藤里町の藤琴から粕毛川に沿って白神山地の奥地を目指していた粕毛森林軌道に残された隧道群の探索も、今回で最終回となる。
今回紹介する粕毛3号隧道は、これまで紹介した二本の隧道からは少し離れ、藤琴から約8kmほど北西に進んだ場所に位置する。
それでも、全線の中では序盤に過ぎないのであるが、これより上部はダム湖や峡谷に阻まれ、未だ接近を果たせていない。
秘境の玄関口である隧道は、一体どのようなものであったか?
目的の隧道からはやや上流の浅渡橋。
ここにも、軌道時代の痕跡が残っている。
現在の県道は正面の橋で粕毛川を渡っているが、軌道用の吊り橋の支柱は現存し、両岸に対になって、もう二度と繋がることのない互いを見つめ合っている。
現在の浅渡橋は、銘板によれば、昭和47年11月の竣工である。
軌道が廃止されたのは昭和30年代であり、軌道廃止後も暫くは、吊り橋が人も車も運んでいたのかも知れない。
浅渡橋から下流方向を見遣ると、対岸の奥に意味深な切り通しを発見した。
どう見ても、人工的な地形に見えるのだが、あそこへとたどり着く道は、現在知られていない。
ともすれば、対岸にもかつて軌道が伸びていたのかも知れないが、この雪ではとても接近は無理だ。
今回の新発見である。
写真にも写っているあの切り通しの幅、ただごとではない気がする…。
あなたはどう見るだろうか?
ダムへと進んでみたが、この先は先述の通り軌道は沈んでおり、ましてこの雪では通行すら断絶している。
早々に引き返した。
写真は、素波里ダム下流の粕毛川の激流。
雪解けの膨大な水は、氾濫せんと川縁を削り、乳白色の異常な水面を見せている。
引き返し、3号隧道を探索せんと、まずは浅渡橋側(北側)の坑門を目指すが、こちらからの探索は断念した。
写真正面に写る河岸段丘を貫いていたはずの隧道であるが、車道から予想される坑門の位置が遠く、この濁流に落ち込んだ雪の斜面を探索する危険は、さすがに冒せなかった。
そして、結果からいうと、いくら探してもこちら側の坑門を発見することは出来なかったと思われる。
一旦、段丘を越えて反対側の坑門があると思われる、巻端家(どう読むのかこの地名は?)へ戻ることに。
数年前に開通したばかりの広域基幹林道米代線の2車線の舗装路を使い、段丘から対岸の長場内集落へと向かう下りを