天上山

天上山

[1] 神津島天上山

Webページ

[2] 道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道, , http://yamaiga.com/road/sanukayama/main6.html

2013/4/1 13:16 【現在地】

藪に埋もれた2棟目の廃墟も建築用コンクリートブロック積みで、全く色気の無い作りである。

一箇所だけの入口に扉は無く(もともとはあったようだが)、中へ入ることが出来る。

なお、1棟目とは異なり屋根がまだしっかりしているお陰で、緊急避難所程度には使えるだろう。

内部はほとんどもぬけの空と言って良かったが、ただ一つだけ、大ぶりの機械が置かれていた。

いや、既に見た廃車体のことを思うならば、これまたおそらくは「置き去り」にされたものとみられる…。

その機械の正体は―

大型の 内燃式発電機 だった。

久々に目にする、文字情報だ。

「デンヨー」という企業名ロゴが特に目立っていたが、帰宅後に調べたところ、この企業は現在も屋外用エンジン発電機の最大手として活躍しており、「デンヨー」という社名になったのは昭和41(1966)年らしい。

残念ながら、この装置も施設の正体を知る手掛かりとしては、あまりにも汎用的であり、弱い。

しかし、島の中でも取り分けて不便な山中に、飛び地のように人が働いていた(暮らしもした?)この施設において、本機械は生命線であったことだろう。

外部から電線が来ている様子は無いので、100m四方もある広大な施設の電力を、一手に担っていたものと考えられる。

一帯に残された廃材の量などから考えても、施設の大半は最終的に解体され、資材も運び出されたとみられるが、数台の自動車とこの発電機は特に重量物であるため、(コスト的に)回収されなかったのだろう。

僻遠の廃墟にポツンと残された本機には、単純な不作為のために何もかもが残されている廃墟の中のそれとは比べものにならない強い悲哀を感じた。

施設の電気は自家発電と判明したが、人が活動をするためにさらに重要なもう一つのファクターである「水」についても、一般の水道はもちろん来ていなかったであろうから、自前で給水する工夫がなされていたようだ。

一帯には数ヵ所の蛇口が露出しており(ひねってみたが、もちろん水は出なかった)、何らかの水道が確保されていたのである。

多くの島にとって、水不足の問題は重大な発展阻害要因であったし、砂糠山の山頂に近いこの周辺にも湧き水は無論、涸れ沢さえ見あたらないので、苦心したことだろう。

近くの藪の中にはタンクも残っていたが、これはおそらくは燃料用の

[9] ルートマップ |開運の山 三ツ峠, , http://www.mitsutoge-info.jp/root/

日本ウォーキング協会認定コースをご利用の場合は、河口湖駅にて受付をしてからスタートをしてください。 受付時間は、「健脚向けコース」6:00~11:00、「一般向けコース」6:00~13:00です。時間内に受付をお済ませ下さい。

※参加料200円を河口湖駅窓口でお支払い下さい。(ウォーキング傷害保険に未加入の場合は加入料30円をいただきます。)

三ツ峠登山口からの沢沿いの林道は比較的広く歩きやすいが、時折急な登りも。美しい花々に癒され、ブナやミズナラの樹林で思わず深呼吸。

カワイイ声に振り向くと小鳥たちの姿が。この日は“ミソサザイ”を見つけた。登山途中の出会いに、都会生活のストレスも吹き飛ぶ。沢筋を離れて高度を上げると、やがて三ツ峠山荘下の分岐。

右へ進むと間もなく木無山への分岐で、一気に視界が開ける。この付近、富士山が間近に迫る最高のビューポイント。爽快な眺望を楽しんだら三ツ峠山荘へ。飲み物の購入可能。

[10] 「平成12年(2000年)神津島・新島地震」災害状況(2000年6月)|アジア航測|空間情報コンサルタント, , http://www.ajiko.co.jp/article/detail/ID4TC38PQ31/

7月3日13時頃に、神津島の斜め撮影を実施いたしました。雲で天上山山頂付近はみえておりません。おもに、海岸沿いの斜面崩壊の映像について紹介いたします。

2000年6月26日午後6時半すぎ、東京都伊豆諸島三宅島で群発地震の発生がはじまりました。1983年の噴火の時など、地震発生の2時間後に噴火している例もあることから、気象庁では、噴火の恐れが高いとして午後7時33分「緊急火山情報」を出し、警戒を呼びかけました。朝までには、三宅島の、坪田、三池、阿古、伊ケ谷地区の住民が、北の大久保地区に避難しました。幸いにも、翌27日朝までに危惧された山腹割れ目噴火は発生しませんでしたが、午前9時頃、阿古西方約1kmの地点で、変色水域が確認されました。また、阿古から伊ケ谷にかけて、東西方向の地割が複数確認され、海岸の崖では数箇所のがけ崩れも確認されました。これらの現象と傾斜計やGPSの観測結果を総合すると、三宅島の西側にマグマが貫入したと思われました。三宅島の状況については、三宅島2000年噴火のページをご覧ください。 その後、三宅島と神津島の間の海域で群発地震が発生し、その位置は時間とともに西北西方向に移動していきました。そして、7月1日の午後4時すぎ、神津島付近でM6.4の最大の地震が発生し、神津島では震度6弱を観測しました。そのため、島内各地で多数の崩壊が発生、1名の方が亡くなる災害が発生しました。 アジア航測では、直後の7月3日に斜め写真撮影を実施、7月4日には1:5000の縮尺で、島内全域の垂直写真撮影を行いました。 このページでは、これらの写真を順次、緊急公開します。防災対策や崩壊メカニズムの研究に役立てていただければ幸いです。

[11] 963 砂糠崎2=神津島村砂糠山(東京都)20,000年も続いた後期旧石器時代を生き繫いだご先祖さまたちは偉大だなぁ:でんでんむしの岬めぐり:So-netブログ, , http://dendenmushimushi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-06

でんでんむしの岬めぐり

草木もなびく佐渡の岬めぐり中。自称『岬評論家』でんでんむしの日本全国津々浦々突端出っ張りコレクション。電車とバスときどきタクシーとレンタサイクルでってスゴくない? 年表もね。

[13] チャリンコ日記別冊・050912-14真鍋研合宿・神津島, , http://nabe.la.coocan.jp/hp2005/0509kozu/KOZUMAIN.HTM

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平成17(2005)年9月12日(月)〜14日(水)

真鍋研究室夏期合宿・久々の神津島

まだ工事中です。文章を徐々に追加充実中、少々お待ち下さい。

旅 の 記 録

竹芝客船ターミナルからジェットフォイルで出発。以前は夜行で行ったもの。夜行が辛くなってからは、早朝の列車で伊東まで行って朝の船に乗ったこともある。空港ができてからは調布から新中央航空で行くことが可能だが、それ以後は神津島には行っていない。朝に東京を出て午後にはハイキングが出来るとは、神津島も近くなったものだ。

ジェットフォイル(ガスタービンエンジン駆動のウォータージェットで推進するハイドロフォイル/水中翼船)は78�q/hの高速で航行する。東京湾内は一定以上の長さの船は徐行が義務付けられているが、この船は船体が短いから湾内も高速で、神津島の場合全行程の1/3ぐらいが東京湾内だから、この差は大きい。しかしシートベルト着用で3時間以上じっとしているのは苦痛。

[14] 神津にいくばぁ(神津島), , http://thecometworld.web.fc2.com/kozu-51-sanukayama-haidou.html

天空の廃道 砂糠山の養蚕場跡 冒険日2013.12.7 作成日2014.3.19

導入

なぜ、そこに道があるのか!?

誰もがそう思ってしまう道が神津島にあった。

インターネットでふらふらネットサーフィンをしていたら見つけてしまったその道。

国土交通省の「ウォッちず」という誰でも閲覧可能な地図サイトの神津島の地図をご覧下さい。

灰色の四角い記号は何か建物のある記号。

点線の記号は車道ではないが、徒歩道などがある印である。

つまり、地図から読み取れば、

ここには建物があり、道があるということになる。

あるということになるが、

あの有名なgoogleマップの航空写真でここを見てみると・・・

建物らしきものはあった!

しかし・・・道は。。。

というか、道の部分は崖ではないかと思われるのだが・・・

むむむ〜、

一体全体ここはどうなっているのだろうか!?

疑問は膨らむばかりである。

・・・よし、行ってみよう!

海岸線は磯伝いに、そこから山に向かっていくのは谷であると思われるから、なんとかいけるだろう!

というわけで、いざ、疑問を解決に参りましょう!

2013年12月6日(金) 横浜大桟橋

やってまいりました。 ここは、神奈川県、横浜大桟橋。

秋から春にかけての金、土曜日夜は、竹芝桟橋を出航した各島経由神津島行の大型客船は横浜を経由します。運賃も少し安くなり、家から近いので横浜から乗船します。

出航時間は23:30。

待ってました。今宵、お世話になる「かめりあ丸」です。

この船も2014年6月7日に東京竹芝桟橋を出航するのが最後。

神津島を翌6月8日に出航すると引退となります

残り少ないであろう、かめりあ丸をかみ締めながら島に向かいます。

いざ、乗船!

2013年12月7日(土) 船中泊、神津島到着

2等席で大広間の雑魚寝。

エンジンの音を感じながら船は南へと進んでいきます。

朝6時、夜が明ける前に伊豆大島へ到着。

多くのお客さんが下船していきます。

ダイヤモンド富士ならぬ、ダイヤモンド利島を見れるのも船旅の醍醐味。

見えてきました。我が故郷神津島。

長年住み、長年遊んでいましたが、まだまだ知らない場所がたくさんある大冒険島だ。

今回は村落の港「前浜港」とは反対側の「多幸湾」に入港。

つまり今回の

[15] 神津にいくばぁ(神津島), , http://thecometworld.web.fc2.com/kozu-51-sanukayama-haidou-1.html

天空の廃道 砂糠山の養蚕場跡 冒険日2013.12.7 作成2014.3.19

導入>STEP1

いざ天空の廃道へ! 〜STEP1〜 天上山の大崩壊地帯

その前にちょっと、腹ごしらえ。新栄楼のチャーハンうまし!

お腹もいっぱいで、いよいよ天空の廃道へと挑みます。

スタート地点は、多幸湾の湧き水。 「東京の名湧水57選 多幸湧水」から。

ここは大崩壊からも免れ、ちょっとした観光地。

天上山から湧き出るおいしい水を飲むことができます。

現在地

湧き水地点から、ふと今回の目的地方面を見ると・・・

早速、埋まってる。。。

ここから道はあったんだなぁー

上からの崩壊に飲まれたというより、飛砂で埋まった感じ。

黄色の木製バリケードも、もうやる気なし。

道を外れ砂浜をすたすたと・・・。

そして、すぐに現れます。

砂浜の終わり、ガレ場の始まり。そして、非日常の入口が。

廃道が呼んでるぞー。 「これるものなら来てみろ」と。

・・・では、お邪魔しまぁーす。

始めは消波ブロックをスタスタと。

しかし、そんな人工物はすぐに消え・・・。

ガレ放題、崩れ放題。。。

見上げれば白銀の世界?パウダースノーならにパウダーサンド。

スキー板があれば気持ちよく滑れそうですが、命に関わります。

見ての通り、斜面はまったく安定しておらず、崩壊の最中と言えばいいでしょうか。

実際、後方10mのあたりに岩が1個、ゴロゴロと転がってきました。

直撃すれば死、もしくは重傷です。また、救助が来難い場所でもあるので、身の安全はしっかり確保しましょう!

背の丈以上の大岩がゴロゴロ。

もし、これが上から転がってきたと考えると・・・

岩を越え、沢を越え、磯を歩き・・・

埋もれた道を見ながら。

道の終端、湧水を出発して約40分。

砂糠山の麓、谷の入口に到着!

・・・道はもうない!

次のページ>> いざ天空の廃道へ! 〜STEP1、5〜 谷を登るその前へ

[17] 神津島 - 地質概説 -, , https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/kozushima/page3_1_9.html

神津島周辺の地形

地質概説

地史(地質図を含む)

岩石

地質各説

神津島

氷長石化作用を受けたデイサイト溶岩

流紋岩単組成火山

秩父山火砕堆積物(Cb)

面房火山(Mb)

長浜火山(Nh)

観音浦火山(Kn)

ハシルマ火山(Hm)

砂糠山火山(Sn)

221m山火山(Nn及びCbの一部)

262m山火山(Nr及びCbの一部)

那智山火山(NC及びCbの一部)

松山鼻火山,大沢火山及び高処山火山

じょうご山火山(Jg及びCbの一部)

花立火山(Ht及びCbの一部)

穴の山火山(Ay及びCbの一部)

神戸山火山(Kb及びCbの一部)

天上山火山(Tj)

祇苗島

恩馳島

文献

2014/03/25

このデータ集は5万分の1地質図幅

「神津島地域の地質」(一色,1982)から抜粋,再構成したものである.

このデータ集を引用する場合,次のように引用すること.

一色直記 (1982) 神津島地域の地質.地域地質研究報告 (5万分の1 図幅),地質調査所,75 p.

砂糠山火山(Sn)

島の東海岸,観音浦から横瀬鼻・砂糠崎を通って,多幸湾東北東端の釜が下に至る海食崖や横瀬鼻の北西約0.3kmで海に至る大川の川底に露出する流紋岩溶岩を砂糠山火山と呼ぶことにする.この火山は Tsuya(1929)の第一期のε1-Lava,谷口(1977)の砂糠山溶岩にほぼ相当する.その分布範囲は南北約2km,東西約0.6kmである.溶岩の厚さは,例えば砂糠山稜西側では,海面上だけでも約150m,上部から下部への岩相変化,すなわち塊状軽石質-真珠岩質-黒曜石質-石質から(第14図),溶岩上半部だけしか露出していないと考えられるので,実際には200-300mはあるのではないかと推定される.溶岩流出に先立って放出されたと考えられる火砕物の存在は確認されていない.谷口 (1980)は彼の砂糠山溶岩(谷口,1977によれば黒雲母流紋岩)が「角閃石片を含むきわめてスフェルライ卜質な,厚さ60cm程度の岩脈によって貫入されている」と記載している.この岩脈の特徴は,「(a)きわめてスフェルライト質で,角閃石,斜長石,石英,ガラス,基盤岩及び砂糠山溶岩等の破片を多数有する.(b)顕著な“流動分化”(但しこの場合は,上記鉱物片や岩片が軸部に集中する)を示す.(c

[18] 神津島周遊記 2 - ちっこいチャリ。, , http://blog.goo.ne.jp/chiichari7/e/ab89df442940934f35748040d252d372

5月2日から5月5日迄、ゴールデンウィークにチャリ旅行へ行ってきました。

今回は伊豆諸島の神津島です。

BD-1にテントを積んで、風の向くまま気の向くまま、まったり走ってきましたよ。

2009年5月3日(日)の旅の軌跡 (クリックで大きいマップが見れます)

* * * * * * * * * *

10時 定刻通りにさるびあ丸は神津島の多幸湾側に到着しました。

神津島は終点の島。乗客は大分減っていて、スムーズに下船することが出来ました。

周りを見たところ自転車乗りは自分だけのようです。

まぁ、海を観光の売りにしている島にわざわざチャリ持って来る物好きなんざぁ、

そうはいないって事で、でも独占状態ってのはちと言い過ぎですかね?

曇り空なのに太陽の出てる中途半端な天気。海風は涼しいんだけど照り付ける日差しはすっかり初夏のもの。

どうせ太陽出てるなら、スカッと抜ける様な青空であってもらいたいものだ。

目の前に広がる見たこと無い景色に少年の心を取り戻した俺は・・・いや、違う。

精神年齢の低い俺は、無意識のうちに早足になり目の前の客を追い越していきました。

逸る気持ちを抑えつつ適当な場所でチャリを展開。荷物をしっかりチャリに搭載して、

ペダルを力いっぱい踏み込みます。

で、港を出たら2分でリゾート。多幸浜はプライベートビーチのようです。

砕けたガラスのような白い砂とエメラルドのような透明感のある海。

これは伊豆諸島に来る度に俺が思う感想ですが、今回はつい口に出てしまいました。

「此処、東京かよ?」

多幸湾の近くの日向神社。こじんまりした可愛らしい神社。

この旅の安全とかを祈願します。

参道から戻ると何にも振動与えてないのにGPSの電源が落ちてた。んだよ〜ッ!

でも先に言ってしまうと、落ちたのはこの一回きりで、この後は無事でした。

まずは海岸線沿いの神津本道を南に向かって進みます。

この神津島には一周道路というものが存在しないので、今回は島一周というノルマを自分に課す事無くまったり走れるのですが・・・。やっぱり島なので坂は付き物。

ですが、上りきったときにはこのような絶景が待っててくれるから止められない。

こちらは三浦湾展望台からの雄大な眺望。

12時 空の玄関口、神津島空港に到着。

神津島は調布飛行場から45分で来れる東

[19] 三つ峠 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%81%A4%E5%B3%A0

三つ峠(みつとうげ)は、山梨県都留市、西桂町、富士河口湖町の境界にある標高1,785mの山である。峠ではない。三ッ峠山と呼ばれることもある(国土地理院の地図や山岳関連図書では三ッ峠山と紹介されている)。

開運山(1,785m)、御巣鷹山(1,775m)、木無山(1,732m)の3つの頂上の総称であるが、最高峰である開運山を指すこともある。

概要[編集]

古くは奈良時代から修験道の霊山として知られた。江戸時代後期、天保3年に善應空胎上人によって開山された信仰の山である。

神鈴峰、仙泉山とも呼ばれる。現在の三つ峠の由来として、山頂付近にわき水があることから水峠と呼ばれ転化したという説、三つの尖峰(トッケ)があることから、ミツトッケと呼ばれ、それに文字あてたという説がある。また、この三つの尖峰は木無山、御巣鷹山、開運山を指すという説や、開運山の三つの尖峰を指すという説にも分かれている[1]。

山頂からは眺望に恵まれ、富士山、御坂山地、南アルプスが一望できる。条件が良ければ、飛騨山脈の槍穂高連峰を遠望することも出来る。この眺望の良さは大正時代に大町桂月が紀行文で紹介している。

頂上付近からは貝の化石なども発見されている。山頂直下の屏風岩では、ロッククライミングが行われる。

日本二百名山、日本三百名山、都留市二十一秀峰に選定されている。

アクセス[編集]

主な登山コースは南都留郡西桂町の富士急行大月線三つ峠駅からのルート、河口湖側からのルート、笹子峠の方から尾根伝いに行くルートがある。

三つ峠駅からのルートは、標高差が大きいが、達磨石、八十八大師等の修験道の歴史を感じさせる史跡が点在し、ロッククライミングの練習場で有名な屏風岩の直下を通過する。

河口湖側からのルートは、三つ峠登山口バス停からのコース、母ノ白滝からのコース、ロープウェイの掛かる天上山からの縦走コースがある。三つ峠登山口バス停は、富士急山梨バスの土日祝日運転の河口湖駅発天下茶屋行きに乗り、終点の一つ前で降りる。午後の便は無いので、帰りにバスを利用する場合は、甲府駅から来るバスが停車する三つ峠入口バス停まで歩く必要がある。マイカーを利用して、三つ峠登山口バス停付近まで入り、山頂まで往復することもできる。

FMラジオ送信所[編集]

富士河口湖町にはFMラジオ局の三ツ峠中継局が設けられている。

放送局名

中継局名

周波

[20] Wachtmeister(ヴァハトマイスター):ヤマノススメ聖地巡礼 in 三つ峠山, , http://wachtmeister.militaryblog.jp/e476587.html

またしてもミリタリーと関係性の薄い日記です。

まあ、中の人ドイツ軍ですし、ミリタリーアイテムの実用日記という事でお許し下さいませ。(笑)

2013年9月7日(土)はヤマノススメの聖地巡礼の為、三つ峠山(三ツ峠山)に登ってきました。

ヤマノススメって何?という方はググって下さい。(笑)

前回のヤマノススメ聖地巡礼高尾山登山から4ヶ月、私的には7月27日(土)に陣馬山に登って高尾山まで縦走して来ましたけど、山岳猟友会(←何それ?)の皆さんとは2回目の登山です。

高尾山ではもの足りないので、もう少し高い山へ行こうという話になり、7月の下旬頃から次何処行くかの選定を始め、千メートル級の山で適当なのに登る事としましたけど、山の事に無知なので、とりあえずヤマノススメの聖地巡礼にかこつけて三つ峠山(標高1,785m)に登る事にしました。

ぶっちゃけて言いますと、別にヤマノススメの聖地巡礼じゃなくても良いんですが、山の事あんまり判らないんで、(非実在)女子高生でも登れる三つ峠山にしておきました。(笑)

一応「聖地巡礼」ですので、ルートも聖典(ヤマノススメ2巻)にしたがって、三つ峠駅から三つ峠山(開運山)山頂を目指し、また同じルートで下山するルートとしました。

厳密に言いますと、三つ峠は、開運山(1,785m)、御巣鷹山(1,775m)、木無山(1,732m)の3つの頂上の総称なのですが、最高峰である開運山を指して三つ峠山とする事が多い様です。

私達も今回は開運山を目指す事とし、余裕があれば、御巣鷹山と木無山を縦走する事としましたが・・・。

以下は、今回初投入した装備です。

SILVA(シルバ) COMPASS RANGER NO.3

コンパスと言えばシルバのNo.3らしいですね。

一応簡易なコンパスは持っていますし、愛用の腕時計(スントのベクター)にもコンパス機能が付いていますが、今後低山登山を趣味にしていくのなら、長く使うだろうと購入しました。

登山路から外れて歩くような事は無いとは思いますが、一応低山とはいえ登山は危険を伴う趣味ですので、無いと死ねますね。

ENPEX(エンペックス) アナログ温度計 サーモ・マックス50

アナログ温度計です。

登山の最中、気温を知りたい時にあると便利ですね。

これも、スントのベクターに温度計がついているので重

[21] 山と兎: 市街地で楽しむ山歩き・野猿の尾根道からたどる多摩丘陵の公園。 - 山登りのきろく, , http://yamatousagi.blogspot.jp/2014/03/shigaiti-yaennoonemichi.html

少し考えるところがあって、東京都西部の公園を二つ、歩いてきました。

公園とは言っても、街中にある遊園地みたいなやつではなくて、規模の大きな傾斜のあるような公園です。

かつては多摩丘陵の山林だったものの、今では宅地開発が進んで住宅があちこちにあるような場所。

それでも最低限の緑地は残そうということで保全されているような、そんな公園を訪ねたのです。

スタートは京王線の長沼駅から。

殺風景な駅舎を出ると、南側住宅地の向こうには小規模ながらも森が広がっています。

いったいどんな場所なのだろう?と思っていたのですが、けっこう期待ができそうです。

履歴

[25] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527954798

メモ