粕毛川

粕毛川

[1] 粕毛川

Webページ

[2] 廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛支線 第一次探索, , http://yamaiga.com/rail/kasuge/main1.html

このレポートは、山行が史上(2005年7月末時点)稀に見る 危険な踏破レポートである。

踏破に参加したのは、山行が合調隊から三名。

私と、パタリン氏、そして、くじ氏である。

踏破対象は、藤琴森林軌道粕毛線(以下「粕毛林鉄」と略)の素波里ダムによる水没を免れた上流部分である。

これまでも、粕毛林鉄については数回に分けて探索してきた(「藤琴の林鉄隧道群」「藤琴粕毛内川林鉄」)が、素波里ダムより上流の本線については、町の中心部から20km、最寄りの鉄道駅からは30km近くも離れていることから、容易に接近することが出来なかった。

また、単独で探索するには余りにも山深い場所であり、そこに長大な林鉄跡が存在するであろう事は分かっていても、接近しがたい秘所であったのだ。

詳細な踏査計画範囲は、右の地図を見ていただこう。

この粕毛林鉄は、『JTB刊 全国森林鉄道』によれば、大正6年開通、全長は18.6kmとある。

この全長を元に、起点である藤琴から終点の位置を予想する事が出来る。

想定される終点は、右の地図の「A区間」の北の端。すなわち、東又沢と粕毛川の出会い付近である。

ここは、林鉄が廃止された後に代替新設された林道の終点にも近く、大変納得できる位置と言える。

また、地形図にもこの「A区間」は歩道として描かれており、実在した林鉄跡とほぼ断定できる。

だが、歴代のどの地形図にも載らず、記録されている全長をも上回る、幻の延伸区間についても、かねてから噂があった。

私が、「山行が」を通じて得たとある山釣り師の情報によれば、東又沢合流点のさら上流の本流にも、軌道跡らしき痕跡があるというのだ。

ただ、その情報は古く、具体的に軌道跡であった確証もないとのこと。

地図中に「B区間」として仮定したのが、未知の延伸部分である。

果たして、人跡稀な粕毛川最上流部に踏み込む、森林軌道跡は実在したのか。

いま、山行がが挑む!

清流の軌道跡

探索とは思えぬ軽装で車外をうろつくくじ氏。

これは、よく合調隊で目撃される一シーンである。

この探索では、実際の踏査に入る前に、面倒な事前準備があった。

それは、探索の起点と終点それぞれの近くに、予め車をスタンバイさせておくことである。

確実に軌道跡があると思われる(前図のA区間)のは5.5kmほどの区間であるが、これに加え

[6] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/kasugeutikawa/

今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。

紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。

秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。

規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。

この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。

なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。

無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。

前置きが長くなった。

藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕毛村という、二つの村であった。

そして、この事実は今日の藤里村の地図を見ると、とてもよく理解できる。

町役場が置かれている藤琴集落付近で粕毛川と藤琴川が合流し、一本の藤琴川として、やや下流で米代川に注いでいる。

藤里町のほぼ全ての集落は、このいずれかの河川の傍に立地しており、特に多くの集落を点在させる粕毛川の河岸段丘は著名である。

元々は、この粕毛川流域が粕毛村といい、その景勝地素波里峡の一字が、現在の町名に引き継がれている。

同様に、藤琴川流域が藤琴村のかつての村域であった。

そして、この粕毛と藤琴の二つの流れは、村の交通網ともぴったり一致しており、大正末期から昭和中期にかけては上流域唯一の交通手段であった森林鉄道についても、例外ではなかった。

右の地図の通り、粕毛川沿いには、粕毛林鉄(正式名は「藤琴粕毛線」18.6km 大正8年〜昭和38年)が通り、藤琴川沿いには藤琴林鉄(14.7km 大正元年〜昭和38年)が、奥地にまで支線網を張り巡らせていた。

このように林鉄網が町内の主要な集落全てに行き渡っていた藤里町であったが、県内の他の地域に先駆けて、林鉄のトラック林道転換が行われている。

これは、昭和33年7月に米代川流域を襲った集中豪雨により、特に被害の大きかった藤里町内では、藤琴・粕毛の両幹線林鉄が復旧困難なまでに破壊された為である。

同時期

[7] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/kasugeutikawa/main.html

今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。

紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。

秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。

規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。

この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。

なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。

無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。

前置きが長くなった。

藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕毛村という、二つの村であった。

そして、この事実は今日の藤里村の地図を見ると、とてもよく理解できる。

町役場が置かれている藤琴集落付近で粕毛川と藤琴川が合流し、一本の藤琴川として、やや下流で米代川に注いでいる。

藤里町のほぼ全ての集落は、このいずれかの河川の傍に立地しており、特に多くの集落を点在させる粕毛川の河岸段丘は著名である。

元々は、この粕毛川流域が粕毛村といい、その景勝地素波里峡の一字が、現在の町名に引き継がれている。

同様に、藤琴川流域が藤琴村のかつての村域であった。

そして、この粕毛と藤琴の二つの流れは、村の交通網ともぴったり一致しており、大正末期から昭和中期にかけては上流域唯一の交通手段であった森林鉄道についても、例外ではなかった。

右の地図の通り、粕毛川沿いには、粕毛林鉄(正式名は「藤琴粕毛線」18.6km 大正8年〜昭和38年)が通り、藤琴川沿いには藤琴林鉄(14.7km 大正元年〜昭和38年)が、奥地にまで支線網を張り巡らせていた。

このように林鉄網が町内の主要な集落全てに行き渡っていた藤里町であったが、県内の他の地域に先駆けて、林鉄のトラック林道転換が行われている。

これは、昭和33年7月に米代川流域を襲った集中豪雨により、特に被害の大きかった藤里町内では、藤琴・粕毛の両幹線林鉄が復旧困難なまでに破壊された為である。

同時期

[10] 二ツ井営林署(藤琴粕毛線) - 秋田営林局 - 失われた鉄道 - 秋田各駅停車の旅, , http://www7a.biglobe.ne.jp/~akitetu/lost/l_sinrin/futatui_kasuke/index.html

二ツ井営林署管内で藤琴線と並び幹線の地位にあったのがこの粕毛線です。

粕毛川の東側に沿って敷設されており、並行する県道322号線とは異なるルートを通っていたこともあり、トンネルや橋脚などの遺構が残されています。

しかし、昭和45年に竣工した素波里ダムによって軌道跡は消滅しており、付近の地形も大きく変わっています。

ちなみに粕毛線は、藤琴線が昭和33年の水害で全滅した後も存続していましたが、昭和38年7月25日に秋田沖で発達した低気圧の影響による豪雨で粕毛川が氾濫し、壊滅的被害を受けたため廃止となったものですが、この災害を契機に建設が推進されたのが素波里ダムです。

路線概要

[11] ミニレポ第175回 藤琴森林軌道粕毛支線 第3号隧道(仮称), , http://yamaiga.com/koneta/koneta_175.html

【広域図(マピオン)】/【粕毛林鉄関連レポ一覧】

かつて秋田県を代表する木材の集散地であった二ツ井(現:能代市二ツ井町)から北へ、藤琴川やその支流に沿って白神山地の奥深くへ伸びていたのが、秋田営林局の藤琴森林軌道とその支線たちであった。

その最大の支線は、藤琴(藤里町藤琴)で本線から分かれ、粕毛(かすげ)川沿いを遡行していた粕毛支線であり、その全長は20kmに達した。

粕毛支線の景観は、大きく2つの区間に分けられる。

田園と集落を縫って走る下流区間(藤琴〜素波里ダム)と、厳然たる山岳地帯・素波里峡に挑む上流区間である。

今回取り上げるのは、このうちの下流区間で発見された1本の隧道である。

この区間の探索は平成16年にも行っており、その際に1〜3号(いずれも仮称)の隧道を発見、レポート公開済みである。

だが、このときの探索は駆け足で、「隧道だけをピンポイントに狙った」ものだった。

それは旧版地形図に描かれていた隧道を狙ったに過ぎず、地形図に描かれなかった隧道があった場合は、取りこぼす定めであった。

今回改めて、前回調査しなかった部分を重点的に調べたところ、新たに1本の隧道が発見された。

そしてそれは案の定、いまだかつて地形図に描かれたことのない小さな隧道だった。

なお、私の中ではここ数年のあいだずっと、「秋田県に私の知らない廃隧道(水路や通洞を除く)はない」と自負し続けているが、またしても新たな隧道を発見してしまったことになる。 …もちろん嬉しいことだ!

詳しい地図をご覧頂こう。

今回発見された隧道は、地図上の「第3号隧道」である。

そこから1.5kmほど上流に「第4号隧道」があり、平成16年に発見した際にはそこを「第3号隧道」と呼称したが、今回より起点側に隧道が発見されたので、仮称も変更した。(なお、「2号隧道」と今回発見の「3号隧道」の間に他の隧道が無い事も今回確認したので、番号はもう動かない予定だ)

昭和28年版の地形図を見る(画像にカーソルオン)と、「第4号隧道」ははっきりと描かれている(小さな矢印)のだが、この「第3号隧道」は影も形もなく、発見が遅れる原因となった。

続いて現地レポートへ。

2012/5/8 14:17 【現在地】

ここは藤里町大字粕毛の根城岱集落。

集落は、粕毛川の左岸に形成された数段の河岸段丘の一番下段にあたる猫額の平地に

[13] 藤琴林鉄粕毛支線の隧道群 第1回, , http://yamaiga.com/tunnel/fujisato/main3.html

藤里町の藤琴から粕毛川に沿って白神山地の奥地を目指していた粕毛森林軌道に残された隧道群の探索も、今回で最終回となる。

今回紹介する粕毛3号隧道は、これまで紹介した二本の隧道からは少し離れ、藤琴から約8kmほど北西に進んだ場所に位置する。

それでも、全線の中では序盤に過ぎないのであるが、これより上部はダム湖や峡谷に阻まれ、未だ接近を果たせていない。

秘境の玄関口である隧道は、一体どのようなものであったか?

目的の隧道からはやや上流の浅渡橋。

ここにも、軌道時代の痕跡が残っている。

現在の県道は正面の橋で粕毛川を渡っているが、軌道用の吊り橋の支柱は現存し、両岸に対になって、もう二度と繋がることのない互いを見つめ合っている。

現在の浅渡橋は、銘板によれば、昭和47年11月の竣工である。

軌道が廃止されたのは昭和30年代であり、軌道廃止後も暫くは、吊り橋が人も車も運んでいたのかも知れない。

浅渡橋から下流方向を見遣ると、対岸の奥に意味深な切り通しを発見した。

どう見ても、人工的な地形に見えるのだが、あそこへとたどり着く道は、現在知られていない。

ともすれば、対岸にもかつて軌道が伸びていたのかも知れないが、この雪ではとても接近は無理だ。

今回の新発見である。

写真にも写っているあの切り通しの幅、ただごとではない気がする…。

あなたはどう見るだろうか?

ダムへと進んでみたが、この先は先述の通り軌道は沈んでおり、ましてこの雪では通行すら断絶している。

早々に引き返した。

写真は、素波里ダム下流の粕毛川の激流。

雪解けの膨大な水は、氾濫せんと川縁を削り、乳白色の異常な水面を見せている。

引き返し、3号隧道を探索せんと、まずは浅渡橋側(北側)の坑門を目指すが、こちらからの探索は断念した。

写真正面に写る河岸段丘を貫いていたはずの隧道であるが、車道から予想される坑門の位置が遠く、この濁流に落ち込んだ雪の斜面を探索する危険は、さすがに冒せなかった。

そして、結果からいうと、いくら探してもこちら側の坑門を発見することは出来なかったと思われる。

一旦、段丘を越えて反対側の坑門があると思われる、巻端家(どう読むのかこの地名は?)へ戻ることに。

数年前に開通したばかりの広域基幹林道米代線の2車線の舗装路を使い、段丘から対岸の長場内集落へと向かう下りを

[16] 【廃線跡】藤琴森林軌道 粕毛支線 2号隧道 - あきた鉄廃逍遥記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ogadenesuka/9072846.html

目的は積雪量を実感すること。残雪が多く探索にはまだ早いと頭ではわかってますが、自分の目で見ないと落ち着かないので…

[17] 元祖〜白神郷〜藤里峡を歩く! - ヨッチャン日記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/yoshida4600tem/44355457.html

ダムの湖底に沈んだ”大開集落(15軒)の記念碑”を発見した! 比内(現大舘市比内町)の浅利家の落ち武者集落らしい!

[18] 白神山地・藤里の林道〜ブナの森を行く〜/WOODLAND-TRAIL林道レポート076, , http://woodlandtrail.fc2web.com/repo/repo76.htm

高速道も延びたものですね。一部対向1車線ずつとはなりますが、秋田道はいまや南能代まで供用されています。時間があれば、各地方の情緒に触れられる下道のほうが楽しいのですが、今回は、遠方の割りに限られた時間内であったため、その出来る限りを今回楽しみたい主体の現地で使おうと、行き来は高速を使いました。

藤里町は、能代市中心部から東に20kmほどにある元二ツ井町(現在能代市に合併)から、県道317号線で入ったところにある、周囲をまったくの山で囲まれた国道も鉄道も通っていない町です。そればかりか、今回の訪問時期には、県道が青森県側で通行止めであったこともあって、実質的には二ツ井からの県道317号線が唯一の交通手段ともいえるところです。

現地入りした後は、早速、町役場で町の状況・名所案内などの資料収集を行います。平日の旅行では、いつもよくやっていることですが、今回はちょっと失敗です。私はカメラを持って歩き回りますが、ここ秋田県の藤里町と言えば、少し前の例の事件のあった地です。その後遺症が色濃く残っていて、カメラをぶらさげた見かけない顔が役場に入ってくるなり、何か異様な空気でこちらに注視。ああ、これはいかんと用を済ませてさっさと退散しました。

十文字吊橋

十文字吊橋

東又沢

東又沢

履歴

[19] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933392722

メモ