五能線

五能線

[1] 五能線 (ごのうせん)

Webページ

[2] 五能線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%BD%E7%B7%9A

五能線(ごのうせん)は、秋田県能代市の東能代駅と青森県南津軽郡田舎館村の川部駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

[3] 艫作駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AB%E4%BD%9C%E9%A7%85

艫作駅(へなしえき)は、青森県西津軽郡深浦町大字舮作字下清滝にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)五能線の駅である。難読駅名である。

かつては臨時列車の快速「リゾートしらかみ」が停車していたが、ウェスパ椿山駅の開業により通過駅となり、普通列車のみ停車する。

歴史[編集]

1936年(昭和11年)7月30日 - 国鉄の駅として開業。

1971年(昭和46年)10月1日 - 駅無人化。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。

2010年(平成22年)

4月1日 - 深浦駅から五所川原駅に管理駅が変更となる。

11月頃 - 新駅舎供用開始。

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を持つ地上駅。かつては相対式ホーム2面2線だったが、無人化時に交換設備が撤去された。横取線を有する。

東北新幹線の新青森駅開業などに合わせて、老朽化していた駅舎の建て替えが行われた。木造平屋建て延べ床面積9.3平方メートルの建物で、「北前船と五能線の海」をコンセプトとし、駅舎外壁を青く塗装して出入り口の上に船の形をした装飾を施している。装飾および内装材には秋田杉を使用している[1]。五所川原駅管理の無人駅。

駅周辺[編集]

舮作簡易郵便局

黄金崎不老不死温泉

日本海

国道101号

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道

■五能線

ウェスパ椿山駅 - 艫作駅 - 横磯駅

脚注[編集]

[4] todai-16-4青森の灯台1・艫作埼灯台・小泊岬北灯台・他, , http://budousha.web.fc2.com/todai-16-4.html

40°45' 45"N 140°03' 41"E

白色 円形 コンクリート造

単閃白光 毎12秒に1閃光 100,000カンデラ

光達距離 20海里(約37km)

地上〜頂部:13.4m、水面〜灯火:54.3m

初点灯 昭和37年12月20日

国道101号を北上すると、道路案内でやたらと 「千畳敷」

の地名が表示されている。

海底が隆起して、岩盤が波に削られて平らになった地形だ。 別に珍しくはないが、この地方では有名なのだろう。

灯台は、千畳敷を見下ろす高台に建つ。 麓には五能線の千畳敷駅があり、トンネルがある。 灯台はトンネルの上方だ。

階段がついているので、階段を登る。

灯台敷地は平坦な農地の中にあって、悲壮感の漂わない、のんびりした灯台だ。

灯台の南方には立派な道路があって、車で灯台まで行けるのだが、灯塔を見つけてしまうと、遮二無二最短距離を登ってしまう。

次には小泊岬の南北の灯台2基が控えているから、階段を登ったのは準備運動を兼ねてでもある。

[5] 五能線艫作, , http://nacl.sakura.ne.jp/rosen/gonosen/018henashi.htm

五能線最西端の駅。沿線の密かな名所である黄金崎不老ふ死温泉最寄駅として「リゾートしらかみ」も停車しましたが、ウェスパ椿山駅開業に伴い、停車駅の座を奪われてしまいました。

[6] 五能線 金ケ沢駅、艫作駅, , http://www.youtube.com/watch?v=8NeFmkARQOU

艫作駅(へなしえき)は、青森県西津軽郡深浦町大字舮作字下清滝にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)五能線の駅である。かつては臨時列車の快速「リゾートしらかみ」が停車していたが、ウェスパ椿山駅開業により現在は通過しており、普通列車のみ停車する。東北新幹線の新青森駅開業などに合わせて、老朽化していた駅舎の建て替えが行われた。木造平屋建て延べ床面積9.3平方メートルの建物で、「北前船と五能線の海」をコンセプトとし、駅舎外壁を青く塗装して出入り口の上に船の形をした装飾を施している。装飾および内装材には秋田杉を使用している

[7] 各駅チャリ 五能線 19.艫作駅, , http://rokusayo.milkcafe.to/haikai/pages_go/gono_19.html

「へなし」と読む。かつて駅員室があったと思われる部分は窓がふさがれており、表示が出ていなければ駅とは思わず通り過ぎてしまいそうな駅舎である。どこかの廃屋かと思ったぞ。もう一本走っている線路はかつての行き違い設備の遺構だろう。珍しく五能線だというのに、この駅では待合室の椅子にクッションが装備されていなかった。駅前には雑貨店が一軒営業中だった。

[8] JR東、山手線・京浜東北線「品川新駅」概要を公表 20年春に暫定開業へ - ITmedia ビジネスオンライン, , http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1609/06/news102.html

駅は地上3階(高さ約30メートル)・地下1階、総床面積は約7600平方メートル。デザインは建築家の隈研吾氏が手がけ、2014年から作業に着手。日本の折り紙をモチーフとした大屋根に、障子をイメージした膜や木などの素材を活用、日本の「和」を感じさせる駅にするという。

駅の東西には大きなガラス面を、またコンコース会には約1000平方メートルの大きな吹き抜けを設け、街との一体的な空間を創出。改札内には約300平方メートルのスペースを設け、さまざまなイベントを行う。

「グローバルゲートウェイ品川」を目指す品川開発プロジェクトの一環。「世界中から先進的な企業と人材が集い、多様な交流から新たなビジネス・文化が生まれるまちづくり」を目指し、国際交流拠点となる新しい街の中核施設として新駅を位置付ける。

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[9] 大仏公園 - 気ままな日記〜弘前にて〜, , http://blog.goo.ne.jp/sohmah147/e/676a0dd4bafb9ee3af8769edb67b0aca

いつも鉄道写真のために訪れる大仏公園

弘南大鰐線の石川駅から歩いて10分程度のところにあり、車でのアクセスもよいので撮り鉄の間では有名なポイントとなっている

こうして歩いてみると、起伏に富んでいろんな草木があり、野鳥もいてなかなか味わい深い公園だ

東側からは弘前市南部と平川市を一望できる

今朝久しぶりに訪れた

休日の朝で、当然撮影に来ている方が数名はいるだろうと思っていたがなんど私一人であった

やや霞んでいるが、黄金色に色づいてきた稲穂と「あけぼの」をまったりと撮影できた

[10] 東北旅行(東北本線大沢田トンネル付近)⑥:しゅうちゃんのお出かけ日記:So-netブログ, , http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2008-02-02

今日は東北旅行(青森から一ノ関へ)からの続きで(昭和40年8月11日)一ノ関~有壁間にある大沢田トンネル付近(一ノ関側)で撮った画像を見てください。 一ノ関機関区を後にしてD62の走行写真など撮るため、ミヤコバスに乗って約5㌔程で鬼死骸という怖いバス停名で降りました。と思っていますが今一?です。 大沢田トンネル付近は下り線と上り線が離れており、トンネルも独立しています。真夏のムンムンした蒸し暑い日の撮影だった様な記憶があります。 かなり古い時代には、ここから東側へ数キロの所に旧線があって勾配が16%以上の峠越えをしていました。トンネルをサミットとする峠は、かなりの難所だったそうです。有壁峠、有壁隧道と言っていました。

左側下り線、右側上り線です。丁度列車同しのすれ違いですね。架線が既に引かれていましたがまだ電車や電機等の運用はしていませんでした。

上りD624+C58(多分)の重連で50両近い貨物を引いてきました。

後方補機が付く場合も有ったんですね。補機はC58303でした。

上り特急「つばさ」通過して行きました。この前に特急「はつかり」が来るのですがフイルムに写っていないので、きっと撮り損ねたのでしょう。

下りC619牽引普通列車青森行きと思います。

上りC6128牽引の列車ですが列車名は不詳です。旧国道4号線をくぐり、大沢田トンネルに入ります。その上から撮影しています。

下りD624牽引貨物列車

DD51が牽引する上り優等列車上野行きですが、急行「みちのく」?急行「ひめかみ」?それとも何だろうなぁ。

下り急行「あけぼの」は仙台始発(13時50分)、横黒線(現在は北上線)、奥羽本線経由で青森行き(21時53分着)の運転でした。 客車、貨物を牽引は殆ど蒸気機関車でD62、D51、C61、C60、C58、それとDD51など、多彩な顔ぶれだったんですね。 最後の撮影はフイルムを見ると、上りC61が引く荷物列車が写っています。何時頃でしょうね。 この後、一ノ関駅までは5㌔程あるので多分バスで戻り次の目的地、3度目の夜行列車でまたまた北上し青森行き23時01分の普通列車を待ちます。駅舎の時計はまだ18時15分です。(前回の東北旅行(一ノ関)に駅舎の画像を載せています)。気長に待っていた様ですね。

ここで撮影した一ノ関機関区とD62の画像は下記の「なめくじ会鉄道写真館」のホ

[11] JR東日本:各駅情報(艫作駅), , http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1395
[12] 艫作埼灯台|日本の灯台, , http://lighthouse-japan.com/aomori/henashisaki/henashisaki.html

青森方面よりR101を南下してくると灯台が見えてきます。舮作駅の看板を右折し線路を渡り真直ぐ行くと灯台の入口らしき所がある。そこに車を止め徒歩3分程度で到着

灯台は観光施設ではなく立入禁止の看板は無いものの柵がしてありました。手前には燈光会の看板があります。

2008/10/12

[13] 艫作駅 〜Michinoku Station〜, , http://www.michinoku-station.jp/station/j024.htm
[14] 等々力駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E3%80%85%E5%8A%9B%E9%A7%85

地下化計画 [ 編集 ]

将来、当駅を 地下駅 にする計画がある。これは、 田園都市線 の複々線化並びに混雑緩和とそれに伴う大井町線改良工事の一環として同線で急行運転を開始させるために 追い抜き設備 を設置するのが主な目的であり、1面2線の島式ホームおよびその両外側に 急行通過線 を設ける予定である。また、老朽化した駅舎も改築され、 スロープ などの バリアフリー 施設が設けられる。

当初は、上り(大井町方面行)通過線を当駅に、下り通過線(溝の口方面行)を隣の 尾山台駅 に分けてそれぞれ設置する計画だったが、後に上下線とも当駅に設置する計画に変更された [2] 。現在も、当駅周辺において 地質調査 が行われている。

しかし、駅の地下化によって当駅付近にある 東京23区 内で唯一の渓谷である 等々力渓谷 の 湧水 が妨げられ、渓谷の自然が破壊されるとの懸念から、工事反対の声が上がったため、世田谷区を中心として「 等々力駅地下化工事技術検討委員会 」が設立された。同委員会は工事によって環境影響が生じないように第三者的立場から技術的検討を行い、 2005年 12月に報告書を提出した。なお、駅周辺住民は「大井町線に急行は不要」という観点からも反対を行っており、駅周辺にはのぼりが立っていた。

以上の理由から、地下化工事が着工できずにおり、仮に着工・完成した場合でも相当な時間がかかることが予想される上、 2008年 3月からの田園都市線の混雑緩和対策と急行運転を間に合わせるために、溝の口方の隣駅である 上野毛駅 に上り通過線を設置し、朝 ラッシュ時 間帯及び夜間帯において使用されている。

利用状況 [ 編集 ]

2013年度の1日平均乗降人員は29,058人である [3] 。近年の1日平均 乗車人員 は下記のとおり。

年度

1日平均

乗車人員

出典

[15] ミニ・レポート, , http://yamaiga.com/koneta/koneta_36.html

今回はまた、皆様からの情報提供をお願いしたいと思います。

見つけたのは、謎の鉄道橋なんです。

もっとも、謎といっても、今度の物件はしっかりと地形図にも載っていたし、存在自体は疑う余地は無いんです。

では、その地形図をちょっとご覧頂いちゃいましょう。

これは、大正元年測量・昭和14年修正版の5万分の一地形図の一部分です。

写真の範囲は、奥羽本線の東能代駅駅の一帯ですが、いかがでしょうか。

見慣れない鉄路が、一本、描かれてますのに、お気づきになりましたか?

それは、東能代駅のすぐ東より北に分岐し、全体がS字を描くようにして蛇行、わずか2kmほどで米代川に阻まれて終点となっています。

奥羽本線の支線のようでありますが、沿線には駅どころか、人家ひとつ無い様子ではありませんか。

貨物扱い専用の支線だったにしても、余りにも辺鄙な場所に何ゆえこのような線路が敷かれていたのでしょう…。

なぞは、尽きません。

では、実際に現地へ足を運んで見ましょう…。

11月5日午前6時過ぎ、能代市鰄淵(かいらげふち)の米代川河川敷。

鰄淵は東能代駅付近では機織(はたおり:東能代駅の旧名でもある)に次ぐ市街部であるが、米代川の堤防に近い2kmほどは空き地が広がっており、人気は無い。

普通なら市街地の河川敷でこの時間といえば、犬の散歩やらジョギングの人々が多く出没しそうな物だが、妙に寂しい。

写真は堤防上の道に立ち、上流方向を眺める。

左の二本の立て札には、時空の歪みを感じさせられたが、その話はまたいずれ…。

同じ場所に立って、今度は川下の内陸側を撮影。

広大な空き地は一応区画整理を受けているようで、道路網があったりする様だが、人家は一軒もなく、当然ながら人の姿はゼロ。

東能代駅が一応奥羽本線内では能代市の中心駅であるが、駅からほんの2km足らずでこんな有様なのだ。

五能線の能代駅こそが、能代市の中心にふさわしい駅だといえる。

話が脱線した。

古い地形図に描かれていた支線の終点は、この更地のどこかに違いないようであるが、すっかりと土地は整理され、廃線跡の痕跡は一切見つけられない。

だが諦めずに、ここから東能代駅へと、廃線跡に近いと思われる道を通って向かってみる。

ある程度内陸に入り駅まで500mほどになると、やっと工場群が現れる。

これは能代工業団地であ

[16] 八高線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八王子駅 - 高麗川駅間 [ 編集 ]

中央本線 上りホームの反対側1番線から 八王子駅 を発車すると、右手に 横浜線 が分岐し 京王線 を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、 浅川 を渡り、 国道16号 ( 八王子バイパス )を跨いで勾配を上っていく。 国道20号 (甲州街道)を潜って巨大な倉庫や工場の林立する 北八王子駅 に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、 中央自動車道 を潜ると間もなく 小宮駅 に到着し、勾配を下りながら 1945年 に 八高線列車正面衝突事故 のあった 多摩川橋梁 にかかる。多摩川両岸に向き合う 東京都下水道局 の二つの 下水処理場 を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと 青梅線 を跨ぎ、青梅 電留線 、 米軍横田基地線 、 保線 基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から 西武 拝島線 が寄り添ってきて 拝島駅 に到着する。

拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、 五日市線 、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、 東福生駅 に到着。東福生駅 - 箱根ケ崎駅間の路線は 横田基地 拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、 瑞穂バイパス となり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は 滑走路 からすぐの延長線上にあり、未電化時代は トンネル となっていた部分である。これは昔、 飛行機 からの部品落下などが時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に 架線 を張る邪魔になるため上部が取り壊された。 新青梅街道 を跨いですぐに、 箱根ケ崎駅 に到着。箱根ケ崎駅は拝島方面からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

箱根ケ崎駅を出ると、かつては本線の右側を複線のように貨物線が並走していた。撤去された現在は草に覆れ面影が乏しい。ゆるい登り勾配を進むと、瑞穂バイパスの跨線橋をくぐる。ここで、八王子駅から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、 川越市 までは、当線と 川越線 とは全く別ルートを走る。 埼玉県 入間市 に入り、 狭山茶 の 茶畑 の中を走り標高158メートルの八高線最高

[17] 大発見?珍風景?青森東北町に「日本中央の碑」の謎 | 青森県 | トラベルjp<たびねす>, , http://guide.travel.co.jp/article/11376/

「どこか遠くの謎めいた何か」 そんな意味合いで平安時代の昔から、歌枕として数多くの偉人・歌人に詠まれた「壷の石文(つぼのいしぶみ)」。 その所在は明治天皇も気にかけ、石文にまつわる伝説の残る千曳神社の境内を掘り起し、捜索させたほどでした。 千曳神社には魔除として崇めていた巨大な石碑を1000人で引っ張ったという伝説があり、それが、「つぼのいしぶみ」=「日本中央の碑」ではなかったかと言われていたのですが、残念ながら明治天皇はその石碑を見つけることはできませんでした。 謎めいた何か…「日本中央」と彫られた石碑は、昭和の時代に入って偶然発見され、青森県東北町の国道4号線沿いにある「日本中央の碑歴史公園」に保存・展示されています。

「日本中央の碑保存館」で日本中央の碑を見てみよう

「日本中央」、正確には「ひのもとのまなか」と読みます。 かつて東北の人々は、自らの国を日本、すなわち「ひのもと」と称していたとされます。 お世辞にも達筆とは言えない字体で「日本中央」と彫られていますが、彫ったのは平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝えられています。 征夷大将軍がこんな字を!?といった所からして大きな謎ですが、坂上田村麻呂が彫ったという確証は得られていません。 日本中央の碑歴史公園の敷地内にあり、無料で見学できる保存館には、日本中央の碑はもちろん、石碑にまつわる興味深い伝説や、東北町に残る伝承、源頼朝や西行法師、岩倉具視ら数々の偉人・歌人が詠んだ歌などが展示。本州の果てにある日本中央の碑の謎への好奇心が大いにくすぐられます。

「日本中央の碑発見地」はぬかるみの湿地帯に

日本中央の碑保存館から車で5分ほど。青森方面に向かい、国道4号線から右折し、県道8号線に入り、青い森鉄道・千曳駅と交差した先に、日本中央の碑発見地があります。 発見地は、県道8号線沿いに大きな看板があって見つけやすく、完備された駐車場があり、そこから木造の階段を降りると、「日本中央の碑」と書かれた180cm(発見された石碑と同じ大きさ)の木造の碑が建っています。 石碑は昭和24(1949)年の梅雨の時期に発見されました。村の農家が馬頭観音を祀るためにちょうど良い石を物色していたところ、湿地帯で半分土中に埋もれた大石を掘り起し、汚れを落としたところ「日本中央」と刻まれていたのです。壷の碑伝説は村人も周知しており、村中が

履歴

[22] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933409787

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