平村、旧上平村、旧利賀村の地域を指す。現在はいずれも南砺市に属す。

そしてこの名は、中世の平家落人たちによる開村伝説を持ち出すまでもなく、平成7年にユネスコの世界文化遺産にも指定された合掌造り集落に代表される独自性と秘境性を併せ持った地域名として、現代なお広く用いられているのである。知名度の面において、北陸を代表する“秘境”ではないだろうか。

だが、現在の五箇山は山村ではあっても、飛び抜けた秘境というにはあたらない。

右の地図を見てもらえば分かるが、五箇山は地理的に見てさほど平野から遠い場所ではないし、今ではその平野と繋がる3本の国道が地域内を縦横し、いずれも積雪期においても通行が確保されている。さらには高速道路も開通した。

実際、いちばん内陸寄りの旧利賀村地域だけは少し遠さを感じるが、それ以外の地域は(少なくとも私が体験した夏場であれば)かなり気軽に訪れる事が出来るのである。

しかし、今の秘境らしからぬ便利さは、これまでの国道整備に依るところが大であり、むしろそれがほとんど無二のものである。

そして、これら国道が現在に近い状態で完成した時期は、いずれも昭和50年代以降と、さほど昔ではない。

例えば五箇山を走る3本の国道の中心的存在といえる国道156号でさえ、庄川〜祖山ダム間が冬も通れるようになったのは、昭和52年である。

それまで、旧平村や旧上平村の住民は、毎年12月頃から4月頃まで四周を深い雪道に閉ざされ、村に自動車はあっても外へ乗って出る事は出来なかった。

その当時は、庄川の祖山ダム湖と小牧ダム湖を乗り継ぐ村営船や、細尾峠の危険な雪中行軍をもって、辛うじて世界と繋がっていたのである。

そして、今回主に紹介するのは、この区間における国道156号の除雪可能化(無雪化)を実現させた最大の立役者である大牧トンネル(全長1330m、昭和52年開通)、その開通以前の旧国道である。

五箇山が名実とも神秘の秘境であった時代の最後を見届けた国道風景と、失われた車窓、それらとの再開

[5] 大牧温泉 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A7%E6%B8%A9%E6%B3%89

泉質[編集]

ナトリウム・カルシウム - 塩化物・硫化塩泉

源泉温度58.0℃

温泉街[編集]

庄川の上流にある小牧ダム湖岸に貼りつくかのように、一軒宿の「大牧温泉観光旅館」が存在する。

交通手段が船のみであることから、正面玄関なども船着場側に存在する。

大牧温泉には、同源泉を引湯したかんぽの宿「越中庄川峡簡易保険保養センター」が上流側に存在したが、2004年2月末で営業を終了し、現在は大牧温泉観光旅館のみである。

歴史[編集]

開湯は1183年である。開湯伝説によれば、倶利伽羅峠の戦いで敗れた平氏の落武者が、この地で庄川のほとりから湧出する温泉を発見したという。

1930年に小牧ダムが完成した際に、温泉はダムに沈んだ。ダム建設に際して温泉宿は湖面の上に移転し、また源泉を湖面の上まで引っ張って温泉を存続させた。このときに、道路の対岸側に旅館が整備されたが、ダムを渡る交通手段は船以外整備されず、今日まで至っている。ダムによって水没したことがある温泉は、他にも日中温泉、鶴の湯温泉、入之波温泉、猿ヶ京温泉、大塩温泉などがある。

一軒宿は1996年までは日本秘湯を守る会に属していたが、現在は加盟していない。

アクセス[編集]

鉄道:城端線砺波駅より加越能バスで約40分で小牧ダムへ。そこから船で約30分。

ダムを渡る交通手段は庄川遊覧船で運営している船のみに限られており、船でしか行けない温泉として知られる。

舞台となった作品[編集]

島田雅彦の小説 『未確認尾行物体』

辻真先のミステリー小説 『ローカル線に紅い血が散る』

その他、特殊な立地条件から、サスペンスドラマなどのロケ地にもよく利用される。

外部リンク[編集]

大牧温泉観光旅館(一軒宿のHP)

[6] 2010年10月, , http://www.geocities.jp/kyongsea/sub81006.htm

2010/10/31 古地図は面白い

昔の地図を見ればいろんなことが分かる。庄川の大牧と長崎の間に「重倉」という集落があったり、杉尾と栃原の間に「城」「障子倉」「新山」という集落があったことが分かる。杉尾峠が細野峠であったり、ただし蓑谷の上に正谷があったことは記憶している。この絵図では上田が二っ屋となっており、若杉が描かれていない。若杉は行政区画上大鋸屋に含まれていた。(※新山集落は大正末期まで5軒、昭和初期には4軒だったが、昭和9年3月に部落の男性5名と女性1名が井波町へ買出しに出掛け栃原峠を越えて返る途中に表層雪崩に遭い全滅。残された女・子供だけでは生活が成り立たず離村が相次ぎ、残った2軒も昭和30年11月に離村してしまった。※山村調査グループ編『村の記憶』1995年桂書房発行に詳しい。)この地図には新山から赤祖父山を越えて東西原〜西明〜北野を通って城端に至る新山峠道も描かれている。

2010/10/30 杉谷峠

今まで行ったことがなかった、行く必要のなかった(はっきり言って知らなかった)昔の峠道を急に訪ねてみたくなった。腰切岩へのアプローチには及ばなかったが、杉谷峠から見る利賀川周辺の眺めは初めて見る角度だった。一向一揆に思いをはせながら瑞泉寺〜旧利賀街道や浅野総一郎が尽力した小牧ダムを改めて眺めてみるのも悪くない。小牧ダム建造当時の写真展「浅野総一郎と小牧ダム」が庄川ふれあいプラザ(砺波市庄川町金屋)で行われている。(約1年間) 古い地図を見れば小牧から仙納原大橋の間は道がなかったことが分かる。

[7] 橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) , , http://yamaiga.com/bridge/toga/main4.html

6:20 【現在地】

前回はほとんど即座に橋上へと吸い込まれた私であったが、改めて橋のたもとを探索してみた。

まずはこれ。

初遭遇時から何気に存在感を演出していた、このコゲチャビン。

……う〜〜ん。

わ か ら ん。

何の標識だったんだろう。

まあ九分九里、重量制限であったろうが、肝心の数字が読めないのでは何とやらだ。

こればかりは、科捜研に来てもらっても解決せんだろうな(笑)。

あとこれ。

タイヤ!

廃道が、何によって通られていたのかを如実に示す、“死に”証人だ。

このタイヤは、乗用車ではないな。

2〜4トンくらいの貨物自動車用のタイヤっぽい。

つうと、結構大きな車もこの橋を渡っていたと言うことになるのだろうか。

道幅がちょうど2mくらいしか無い上に、吊り橋部分の床板はおそらく木造だったろうから、かなり怖々渡ったものだろう。

もっとも根本的な問題として、このタイヤの主が必ずしも橋を渡ってきたとは限らないわけだが、わざわざ無精な不法投棄者が、この大きなタイヤを抱えて橋を渡ったとは思えない。

とりあえず、たもと周りはこんなもんだろうか。

狭い場所なので、見て回るものはそうない。

これが「橋」の概念図である。

2径間のコンクリートアーチ橋は、おおよそ40mほどの長さで湖上に突出している。

ただし、そこにはちょうど半島状の陸地があり、満水時といえどもアーチ橋部分はほとんど陸橋のようになっている。

前回は橋の上を立ち回って、可能な限りのアングルから撮影を敢行した。

残るは、橋下である。

全ての橋の下を覗くような真似はしない私だが、この橋についてはまだ去りがたい余韻があった。

もう少し味わいたい。

橋のたもとからは、赤い矢印の方向にも道があった。

…ような気がした。

地形的に見てこの方向に道があるはずはないのだが、何となく感じられる平場が、上の概念図で示したような「釣り針型」にカーブして、しかも下降し、ちょうど上手い具合に橋下へと忍び込んでいったのを私は見逃さなかった。

明らかに車道ではない古い小道を下る途中、こんなものを発見してしまった。

おちゃわん…。

……。

橋の上から投げ捨てられたのか?

…な ぜ?

むしろより自然なのは、この小道を歩いていた人間が落としたと言うことではないだろうか。

未だ私が納得する答えを得ていない「古道の謎」のひとつとして、昔

[11] 日本一の秘境!船でしか行けない温泉旅館「大牧温泉」の魅力 - NAVER まとめ, , http://matome.naver.jp/odai/2135602213833059501

日本には、船でしか行く事ができない温泉旅館があるんです!日本一の秘境とも言われる「大牧温泉」の魅力についてまとめました。

更新日: 2013年03月31日

[12] 富山県 庄川温泉郷 大牧温泉旅館 : …風露愚… 温泉宿と日帰り温泉巡り, , http://blog.livedoor.jp/kamiyako09/archives/50374174.html

休日を利用した温泉巡りの日記となっています。 「日本秘湯を守る会」会員宿全制覇を目標とし、温泉地での宿泊時の様子や日帰り入浴施設‥そして地元に根付く共同浴場、更に温泉後に立ち寄った食事処等をアップして行けたらと思っています。

【富山県 庄川温泉郷「大牧温泉旅館」】 URL  宿泊 【photo】男性内湯・露天風呂・女性内湯・(中浴場・大浴場) 庄川湯谷温泉」での立ち寄りをし、小牧発2時30分遊覧船乗船、ここから30分の庄川遊覧となります。 立ち寄り湯のみのお願いをされる方も多いそうですが、大牧温泉さんは「昼食付日帰り入浴」(要予約)と宿泊のみの受付となっています。 今から800年程前、砺波山の合戦に敗れた平家の微笑が源氏の追撃を逃れる際に発見し刀傷を癒したのが始まりと言われる温泉地は、 かつて、この峡谷にも村落があり、村人の湯治場として宿を営んでいたそうです。そして昭和5年の小牧ダムの完成とともに村落は湖底に没したものの、一軒の温泉宿だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残される事となってしまいました。 そこで、多くの村人から愛された温泉を何とか続けようと豊富に湧き出る源泉を湖底から採りこみ、船と言う交通手段を頼りに再興されたそうです。 ダム湖岸辺に建つ建物前をぐるりと迂回、乗客を楽しませた後は「大牧温泉船着き場」に到着。 宿前に設けられているのは、専用の釣り場や清水の飲泉場等。 ぴかぴかに磨きあげられた館内。 下船客で混み合う帳場で、記帳を済ませた後は、2時間ドラマや温泉番組で訪れた、たくさんの俳優、タレントさんの色紙の飾られた廊下を通って部屋へと。 奥へと延びる館内中程に食事処、そして大浴場と男性露天風呂出口。その先に女性中浴場。 宿泊は館内一番奥となる「山亭」。 女性露天風呂への通路先「山亭」には同じ間取りの部屋が4部屋。 二階角部屋「穂高」八畳二間。バス・トイレ付。TV・金庫あり。 窓から見る庄川と露天風呂への通路。 館内平面図等。 浴室は男性が大浴場と露天風呂。女性が大浴場・中浴場・露天風呂(浴槽2) 男性露天風呂通路とお休み処が設けられている大浴場前。 男性大浴場。 男性露天風呂。 裏山の石造りの階段を登る露天風呂。ここからは 残念ながら、景色を楽しみながらの入浴は困難な模様…。 女性同様に、熱めのお湯だったそうです。 男性露天風呂からは、ぐるりと回って、

[13] 小牧ダム 小牧湛水池, , http://www.atw.ne.jp/~suwa_h/Damuko/Komaki/Komaki.html

庄川水系庄川 小牧ダム 小牧湛水池         2011/10/09

更新

富山県砺波市庄川町小牧にある小牧ダム湖、ダム本体は戦前に作られたアーチ式ダムで17門のラジアルゲートを備え

当時は東洋一のダムと言われた。現在は国の登録文化財に指定されている。関西電力の発電用ダムで最大出力は小牧水力

発電所で認可出力82,200kW(完成時72,000kW)となっている。ダム湖名は小牧湛水池で流域に沿って長く、総貯

水量は37,957,000m3、有効貯水量は18,858,000m3。

小牧ダム建設にあたっては庄川流木事件が発生している。富山県氷見市出身のセメント王、浅野総一郎が小牧ダムを計

画したときに起きた事件でダムができると木材業者は木材を流せなくなり、大損害をこうむると反対した事件で、争いは

裁判となり、庄川の使用権をめぐって約8年にわたって争った。その結果、木材運送の権利が認められ、それを侵害した

電力会社側に賠償金支払と代替道路を作るよう判決が下りた。

堰堤近くの船着き場から秘湯大牧温泉への連絡船が発着している。連絡船は最近までダムを保有する関西電力の関連会

社が運行していたが、大牧温泉旅館を経営するトナミ運輸関連会社に引き継がれた。

大牧温泉へは船でしか行けないと言われている。かつて国道156号線が未整備で冬期間通行止めとなった頃は五箇山

地区へ物資や新聞、郵便を運ぶ重要な役割を担っていた。もちろん大牧温泉へは車でも行けるが、車1台やっと通れる林

道で危険で温泉利用者が通れる道ではない。やはり船でしか行けない温泉である。堰堤の国道156号線側にシャガの群

生が見られる。堰堤天端から下流には100%掛け流しの湯谷温泉が見える、日帰り温泉は9時〜16時までで、大人5

00円。ダム天端ロッジ風の建物が見える「おまき温泉スパガーデン和園は日帰り入浴が可能で入浴時間は10時から2

2時までで、大人500円、小学生以下300円、第2,第4水曜日は休館(祝日の場合は翌日)

[14] 道路レポート 牛岳車道, , http://yamaiga.com/road/usidake/main2.html

さて、今回こそ牛岳車道の“探索”をしたいと思う。

いま私がいるのは、道路3代(牛岳車道→小牧峠隧道→金屋トンネル)と鉄道1代(庄川水電専用線)が集中する通称「小牧峠」の険だ。

この小牧峠の険を、一番最初に越えたであろう道が、明治23年に開通した牛岳車道だ。

(その根拠は、金屋がスタート地点として記録されていることや藤橋(後述)を通行していたことであり、迂回路は考えられない)

それ以前近世まで利賀道は、右の地図の範囲からは外れるが、1.6kmほど南の杉谷峠を越えていたという。

また、現在の国道156号のもととなる、庄川沿いを五箇山や白川へ向かうルートは、大正時代以降に「庄川沿岸道路」と呼ばれて工事が進められたのであって、それ以前はせいぜい獣道程度であったと伝えられている(庄川町誌など)。

ようするに、今から立ち入ろうとしている小牧峠の旧々道は、牛岳車道由来であるとほぼ断定出来る。

そしてそこで目にするものは、この探索における最初の、牛岳車道のリアリティを持った姿と言うことになる。

2009/4/29 7:00

戦時中に建設された、異形と言うべき小牧峠隧道。

私には意外と思えたが、この隧道でさえ、これまで余りその存在が公に語られたことはなかったらしい(読者さんからのコメントより)。

物理的には現国道と極めて近接しているが、前回解明したとおり西側は寸断されており、また東側の国道接点は、夏になると見通せない藪になるとのこと。

なるほど、タッチの差で「隧道リスト」の選から漏れたこと(リストは昭和42年以前に廃止された隧道は除外してあるが、金屋トンネルの開通は昭和41年である)や、なぜか歴代地形図に記載されなかった(昭和27年版にも記載がない)ことから、今まで余り知られない存在だったらしい。

ということは、この先の旧々道は最大級に“謎めいて”いるのだろう。

現地でそこまで考えるゆとりはなかったが、今思うと相当興奮して良い事例だ。

そんな訳で、小牧峠隧道西口の脇から、若草の茂る狭い平場へと進む。

そこは降り積もった枯れ枝によって柔らかい踏み心地があり、既に路面や路面跡を思わせるものではない。

前方はなおさらで、雪解けからそう経っていないはずだが、既に背丈以上の草の勢いを感じる。

「庄川町誌」によれば、落石が多く年中危険で、特に冬場は交通途絶の原因になった

[19] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main2.html

2009/4/30 8:30 【現在地】

これが、大牧トンネル南口付近から見た、旧道の姿である。

確かに道があったという痕跡は見て取れる。

路肩の擁壁や、その先に続く微妙な平場の断続的連続など…。

だが、直前に見た駈足谷橋の旧道で恐れていた展開は、現実のものとなった。

現道開通後、おそらく速やかに放棄されたと思われる旧道は、豪雪の山腹に放置されること30余年にして、その国道であった過去をまるで喪失してしまったように見える。

良かろう。

望むところ。

季節的には、今がベストシーズンであるはず。

現道がトンネルで失ってしまった庄川峡の車窓を独り占めに出来るのならば、苦労のし甲斐もありそうだ。

とりあえず「大牧とんねる」の扁額が掲げられた坑口から洞門に入り、急な左カーブで90度近く進路を変えると、正面に洞門とは異なるオレンジ色の空間が見えてきた。

出口まで見通す事が出来ないそれは、全長1330mを誇る大牧トンネルである。

そして旧道の分岐は、その本当の坑口の直前にあった。

一応自動車でもここを曲がって、旧道のある“外”へ出る事までは出来るし、禁止もされていない。

ただ、後続車がいたら追突されそうで怖ろしい。

いよいよ、旧道探索が始まる。

初っ端から、これである。

遠目に見た時から予感はしていたが、やはり旧道は完全に廃道化しているようだ。

地形図に描かれていなかった時点で、十中八九分かっていたともいえる。

問題は、その状況如何である。

まず、自転車についてはこの時点で持ち込みを辞退させて頂くことにした。

無事に探索が終わってトンネルの反対側に脱出出来たら、トンネルを歩いて回収しに来れば済むことだ。

多分、この状況の廃道を自転車を持って無理やり突破するより、結果的には短時間で攻略出来ると判断した。

(一番やってはいけないのは、ダラダラと途中まで自転車を持ち込み、回収にまで手こずる羽目になることだ)

早速の道の見失いっぷりに驚かされるも、崩れ落ちた上に突き固められた土砂の山の根本、本来の路面があった辺りに目をやれば、ちゃんとその痕跡を見て取ることが出来た。

見覚えがあるギザギザの構造物は、明らかに路肩の駒止めである。

間違いなく、ここに小さな暗渠を渡る道路が通っていたのである。

これに小さく励まされ、いざ単身、先へ進む。

この先想定される旧道

[21] 庄川遊覧船でゆく大牧温泉「船でしか行けない秘境の一件宿【字幕:caption】 Omaki Onsen (hot spring), , http://www.youtube.com/watch?v=C0ck3jIFG5A

富山県・庄川上流の小牧ダムから庄川遊覧船で約30分。ダムを渡る交通手段は庄川遊覧船のみに限られており、船でしか行けない温泉として知られています。1930年(昭和5年)小牧ダムの完成とともに温泉宿一軒だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残され、現在に至っています。

Omaki Onsen (hot spring) is located in the unexplored gorge area that can only be reached by the Sho River Gorge sightseeing boat.

富山にお越しの際には、是非富山駅北口、オーバードホール2階の蕎麦居酒屋けやき亭に もお立ち寄り下さい。

けやき亭では、座席数最大100名様までご利用でき、大型観光バスがとめれる駐車場(最大5台)が隣接しております。当店は富山駅の目の前にあり、立山黒部アルペンルート、おわら風の盆などのアクセスに大変便利です。

[22] 秘湯 大牧温泉, , http://park7.wakwak.com/~shima/oomaki.htm

2006年3月、縁があって大牧温泉(大牧温泉観光旅館)へ。

宿泊又は日帰りお食事コースだけなので、「日帰りで原則として1,000円以下(^^;)で

行ける温泉」という私メのHP紹介温泉めぐりモットーからは外れるんだけど、せっかく富山が

誇る(^^;)秘境の温泉へ行ってきたのだから、原則を捻じ曲げてでも(笑)紹介するっきゃない。

1183年(寿永2年)今から800年程前、砺波山の合戦に敗れた平家の武将南兵衛藤原賀房が

源氏の追撃を逃れ隠れ家を求めて大牧の辺りをさまよっていた時、河畔からコンコンと湧き出る

温泉を発見し、その湯を口にし湯あみをして創傷の身を治したのが始まりとか。

それから200年後、本願寺五代の綽如(しゃくにょ)上人もこの湯に浸かって浩然の気を

養われたとか。

小牧遊覧船乗場の駐車場は県外ナンバーの車がほとんど。嗚呼! 我灯台下暗し(笑)。

宿に着いてみれば、フロントから各部屋への廊下の壁にテレビロケ、取材等で訪れた有名人の

色紙が(・_・)...ン?十枚も。秘境なのに(秘境だから?)テレビ、雑誌等で紹介されっぱなしですね。

露天はもとより、内湯からもワイドガラスを通して切り立つ断崖やゆったりと

流れる庄川の水面が眺められます。かすかな硫黄臭が温泉気分を満喫させてくれます(*^.^*)エヘッ。

アルコールも入って夜は更け行くけど、ここは山の中の一軒宿・・・。宴会の前も後も温泉へ

入るしかないのが秘湯の秘湯たる所以かしらん( ;^^)ヘ..。

住 所 富山県南砺市利賀村大牧44

電 話 0763-82-0363

入浴料 宿泊又は日帰りお食事コース(入浴のみ不可)

泉 質 ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉

効 能 神経痛・筋肉痛・慢性消化器病等

交 通 高岡駅から下原行バス〜小牧ダム(約1時間10分)小牧ダムから遊覧船乗船〜大牧温泉(約30分)

以下↓の動画を見るときは

Windows Media Player 9 以上(無料)が必要です。

秘湯 大牧温泉

1分19秒 〔登録日:2006/3/25〕 富山が誇る(^^;) 船でしか行けない秘境の一軒宿!

※写真クリックで大きい写真です。このページへは、ブラウザの[戻る]ボタンで戻ってください。

小牧遊覧船乗り場です。[71KB]

国道156号線沿い、小牧発電所の巨大な展示バルブが目印です。[61KB

[23] 御母衣ダム - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%AF%8D%E8%A1%A3%E3%83%80%E3%83%A0

御母衣ダム(みぼろダム)[1]は、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダムである。

電源開発(J-POWER)が管理する発電専用ダムで、高さ131メートルと日本屈指の規模のロックフィルダムである。只見川の奥只見ダム、田子倉ダムと共に「OTM」の頭文字で呼ばれ、同社を代表する水力発電所の一つである。ダム湖は御母衣湖。水没予定地から移植された荘川桜のエピソードでも知られる。

計画の発足[編集]

庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川であり、大正時代から黒部川や常願寺川など近隣を流れる河川と共に水力発電所の建設が進められていた。

1926年(大正15年)に白山水力電気が平瀬発電所の運転を開始したことに始まる庄川の電力開発は、浅野財閥総帥であった浅野総一郎の庄川水力電気により1930年(昭和5年)に小牧ダムが完成、当時日本屈指の出力7万2,000キロワットの小牧発電所が運転を開始した。同年昭和電力が小牧ダム上流に祖山ダム・祖山発電所を完成させ、以後庄川は下流から上流に向かってダム式発電所の建設が進められていった。民間で進められた事業は戦時体制の進展に伴い誕生した日本発送電によって庄川水系の電力施設は接収、1942年(昭和17年)には小原ダム・小原発電所が完成する。その日本発送電が1951年(昭和26年)に電気事業再編成令によって分割・民営化されると、庄川水系の電力施設は旧庄川水力電気・昭和電力の流れをくむ関西電力が継承し、成出・椿原・鳩谷の各ダム・発電所が建設された。しかしこれらのダムと発電所は余りある庄川の水量を十全に活用できるほどの貯水池を持たず、電力需要の多くなる冬季に発電能力を発揮しきれなかった。このため庄川の最上流部に巨大なダムを建設し、それによって形成される大容量貯水池によって下流の水量を安定化させ、下流に建設された発電所の出力を増強する必要があった。

すでにこう

[24] , , http://www1.ocn.ne.jp/~tujitani/oomakionnsenn.htm

好きで〜す! 富山が・・・温泉が・・・ 紹介していま〜す! 富山 温泉

浪漫

富 山 県 南 砺 市 利 賀 村 0763−82−0363

大 牧 温 泉

《ナトリウム・カルシウムー塩化物泉・硫黄塩泉》

船でしか行けない 秘境の一軒宿

富山より北陸自動車道を西進、砺波IC降り右折

国道156号線太郎丸交差点を右折南進五箇山方向へ

国道156号4車線道路より2車線道路の旧庄川町へ

岩屋交差点左へ156号線直進

レストラン・書店コンビに等ある示野交差点過ぎ

まもなく庄川が左車窓に見える

小さいトンネル過ぎ利

賀村へ向かう国道471号交差点直進

小牧ダムが左前方に見え

トンネルを潜ると

大牧温泉に向かう庄川遊覧船上船場駐車場に着く

大牧温泉はこの遊覧舟で行くしか手段がないので

この駐車場で車を置き乗船する

時刻表・乗船料金

大牧温泉

〒 932−0371

富山県南砺市利賀村大牧44

0763−82−0363

Fax 0763−82−0933

http://www.oomaki.jp/

宿 泊 旅 館

日帰り宴会可能

日帰り入浴のみ不可

泉源 大牧温泉

・ナトリウム・カルシウム・塩化物泉・硫黄塩泉

・泉温 58℃ PH 8.14

・成分

陽イオン

NA 920mg

CA 482mg

Sr 10mg

陰イオン

H2So4 651mg

Cl 1844mg

F 5mg

メタケイ酸 60mg

メタホウ酸 60mg

・効能

泉質別適応

切り傷・やけど・慢性皮膚病・慢性婦人病

動脈硬化症

日本の秘湯大牧温泉

私が始めて大牧温泉に行ったのは、何と今から60年近い前、小学校確か2年生の頃遠足で行った記憶がある。

その頃は、親子の遠足で私は祖母と一緒に行った。

勿論今の様にダム湖を遊覧船に乗って行った。露天風呂もあり数人の友達が入って後日先生に叱られた覚えがある。

私は入らなかったけど。

今は富山から高速自動車道では砺波ICで降り、国道156号線を五箇山方向へ約2〜30分で庄川遊覧船小牧乗船所駐車場に着く。

現在では道も良くなり156号線も庄川町まで4車線で早くなったが昔はどの道を通って行ったか全く記憶に

[25] 大牧温泉, , http://www25.tok2.com/home/miyan/Mayu/4_Chubu/16_Toyama/41601_Oomaki/4_16_Oomaki.htm

●船で行く湯宿

富山県の庄川峡の奥にある小牧ダムによってできた大牧湖の湖畔に建つ一軒宿。

その昔は素朴な山の宿であったが、ダムが出来てからは、船で行く有名な秘湯になったそうです。

関西電力の定期船に乗って宿に向かうと、往きの左側に、林道が見え隠れしますが、自動車は通れそうで通れませんねぇ。。。

宿は、建物が湖面に迫り出しています。

湖側の土台部分は支柱が湖のなかです。

しかしながら、私が訪れた時は、手持ちの古いガイドの写真と異なり、建物は少し奥まったような気がしたので、宿に聞くと「消防法〜で引っ込めた」とのことであった。

●屋外の裏山にある男女別の露天風呂

湯は大浴場の内湯と、裏山に在る露天風呂が愉しめます。どちらも、男女別です。

露天風呂の男湯は、裏玄関から、下駄に履き替えて、裏手の山の階段を約50段登ったところにあります。

石を配した湯舟は自然にとけあった素朴な造りで、ゆったりとできます。

但し、夜間の入浴は、「野生の動物が出没するので避けてください」、とのお触書の木札が在り、月夜を愉しみながらの入浴が出来ないのが難です。まぁ、わたしは宿の掟を破って、夜に入浴させて戴きましたが、とても幻想的な湯でした。○!

●内湯は、朝ゴハンのあとに訪れたら、カラっぽだった!そのおかげで、、、

食事は、山の幸、川魚が楽しめました。行けば、その良さが判りますので、ここでは記しません。朝ゴハンも満足。

で、出立前の仕上げの湯に浸かりに石造りの内湯に行くと、なんと!湯は抜かれカラっぽ。

掃除していた人から、内湯女湯に入って下さいと言われて、湖面が見える窓越しに隣の女湯へ、すっぽで移動。浴場の広さは男湯より若干小さかったが、湖面が眺められる小さな湯舟が女湯には在って、それが気に入った。

さて、チェックアウトにフロントに荷物を持って、お勘定をしていたときに、「朝風呂に入れなかったよ」と話したら、気の好い主は恐縮の至極。「内湯女湯に入れたから良かったです。でも露天の女湯には浸れなかったので残念です。いつか時間帯別に開放してくださいね。」と話をしたら、従業員に何やら確認のあと、「今はお客はあなた達だけだから、特別に露天女湯に入ってイイですよ。でも船が30分もしないうちに来ますよ。」

で、一目散に湯に浸りに行きました。

建物から30m程はなれた囲いの中には、まず、石タイル貼りのきれいな

[26] 道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危, , http://yamaiga.com/road/r156_utigato/main.html

本編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。

一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日本海岸の高岡へ達するのである。

列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。

しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜〜富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間通行止めになっていた。

また、落石や土砂崩れによる通行止めも珍しくなく、路線番号にかけた「イチコロ」線という有り難くないあだ名で呼ばれた。

この路線が国道の指定を受けたのは昭和28年で、当初は二級国道「岐阜高岡線」といった。また、全線を自動車が通れるようになったのは昭和29年である。

特に北半分を占める庄川沿いの車道建設は、関西電力などによる庄川電源開発の進展とともに、地元補償や工事用道路として進められたもので、最も古い小牧堰堤(小牧ダム)は昭和5年の完成と、国内でも有数の歴史を誇る。

オブローダー的視座に立ったときのこの道は、旧道の多い道であるといえる。

昭和20年代までに一旦完成した国道と、昭和54年に改めて「全線開通」と盛んに喧伝された路線とでは、随所でルートが変わっている。もっとも、経由地が変わるほどの大きな違いはなく、あくまでも区間旧道を多く持つということである。しかし、小規模の旧道は沿道集落や施設を持つことも少ないから、必然的に廃道となった部分が多いのも特徴である。

そんなわけで、地図を眺めるだけで“たまらなかった”この国道156号の「旧道巡り」を、平成21年4月30日に、「越中第一次探索」の4日目行程として、自転車を用いて行った。

この日に巡った旧道は、庄川が砺波平野へ流れ出る地点にある富山県砺波市庄川から、南砺市五箇山の県境を経て岐阜県白川村の中心部まで

[27] 国道156号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93156%E5%8F%B7

概要[編集]

岐阜県・富山県に跨る山間部は、庄川の谷の斜面を削って道を付けた区間で、かつては道幅が狭く大変危険だったため、路線番号にかけて「(谷に落ちたら)イチコロ線」と揶揄された。

高山市荘川町岩瀬から大野郡白川村牧の御母衣湖にかけてはトンネルの幅が狭く、大型車同士のすれ違いが困難となっている。ローカルルールとしてトンネル内での対面を避けるため、入口手前でクラクションを鳴らしながら通行するトラックが多い。ほぼ全線にかけて東海北陸自動車道が並走しているが、この区間を含む荘川から白川郷の30km区間は、建設費がかさむ等の理由から東側の飛騨清見へと迂回している。現在、当国道の御母衣湖周辺区間において数本のトンネル建設を含めた福島バイパスの計画があり、2010年に福島第3トンネルが供用された。但し県の財政が厳しいことから、同バイパスの他の区間については、建設期間が長期に及ぶ可能性が高い。白川村岩瀬付近で庄川を挟んだ対岸に目を向けると綺麗に積み上げられた山が見えるが、これは東海北陸自動車道の飛騨トンネル掘削時に排出された残土である。

路線データ[編集]

一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。

起点:岐阜市(茜部本郷交差点=国道21号上、国道22号・国道157号・国道248号終点)

終点:高岡市(四屋交差点=国道8号交点)

重要な経過地:岐阜県羽島郡岐南町、関市、美濃市、同県郡上郡八幡町[注釈 2]、同郡白鳥町[注釈 2]、同県大野郡荘川村[注釈 3]、同郡白川村、富山県東礪波郡平村[注釈 4]、同郡庄川町[注釈 5]、砺波市

路線延長:213.7 km(実延長210.9 km、現道210.3 km)[2][注釈 6]

岐阜県区間:149.9 km(実延長147.1 km、現道146.6 km)

富山県区間:63.8 km(実延長63.8 km、現道63.7 km)

指定区間[3]

岐阜市茜部新所1丁目23番 - 郡上市白鳥町向小駄良字内田775番2(茜部本郷交差点起点 - 向小駄良交差点)

砺波市庄川町小牧字矢ケ瀬71番8 - 高岡市上四屋663番の1(小牧ダム湖畔 - 四屋交差点終点)

歴史[編集]

道路法(昭和27年法律第180号)に基づく二級国道として初回指定された路線のひとつである。国道指定当初は、岐阜県郡上郡白鳥町[

[28] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[29] 庄川流材写真, , http://library.jsce.or.jp/Image_DB/koshashin/ishii/02/index.htm

036.金屋土入場ヨリ二万七千石用水入口附近ニ於ケル流材業者施設ノ川倉ヲ撮ル(例年ハ庄川本流全部ニ対シ施設スルモノナルモ本テ止メアリ)

[30] 庄川遊覧船株式会社, , http://www.shogawa-yuran.co.jp/

2014.6.12

ここが素晴らしい!砺波市小牧公衆トイレ完成

2014.4.11

チューリップクルーズ運航します

2013.11.6

スウィーツプレゼント当選者発表

2013.9.19

「ウォーターカフェ2013」を運航します!

2013.8.12

お盆休暇中短時間遊覧船運航します!

2013.4.15

「チューリップクルーズ」運航します!

2013.4.4

「さくらクルーズ」運航します!

2012.12.12

女子旅ツアー募集!!

2012.9.14

スイーツ船を運航します

2012.7.18

お盆休暇中毎日運航します

2012.4.6

毎日運航します

2012.3.27

船舶売店が閉店します

2012.3.7

看板が変わりました

2011.11.15

短時間遊覧船運航について

2011.9.17

「スイーツ船」を運航します

2011.9.14

「クルーズ庄川」営業運航開始

2011.8.24

クルーズ庄川進水しました

2011.8.12

クルーズ庄川組立工事始まる

2011.8.4

お盆休暇中短時間遊覧船運航します

2011.7.28

「クルーズ庄川」組立工事が始まります

2011.6.24

新船名称決定

2011.4.21

チューリップフェア期間中 短時間遊覧運航について

2011.4.19

当選者のお知らせ

2011.3.28

新船名称発表延期のお知らせ

履歴

[33] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054528054539

メモ