大鳴門橋

大鳴門橋

[1] 大鳴門橋 (おおなるときょう)

34.2391666666667 134.651913888889

Webページ

[2] 大鳴門橋 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B

{| class="infobox bordered" | colspan="2" style="text-align: center; background-color: #f0f0f0"|路線規格 |- | style="text-align: center; background-color: #f0f0f0"|路線名 | 国道28号(神戸淡路鳴門自動車道) |- | style="text-align: center; background-color: #f0f0f0"|道路区分 | 第1種第2級 |- | style="text-align: center; background-color: #f0f0f0"|車線数 | 暫定4車線(設計上は6車線) |- | style="text-align: center; background-color: #f0f0f0"|設計速度 | 100km/h |} 大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋である。1985年(昭和60年)6月8日に開通した。 本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっている。

[3] @nifty:デイリーポータルZ:渦潮真上、橋の裏側を歩く道, , http://portal.nifty.com/2010/04/17/c/

四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋には、「渦潮を見るため」という名目で

橋の裏側を450メートルも歩くことができる『渦の道』という県立の施設がある。

先日ひょんなきっかけで訪れることになったのだが、とても楽しかったので、ぜひ紹介したい。

(田村 美葉)

きっかけはエスカレーター

きっかけは、『エスカヒル鳴門』という日本で2番目に長いエスカレーター。

これまた「渦潮を見るため」という名目で作られた、丘の上の展望台まで一直線に伸びるエスカレーターである。

全国の素敵なエスカレーターを追い求めることをライフワークとする私、休暇を利用して、これを観に行ってきたというわけだ。

しかし、鳴門の実力はエスカレーターだけではなかった。

鳴門公園に向かうバスの窓から、まず見えてきたのがこの風景。

[4] 『神戸・兵庫の郷土史』Web研究館, , http://kdskenkyu.saloon.jp/nf09awa.htm

(昭和初期)

明石海岸から淡路島まで最短距離約5�qで、海峡は潮の流れが速い事を以って知られる。

写真前方に見ゆるは淡路島の北端で、淡路島は陥没地帯中に残れる一種の地塁で、其の形は北北東より南南西に延びて細長い。 明石付近から見える山は花崗岩及び斑岩より成り、丘陵性山島であるが多くの小渓谷によって横断せられ幾多の山塊が群立する。

淡路の北部には淡路の北部には有史以前の遺跡遺物があるが、是等は明石付近のものと其の性質を等しくする。幅の狭い明石海峡によって文化は早くから本州を通じていた事が知れる。

(現在)

国産みの島、皇室や朝廷への食糧供給地「御食国(みけちくに)」、阿波への路「淡路」と呼ばれ、明治維新後、徳島県から兵庫県へ編入された。現在は、大鳴門橋で四国と、明石海峡大橋で本土と陸続き同然となり、豊かな農業・漁業、伝統文化を育んできている。

現在の明石港から防波堤越しに淡路島を眺望する。

(昭和初期)

淡路島の北東端の小漁港でまた夏期の海水浴場地である。写真正面海岸に見ゆるは岩屋の町で、其の上の山は花崗岩、斑岩より成る。付近の海は岩礁に富むが、漁業が盛んで船の出入りが多い。

また明石港から岩屋までは定期の発動機船が通う。岩屋は明石港とはやや斜めに対している。港のここに設けられたのは地形の良きためだが、淡路の最北端に在ると冬季の強い西風や、また速い潮流を受けねばならぬ故に、やや東南に避けたと考えねばならない。

淡路北部と明石付近とは狭い海峡を隔てて、岩屋港の東の浜に石屋という式内社があり、また明石港の西には由緒の古い岩屋神社があって、共に 伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っているから、明石と岩屋とは有史以前から関係のあった事が想像される。

(現在)

淡路島の北の玄関口、岩屋港。古くから明石等との連絡船発着場として、またバスターミナルとして島内交通の拠点となっている。

明石海峡大橋の開通後は、人と物の流れは変化しているが、依然として連絡船のほか、明石海峡周辺を魚場とする漁船やレジャーボートなどで賑わっている。

[5] 本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線, , http://ktymtskz.my.coocan.jp/project/honsi.htm

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本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線

本四備讃線について 本四公団鉄道課長 羽場良和 JREA 1982/8より

本州と四国を結ぶ道路橋は徳島県の大鳴門橋、香川県の瀬戸大橋、愛媛県の瀬戸内しまなみ海道の3つがあるが、そのうち瀬戸大橋のみ鉄道橋が併設されている。昭和最後の63年4月10日瀬戸大橋線が開通した。

○調査ルートの概要

瀬戸大橋線は昭和36年の鉄道建設審議会の建議に基づいて海上部は道路鉄道併用橋として調査を進めることになり、

B 宇野−高松

C 日比−大崎鼻

D 児島−坂出

の3ルートを比較路線として行なってきた。

その間、昭和37年土木学会に技術的検討を委託し、昭和42年架橋計画の技術的検討を中心とした報告書が答申された。

その結果B・Cルートは、Dルートに比較して技術的に非常に困難で、明らかに工事費も高くなることが判明し、瀬戸大橋線のルートはDルートの児島−坂出に決定した。

また昭和45年5月に成立した全国新幹線網の基本計画12路線の中には、本四連絡橋に関係する四国新幹線(大阪−大分)と四国横断新幹線(岡山−高知)の2路線が計画されており、児島−坂出は在来線と新幹線も同時に通すことで路線計画を進めて来た。

昭和48年9月の鉄建審においてDルートには瀬戸大橋線と同時に新幹線も併設することが建議されている。

○路線計画上の方針

路線を決定するにあたり基本的に次のことを考慮して選定した。

�@ 路線選定は海峡部橋梁(道路・鉄道併用橋)の位置を確定の上、既設線に連絡するものとした。やむを得ない区間(海峡部取付部、停車場予定地)等を除き、市街地を出来るだけ避けることとした。

�A 計画に適用した鉄道規格は用線規格で複線構造とした。

ただし先に述べたように、全国新幹線網の計画により瀬戸大橋線の海峡部には、新幹線規格複線を併せて載荷出来るように複々線構造とし、陸上部も用地取得上新幹線を併設しうるよう選定した。

(現在新幹線の建設の見通しがないため用地は取得していない)

�B 列車の最高速度は新幹線250km/h、在来線120km/hとして曲線を選

[6] 鳴門海峡またぐ自転車道 2017年度整備へ【徳島ニュース】- 徳島新聞社, , http://www.topics.or.jp/localNews/news/2016/11/2016_14794333979158.html

鳴門市は、隣接する兵庫県南あわじ市、香川県東かがわ市と連携し、3市をまたぐサイクリングロードを整備する。圏域内外からサイクリストを招いて交流人口の増加による地域の活性化や健康増進につなげるのが狙いで、2017年度中の利用開始を目指す。

現在、淡路島と四国の間の大鳴門橋は自転車で通行できないため、鳴門-南あわじ間の定期バスに並走する形で、運送会社に委託して自転車を運ぶトラックを運行する。サイクリストは定期バスに乗り、同時に自転車を運んでもらいながら鳴門海峡を渡ってもらう計画だ。

コースは既存の道路を結ぶ形で整備し、休憩所を兼ねた数カ所の駐輪場と距離表示板を設置する。ガイドマップも作成して3市の観光スポットやイベントをPRする。

鳴門、東かがわ両市にとっては、本州などから自転車を利用して札所巡りに訪れるお遍路の増加も見込める。鳴門市はコースと連携させた健康づくりイベントも独自に企画し、一層の誘客を図る。

3市は地元商工団体とともに「ASAトライアングル交流圏推進協議会」を設置し、県域を越えた活性化に取り組んでいる。今年5月に南あわじ市で開かれた16年度総会で、サイクリングコースの整備を求める声が上がり、鳴門市が中心になって事業化を進めてきた。

16年度は、コースの設定や駐輪場の整備方法などを検討する。コンサルタント会社への委託料などとして3市で計1500万円を支出する。

市戦略企画課は「事業を通して多くの人に市の魅力に触れてもらい、健康づくりのきっかけになれば」と話している。

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054526329650

メモ