上立神岩

上立神岩

[1] 沼島上立神岩 (かみたてがみいわ)

34.1623801548666 134.828290343285

Webページ

[2] オノコロ島最有力候補地「沼島」, , http://www.awajishima-kanko.jp/kuniumishinwa/pickup-points/main_html/p13_nushima1.html

沼島の地図を作っていて、あらためて「勾玉」みたいな形だなあ....

お腹の中にいる子供の格好ににているなあ....じっと見ていると、そんな思いがムクムと頭をもたげてきた。

ここがいちばん淤能碁呂島(おのころじま)にふさわしい!そんな風に思えてきた。

[3] オノゴロ島 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%82%B4%E3%83%AD%E5%B3%B6

オノゴロ島、又はオノコロ島とは、日本神話や記紀に登場する島。特にイザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話で知られ、神々がつくり出した最初の島となっている[1]。『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、初字は「石殷」で一字)と表記する。

オノゴロ島は、自凝島とも表記され、「自(おの)ずから凝り固まってできた島」の意味である[1]。

歴史[編集]

国生み神話[編集]

神話内容のうち、オノゴロ島が登場する箇所を記述

詳細は「国生み」を参照

イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が、国生みの際に、「天の浮き橋(あまのうきはし:天と地を結ぶ宙へ浮く橋。神はこの橋を渡って地へ降りるとされる[2]。)」に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった[3]。これがオノゴロ島である[3]。

オノゴロ島に降りた2神は「天の御柱(みはしら)」と「八尋殿(やひろどの:広大な殿舎)」を見立て、[4]イザナギノミコトは左回りにイザナミノミコトは右回りに天の御柱を巡り、出会った所で相手の魅力を褒めあい、この島で成婚する[5]。

古事記 下巻[編集]

黒日売(くろひめ)が吉備の国へ帰郷した際に、大雀命(仁徳天皇)は後追い吉備の国へ行幸するが、道中詠った歌にはオノゴロ島が登場する。

原文

於是天皇 戀其黒日賣 欺大后曰「欲見淡道嶋而」 幸行之時 坐淡道嶋 遙望歌曰、

『淤志弖流夜(おしてるや)、那爾波能佐岐用(なにはのさきよ)、伊傳多知弖(いでたちて)、和賀久邇美禮婆(わがくにみれば)、阿波志摩(あはしま)、淤能碁呂志摩(おのごろしま)、阿遲摩佐能(あじまさの)、志麻母美由(しまもみゆ)、佐氣都志摩美由(さけつしまもみゆ)』

乃自其嶋傳而幸行吉備國[6]。

口語訳

是(ここ)に天皇、其(そ)の黒日賣を恋ひ、大后欺き「淡道嶋を見むと欲(おも)ふ」と曰いて幸行する時、淡路島に坐(いま)して、遥に望みて歌ひて曰く

『押してるや、難波の崎から出で立ちて、我が国見をすると、アハ島 オノゴロ島 アジマサの島も見える、サケツ(先つ)島も見える。[7]』

乃(すまわ)ち其の島傳(つた)いて、吉備の国に幸行する。

「押してるや」は難波の枕詞。「我がくにみれば

[4] 沼島 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%B3%B6

沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ兵庫県南あわじ市に属する島。面積2.71km²、周囲9.53km[1]、 最高地点は117.2m。瀬戸内海国立公園の一部。人口520人(2012年11月末現在)[2]。

概要[編集]

勾玉形の島で北西側の真ん中に漁業中心の集落と沼島漁港があり、対岸の南あわじ市灘土生の土生(はぶ)港[注 1]、 洲本市の洲本港との間を定期船で結ばれている。江戸時代末期に漁業や海運業で最も栄え、1955年(昭和30年)頃までは人口2,500人ほどを擁していたが、その後は人口流出が著しい[4]。

中央構造線の南側に位置するため、淡路島とは異なり全島が三波川変成帯の結晶片岩によって構成され、南岸の海食崖には緑・白・黒など様々な縞模様が現れている。また珍しい同心円状の鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)も見られる[注 2]。 崖下に磯が発達していることから磯釣りの名所でもある。

^ 正式名称は灘漁港[3]。

^ 1994年発見。世界でもこことフランスの2か所でしか見られない。日本の地質百選に選定されている[5]。

国産み神話[編集]

淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。

この「記紀」によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかきまわしてその矛を引き上げたところ、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。このおのころ島の所在地については諸説紛々としていて、そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。しかし南あわじ市には古くからおのころ島の地名があり、二神を祭る「おのころ神社」が存在するため沼島とする説もある[6]。

詳細は「国産み」を参照

[5] 沼島めぐりガイド - 南あわじ市ホームページ, , http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/shoukou/nusima-guide.html

沼島観光スポット1 沼島観光スポット2 沼島海水浴場 沼島マップ 沼島汽船発着時刻表 国生み伝説を物語る島  灘の沖4.6kmにある、周囲10kmの孤島。 東南海岸には見る人を驚かせる岩が多く、「上立神岩」 「屏風岩」「あみだバエ」などの勇壮な奇岩が点在している。 海域では伝説の魚「沼島女郎」が釣れるかも。 国生み伝説を物語る「おのころ神社」・県下最古の風情ある日本庭園「沼島庭園」なども見どころ。ここもチェック!沼島周遊船 観光としてのおすすめは、国生み神話を辿りながら沼島の岩礁を周遊船で一周する”島めぐり”。釣り人たちの磯渡しや釣り船としても利用される。 ウミウ越冬地 ウミウは、日本では北海道と本州北部の太平洋岸の岸壁や岩礁で繁殖し、冬には本州中部以西に移動して越冬する。沼島の上立神岩付近から屏風岩にいたる人を寄せつけない岩棚を中心に、早ければ10月下旬から翌春3月頃まで数百羽のウミウ、ヒメウが集団で飛来して越冬する。一帯の岩はその糞で白くなっている。 (県天然記念物)関連リンク沼島ボランティアガイド

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933414503

メモ