南紀といえば、連続殺人がすぐに思い浮かぶ私は、サスペンスドラマ好き。
おそらく南紀にお住まいの方々には不本意であろう私の連想はさておき、南紀、すなわち、紀伊半島の南の方のエリアをヨッキれんがフミフミしたお話しである。
南紀における最初のレポートは、熊野灘のリアス式海岸が織りなす山海に取り残された、国道改修計画変更の名残り道をお伝えしたい。
まずは右の地図で本物件周辺の交通網の概観を確認していただきたい。
舞台は、三重県尾鷲市と三重県熊野市の間である。
この沿岸の2市を結ぶルートは、鉄道1本と、国道が3本(2路線)ある。
すなわち、鉄道は紀勢本線で、国道は国道42号の現道、国道42号の自専道である熊野尾鷲道路、そして国道311号である。
熊野尾鷲道路は2013年に地図の区間が全通したばかりで、長らく国道42号と国道311号の2本が頑張ってきたのであるが、この2本には明確な性格の違いが見て取れる。
国道42号は、名にし負う難所である矢ノ川(やのこ)峠越えを2本の長大トンネルでクリアすることで、比較的短距離に熊野尾鷲を結ぶ代わりに、海岸部に点在する数多くの集落をスルーしてしまった“速達ルート”。
対して国道311号は、リアス式海岸の浦々に抱かれた集落を漏らさずに巡り、最終的には熊野尾鷲を連絡する、“生活ルート”である。
理想的には、この2つが同時に整備されれば良いのだろうが、現実的にはそうはならず、昭和43年に国道42号が矢ノ川峠の改築を終え、ひとまず速達ルートとしての面目を得た後も、国道311号の整備はなかなか進まず、その結果として、“酷道”として有名になってしまう事態となった。
左の写真は、国道311号に残る“酷道”風景の代表的場面とされる、熊野市甫母(ほぼ)の海際ギリギリの1車線&ガードレール無し区間だが、これでも車で通行出来るのは良い方で、国道311号の尾鷲熊野間約50kmには、近年まで車道がない区間が残っていたのである。
最後まで未開通だったのは、案の定と言うべきか、市境にあたる区間であった。
現在の地名でいえば、尾鷲市曽根町と熊野市甫母の間である。
ここには熊野古道が越えた曽根峠の山脈が熊野灘へ迫り出していて、山に矢ノ川あるならば海に曽根坂ありとでもいいたくなるような難所だったみたいだ。
まあ、開通が遅れた原因は険しさばかりではなく