2008/6/27 11:46 【現在地】
隧道より脱出した私は、改めて周囲を観察してみた。
すると坑口向かって右手の茂みの中に、一基の石碑を発見した。
前回、坑口左側に常夜灯らしきものの残骸を見つけているが、右側にも遺物発見ということになる。
こいつめ〜。
私に小出しの情報を与えて、何が目的だー?
はたして気になる石碑の正体は?!
“堅牢地神塔”
うおわぁあ!!
これまた、興奮しちまったよ!
隧道のとなりに「“堅牢”地神塔」って、なんてお似合いなんだろう!
今回初めて調べて知ったのだが、堅牢地神というのは仏教の神の一柱で、文字通り大地を堅牢ならしめる神(女神)であるそうだ。
まさに土木工事の守り神のように聞こえるが、一般的には農耕の神として信仰されていて、神奈川県や群馬県などに多く祀られているという。
とはいえ今回この場所に限っては、やはり豊作祈願よりも、隧道の安全を願って安置されたのではないかと思うし、そうであって欲しい!
次に注目したのが、台座石に刻まれた文字だ。
そこから本碑建立の経緯や時期が判明するのではないかという期待があった。
が、だめ。
台座石には「世話?人」として「當(当)村」(ないしは「寄附」)の人名が20ばかり列記されているのみで、建立年は書かれていない。
ちなみに世話人筆頭は「内海」某という人物であった。
せめてこれが寄付者の名簿で金額でも書いてあれば、そこから年代が予想出来たかも知れないが…。うむぅ…。
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立地的にみて、この堅牢地神塔が隧道と何らかの関係を持っている可能性は高いと思うが、決定的な証拠は掴めず。
というか、どの碑(いしぶみ)も読みにくいよぉ(涙)。
念のため隧道の直上にも上ってみた。
隧道の土被りはわずかであり、洞床との高低差は6m程度であろう。
地中の隧道をイメージした状態で、地表をその出口方向へ向かって進むと、まもなく予想どおりの光景にぶち当たった。
県道304号の切り立った法面に、行く手を阻まれる。
おそらく隧道も内部は多少下っていたのであろうが、県道はそれよりもだいぶ勢いよく下っているので、高低差が想像以上に膨らんでいた。
結構怖い。
そして県道の向こう側には、本編初回の写真に山門が登場し、隧道の扁額にも名を掲げられた「鎖