1520年 ポルトガルの船が「発見」。「1万1000人の処女の島」と命名
1536年 フランス人ジャック・カルティエが上陸。サンピエール島と命名
1713年 ユトレヒト条約でイギリスに帰属。ただしフランスは沿岸での漁業権を認められる
1763年 パリ講和条約でイギリスがフランスへ割譲。
1778〜1783年 イギリスが占領
1793〜1816年 イギリスが占領
ST
PIERRE & MIQUELON の位置 カナダの右端です
子供の頃、「アメリカ大陸を最初に発見した人は誰でしょう?」「コロンブスだろ」「ば〜か、コロンブスの船の見張りだよ!」という屁理屈が流行ってましたが、実際にはアメリカ大陸を最初に発見した人はそこに住んでいたインディアンやインディオの祖先のはず。ま、それはともかくとして、「西洋人でアメリカ大陸を最初に発見した人」も実はコロンブス御一行様ではなく、アイスランド界隈に住んでいたバイキングが西暦1000年ごろには居住地を作っていて、バスク地方(フランスとスペインの国境一帯)の漁師たちの間でも、古くからカナダ東部は漁場として知られていたのだそうです。
さて、カナダ東海岸のケベック州といえば、かつてはアメリカにおけるフランス植民地の中心地。現在でもフランス系の住民が多数を占め、フランス語を公用語にしたり、はたまた「カナダから独立するか否か」で住民投票を実施しているような地域ですが、ケベック州のさらに東、ニューファンドランド島の沖合にサンピエール島とミクロン島という今もフランス領の島があります。サンピエール島は面積25平方kmで人口6500人、ミクロン島は面積205平方kmで700人が暮らす。住民の多くはバスク系フランス人で、「ミクロン」という島名もバスク語起源らしい。
今でこそ北米の大部分は英語圏だが、17世紀から18世紀半ばにかけてはフランスも大きな勢力を持ち、ケベックを中心としたカナダから五大湖沿岸、ミシシッピー川一帯にかけて、イギリスより広大な地域を支配していた。ただし、入植者の数はイギリス人よりずっと少なく、インディアンと同盟を結んでイギリスと対抗していた。農場を作ってインディアンの土地を収奪していったイギリス人に対し、フランス人は毛皮取引や漁業が中心で、インディアンたちの恨みをかうことが少なく、「反英」で手を携えることができたというわけ。
しかし