天嶮トンネル

天嶮トンネル

[1] 親不知天嶮トンネル

Webページ

[2] 国道8号 親不知旧道 6, , http://d-road.sytes.net/r.php/road/r8_oyashirazu/6

振り返って撮影。

風波地先から、6%という一桁国道としては非常にまずい急勾配で一気に登ってきた。

この登りも、「天下の険路」たる天嶮に対する必死の抵抗だ。

登り坂の頂点には、ひとつの古い隧道がある。

名は「天嶮トンネル」。昭和41年の竣工だ。

明治時代に造られた新道も、昭和の時代にはすでに時代遅れとされた。

そして建設されたこの天嶮トンネルであるが、平成の時代ではこれもすでに時代遅れである。

中は歩道もなく、幅員は6.5メートルと狭小なのがその理由だ。

先に述べた、風波地区の線形改良とともに、この隧道も放棄されることが決まっている。

線形改良にはいくつかの原案があったが、それらの大前提としてこの天嶮トンネルは「利用は考えないものとする」とされている(「親不知のみち 第二編」)。

すでに死の宣告が下された天嶮トンネル。

一方で、昭和の時代に死の宣告を下された明治の道、すなわち天嶮トンネルの旧道は、まだ生きている。

その道は現在では「親不知コミュニティロード」と名づけられ、市道の遊歩道となっているのだ。

観光ホテルの玄関前の道が、その入り口になる。

[3] 日本海夕日ライン - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%A4%95%E6%97%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

[編集] 概要

新潟県の海岸線を南北に縦貫する、延長約337kmの道路で、新潟県が観光振興を目的に指定したものである。国道や県道・市道の他、臨港道路も含まれる。

この「日本海夕日ライン」のうち、村上市から山形県鶴岡市温海地区(かつての温海町)のあつみ温泉に至る区間は、国土交通省北陸地方整備局が「日本風景街道プロジェクト」の一環として、観光など地域活性化を目的に両県・両市などと共同で、2007年秋に「北陸風景街道」に指定している。なお、両市間の風景街道としての愛称は「日本海パークライン」である。

なお、日本海東北自動車道沿線にあたる新潟県と山形県、秋田県、青森県の4県と沿線各市町村などによって構成され、同自動車道の早期全線開通と行政・経済での交流強化などを図る組織として1988年(昭和63年)に結成された組織は「日本海夕陽ラインネットワーク協議会」という名称であるが、この「日本海夕日ライン」とは直接的な関係は無い。

[編集] 構成される道路

国道7号 伊呉野(村上市・山形県境) - 勝木交差点(村上市)

国道345号 勝木交差点 - 笹川流れ - 瀬波上町交差点(村上市)

村上市道瀬波1号線 瀬波上町交差点 - 瀬波海岸なぎさ通り - 瀬波温泉丁字路(村上市)

新潟県道3号新潟新発田村上線 瀬波温泉丁字路 - 岩船三日町交差点(村上市)

岩船港臨港道路岩船港線 岩船三日町交差点 - 上ノ山交差点(村上市)

国道345号 上ノ山交差点 - 桃崎浜交差点(胎内市)

国道113号 桃崎浜交差点 - 白勢町交差点(新潟市北区) - 平和町交差点(新潟市東区)

新潟港臨港道路入舟臨港線 平和町交差点 - 新潟みなとトンネル(新潟市中央区)

新潟市道中央3-176号、新潟市道中央1-186号ほか(海岸道路) みなとトンネル西詰交差点 - 水族館前丁字路 - 新潟青陵大学前交差点(新潟市中央区)

新潟市道寄居浜線1号、新潟市道関屋浜松町浜浦町線ほか 新潟青陵大学前交差点 - 新潟大堰橋・浜浦橋東詰(新潟市中央区)

国道402号(新潟海岸バイパス) 浜浦橋 - 青山海岸・小針浜 (新潟市西区)- 五十嵐三ノ町(新潟市西区)

国道402号 五十嵐三ノ町 - 越前浜(新潟市西蒲区) - 角田浜(新潟市西蒲区)

国道402号(越後七浦シーサイドライン) 角田浜 - 間瀬田ノ浦 - 寺泊野積

[4] 親不知 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5

概要[編集]

飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端に当たる。新潟県糸魚川市、JR北陸本線の青海駅から市振駅の間に位置する。断崖は飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されたために生まれたものである。

親不知駅がある歌(うた)の集落を中心に、西の市振(いちぶり)地区までが親不知、東の勝山(かつやま)地区までが子不知(こしらず)と呼ばれており、併せて親不知子不知とも呼ばれる。市振から勝山までは約15km程の距離である。

越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖を海岸線に沿って進まねばならず、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られてきた。

難工事の末に国道8号と北陸自動車道が開通し、当地における3代に亙る道路の変遷を見ることができる。北陸自動車道は親不知IC付近を海上高架橋により通過しており、難所におけるルート選定の苦労を偲ぶことができる。一方で、高速道から海岸美を堪能することもでき、景勝地となっている。

親不知から南には飛騨山脈が延びているが、親不知近辺は雷鳥の飛来地としても有名である。親不知・飛騨山脈を挟んで西側に位置する富山県と、飛騨山脈で富山県と向かい合う長野県が、県の鳥を雷鳥としている。

親不知と同様の断崖は、太平洋側にも存在し、静岡市清水区の由比地区にある薩埵峠と、静岡市と焼津市の境界に位置する大崩海岸がそれに当たる。旧由比町の薩埵峠を通過する国道1号と東名高速道路も難工事の末に開通しており、この付近の東名高速道路も海上を通っている。

名称の由来[編集]

「親不知」の名称の由来は幾つの説がある。一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、とされている[1]。また、以下のような伝承もある。

壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かった。しかし、難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。その時、次の歌を詠んだ。

親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く

以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになった[1]。

これらの伝承を基にしたものに、合唱曲『親しらず子しらず』(山本和夫作詞、岩河三郎作曲)がある[2]。

ギャラリー[編集]

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527229006

メモ