橋場駅

橋場駅

[1] 橋場線橋場駅 (はしばえき)

Webページ

[2] 橋場駅 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A0%B4%E9%A7%85

橋場駅(はしばえき)は、岩手県岩手郡雫石町にあった国有鉄道橋場線(現在の田沢湖線)の駅である。現在の赤渕駅の北西約1kmのところにあった。 正式に廃止手続きがなされたという記録はなく、現在も休止扱いである。

[3] 廃線レポート 橋場線 および橋場駅, , http://www.yamaiga.com/rail/hasiba/main2.html

エターナル・ターミナル、橋場。

小粒ながら、当サイトでも人気の高いコンテンツのひとつであり、実は私も前のレポートを公開後、新たな発見を求めて何度か再訪を繰りかえしてきた。

なかでも、転車台の発見こそは、その最大の目的であった。

転車台(ターンテーブル)とは、地上に設置される回転する円盤状の装置であり、ここに車両を乗せることで、その場にいながら進行方向を変更することが出来る。鉄道の蒸気機関車は、車輪を逆回転させて走行すると、本来の性能を発揮出来ない。そのため、終着駅など、運転の方向を頻繁に反転させる箇所には、転車台を設けることが多かった。

転車台こそは、蒸気機関車時代の終着駅におけるもっとも象徴的な存在といえ、橋場線の終点である橋場駅にも設置されていたと考えられるが、これまで構内配線図などは発見されておらず、その規模や位置も不明のままだった。

この図は、これまで想像されていた橋場駅の構内の配線である。

橋場駅は基本的には1番線と2番線の相対式ホームを持つ駅であるが、2番線の北側も路盤と同じ高さの広い空き地になっており、このまま島式ホームとして3番線を設けることが可能である(実際に敷かれていたかは不明)。また1番線ホームの終点側(大曲側)には、終点側に開口した頭端式のホームが存在し、貨物用ホームとして利用されていたと考えられている。

転車台は発見されていないが、ホームの終点側に広大な空き地が存在することから、そこにあったものと想像した。

そしてこれが、この構内配線における、実際の列車の取り回しの想像図(アニメーション)だ。

転車台がこの位置に存在していれば、1番線と2番線に敷設されたレールを用いて、無理無駄なく列車の進行方向を変えることが出来る。

(貨物ホームについては検討を省略した)

だが、3つのホームはほぼ完全な形で現存するにもかかわらず、“コンクリートに周囲を囲まれた円形の窪地”という、特徴的な遺構を残すはずの転車台については、想像された位置をいくら捜索しても、発見することが出来なかった。

さらに、現地の安栖(あずまい)集落での聞き取り調査において、「人力で動かした転車台が(図の位置に)あったが、いまは埋め戻されて跡形も無い」という証言が1件発生したことで、捜索を中止した。

橋場駅の転車台問題は、「現存せず」という判断で終了したかに思われたが、この膠着した状

[5] 廃線レポート 橋場線 および橋場駅, , http://yamaiga.com/rail/hasiba/main2.html

エターナル・ターミナル、橋場。

小粒ながら、当サイトでも人気の高いコンテンツのひとつであり、実は私も 前のレポート を公開後、新たな発見を求めて何度か再訪を繰りかえしてきた。

なかでも、 転車台 の発見こそは、その最大の目的であった。

転車台(ターンテーブル)とは、地上に設置される回転する円盤状の装置であり、ここに車両を乗せることで、その場にいながら進行方向を変更することが出来る。鉄道の蒸気機関車は、車輪を逆回転させて走行すると、本来の性能を発揮出来ない。そのため、終着駅など、運転の方向を頻繁に反転させる箇所には、転車台を設けることが多かった。

転車台こそは、蒸気機関車時代の終着駅におけるもっとも象徴的な存在といえ、橋場線の終点である橋場駅にも設置されていたと考えられるが、これまで構内配線図などは発見されておらず、その規模や位置も不明のままだった。

この図は、 これまで想像されていた橋場駅の構内の配線 である。

橋場駅は基本的には1番線と2番線の相対式ホームを持つ駅であるが、2番線の北側も路盤と同じ高さの広い空き地になっており、このまま島式ホームとして3番線を設けることが可能である(実際に敷かれていたかは不明)。また1番線ホームの終点側(大曲側)には、終点側に開口した頭端式のホームが存在し、貨物用ホームとして利用されていたと考えられている。

転車台は発見されていないが、ホームの終点側に広大な空き地が存在することから、そこにあったものと想像した。

そしてこれが、この構内配線における、実際の列車の取り回しの想像図(アニメーション)だ。

転車台がこの位置に存在していれば、1番線と2番線に敷設されたレールを用いて、無理無駄なく列車の進行方向を変えることが出来る。

(貨物ホームについては検討を省略した)

だが、3つのホームはほぼ完全な形で現存するにもかかわらず、“コンクリートに周囲を囲まれた円形の窪地”という、特徴的な遺構を残すはずの転車台については、想像された位置をいくら捜索しても、発見することが出来なかった。

さらに、現地の安栖(あずまい)集落での聞き取り調査において、「人力で動かした転車台が(図の位置に)あったが、いまは埋め戻されて跡形も無い」という証言が1件発生したことで、捜索を中止した。

橋場駅の転車台問題は、「現存せず」という判断で終了したかに思われたが、こ

[7] 橋場駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A0%B4%E9%A7%85

元々橋場駅は、 盛岡駅 から 生保内駅 (現在の田沢湖駅)を経由して 大曲駅 に至る路線の途中駅として計画された駅である。1922年には「橋場線」として盛岡駅から橋場駅までが開業(大曲からも生保内まで「生保内線」が開業)し、橋場駅は橋場線の仮の終着駅として設置された。

しかし、戦中の1944年からは 不要不急線 として雫石駅 - 橋場駅間および橋場駅は休止され [1] 、両駅間の線路は撤去された。

戦後に橋場 - 生保内間の建設が再び計画された際、建設ルートが当初の橋場駅経由のルートから、現在の赤渕駅付近より当初ルートを外れて田沢湖方面に直進する新ルート(現在の田沢湖線のルート)へと変更された。このため、新ルートと当初ルートの分岐点付近に赤渕駅を設置した上で雫石駅 - 赤渕駅までが再開され、その後新ルートにより橋場線は「 田沢湖線 」として全線開業している。

そして、赤渕駅付近から橋場駅までは再開されることなく放棄され、現在に至っている。

年表 [ 編集 ]

1922年 ( 大正 11年) 7月15日 橋場軽便線(後の橋場線)の終着駅として開業

1944年 ( 昭和 19年) 10月1日 太平洋戦争 の影響により休止、 雫石駅 から当駅までの区間は 不要不急路線 として線路や施設を剥がされる。

1964年 (昭和39年) 9月10日 橋場駅手前に赤渕駅を新設した上で雫石駅 - 赤渕駅間が再開業。新ルートの制定により赤渕駅付近 - 橋場駅間は不要となり、橋場駅は放棄

1966年 (昭和39年)9月10日 生保内線(大曲駅 - 生保内駅)・完成した生橋線(生保内 - 赤渕)が橋場線に編入され田沢湖線と改称

1987年 (昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化 により、同線大曲 - 盛岡間は 東日本旅客鉄道 (JR東日本)へ承継されるが、同線雫石 - 橋場間の敷地は 日本国有鉄道清算事業団 へ承継

1998年 (平成10年)4月1日 日本国有鉄道清算事業団が解散、 日本鉄道建設公団 へ承継

2003年 (平成15年)10月1日 日本鉄道建設公団が解散、 独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構 へ承継

橋場駅が戦後復活されなかった理由 [ 編集 ]

歴史の節 に上述した通り、戦前の当初計画は盛岡 - 橋場 - 生保内(現・田沢湖) - 大曲と線路を結ぶ計画で、この計画に

[8] ◆旧国鉄橋場線橋場駅◆, , http://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/tazawako_line/hashiba/index.html

(概要と説明)

橋場駅は当初、盛岡と大曲を結ぶ鉄道として軽便鉄道法により計画された路線上の駅として計画された。盛岡側からは橋場軽便線(はしばけいべんせん)として1922(大正11)年6月25日に盛岡=橋場間が、大曲側からは生保内軽便線(おぼないけいべんせん)として1923年に大曲=生保内(現在の田沢湖)間が開業し、橋場駅は仮の終着駅として誕生した。

ちなみに1922年の軽便鉄道法廃止により、それぞれ橋場線(はしばせん)、生保内線(おぼないせん)と改称されている。

その後、政府の緊縮財政などにより見送られたが、昭和に入りようやく橋場=生保内間の計画が認められ、工事線生橋線として着工された。この時の計画は、国見温泉方面を経由した国道46号線仙岩峠旧道に近似したルートであった。

ところが、生保内側からは6kmの志度内の手前数十mまでのレールまで敷いて路盤ができ、後は難所の仙岩峠を越えるだけという段階で日中戦争の激化により中止された。さらに戦争継続上必要であった鉄材の確保のため軍事上重要でない路線を休止して、レールを剥がして活用しようとした。いわゆる不要不急線である。この橋場線も例外ではなく、雫石=橋場間7.7kmが不要不急線と指定されてしまった。レールは取り外されて、貨物輸送で磨り減った山田線のレール交換に転用された。こうして1944(昭和19)年10月1日、橋場駅は「休止」となった。

戦後、建設中止となった生橋線、そして休止された橋場線を復活させようとの気運が高まり、この橋場駅にも線路が戻ってくるはずだったが、結果は意外な展開となった。

当時、新線建設には国から補助金が出されていたので、かつての橋場線の復活では補助金がもらえないため、計画を改めて雫石=赤渕間を新線として開通させることにした(1964(昭和39)年9月10日延伸開業)。さらに生橋線のルートも橋場=生保内から、赤渕=生保内に変更。当初の計画では現在の国道46号線に沿ったルートだったが、赤渕からまっすぐ生保内を目指すルートへ変更され、赤渕から橋場の間に線路が敷かれることはなく完全に放棄された。ただ書類上は「廃止」されたわけではなく「休止」扱いとなっている。

一方新ルートで建設された路線は1966(昭和39)年9月10日の生保内=赤渕間完成により全線開通し、名称も「田沢湖線」となった。

「この地

[9] 田沢湖線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96%E7%B7%9A

田沢湖線(たざわこせん)は、秋田県大仙市の大曲駅から岩手県盛岡市の盛岡駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)。

地方交通線とはいえ、東北本線沿線から秋田方面へは重要なリレー的路線の需要もあるため、1996年から1年間運休して軌間を新幹線と同じ1435mmの標準軌に拡幅する工事を行い、翌年にミニ新幹線である秋田新幹線のルートとして東京駅からの直通を可能にした。全線が単線であり、上下の秋田新幹線「こまち」が途中の駅や信号場で行き違いを行う光景が見られる。

路線データ[編集]

管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)

路線距離:大曲駅 - 盛岡駅 75.6km(基本計画による。現実には盛岡起点で盛岡駅に0キロポストがある)

駅数:17(起終点駅を含む)

田沢湖線所属駅に限定した場合、起終点駅(大曲駅は奥羽本線、盛岡駅は東北本線の所属[1])が除外され、15駅となる。

信号場数:2

軌間:1435mm

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:全線(交流50Hz・20,000V)

ただし盛岡駅新幹線ホーム付近は交流50Hz・25,000V、デッドセクションは盛岡駅構内の東北新幹線・田沢湖線分岐ポイント付近にある。

保安装置:ATS-P

運転指令所:秋田総合指令室(CTC)

最高速度:優等列車130km/h、普通列車110km/h

最急勾配:25.0‰(赤渕 - 田沢湖間)

盛岡駅 - 大地沢信号場間が盛岡支社、志度内信号場 - 大曲駅間が秋田支社の管轄である。

運行形態[編集]

国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された基本計画や鉄道要覧記載上の起点は大曲駅だが、列車運行上は盛岡駅が起点で、盛岡から大曲・秋田方面に向かう列車が下り、逆が上りである。

広域輸送[編集]

秋田新幹線ルートの一部として東北新幹線直通特急「こまち」が東京 - 秋田間で運行されている。詳細は、秋田新幹線を参照されたい。秋田新幹線開業以前は、盛岡 - 秋田・青森間の特急「たざわ」が運行されていたが、改軌工事の開始に伴って廃止された。

新在直通開始後、輸送指令は秋田支社の管轄になった。

地域輸送[編集]

普通列車などは、岩手県側の盛岡 - 雫石・赤渕間(1 - 2時間に1本程度)と秋田県側の田沢湖 - 大曲間(2 - 3時間に1本程度)の運転がほとんどであり、全線に渡って運

[10] 君の知らない旧国道 - 6日目その1 [雫石〜橋場], , http://ccsf.jp/~mwe/tour/20100731/6-1.html

遂に自転車人生初めての『6日目』に突入しました。今日こそは絶対に秋田へ辿り着くぞっ。現在地は岩手郡雫石町, 既に秋田県と接しているんですから。

しかし, ある意味, これからが今回の旅の本番と言っても過言ではありません。秋田へ走るのも3年目, 今年この経路を選んだ理由は, 間違いなくこの先にあるのです。さあ, まずは山へ到ること。そして山を登ること……

いつものように早朝から身支度を整え, 一宿のお礼を言って05:40に出発します。勿論, 朝食抜き。……この先, 最短距離で雫石市街を抜けようとすると, コンビニも何も全く無いんですよ。それは流石にまずい(8年前の青森3日目どころの話ではない)ので, 一旦R46雫石バイパスへ向かいました。こちらにはコンビニが2軒あることを確認しています。

で, 辿り着いたのはサンクス雫石バイパス店。ありがたやありがたや。

ここまでの走行記録(笑)……走行時間0.03.54, 走行距離1.08km, 平均速度16.9km/h, 最高速度38.2km/h(街道→雫石町役場), 総走行距離9,305.6km。

朝ごパンです。……失敗でした。茹で卵が, 堅茹ででした。私, 堅茹で卵って駄目なんですよ……口の中が粉塗れになる感触がひたすら気持ち悪くて。同じ理由で小豆餡が駄目なので和菓子が苦手だったりもします。しかし食べ残すのは矜持が赦さないので, 無理矢理にでも食べます。

更に栄養ドリンクと, 水分・凍結水分を買い込んで, 06:10改めて出発。

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933403116

メモ