高岩橋

高岩橋

[1] 藤琴森林軌道高岩橋

40.2314429343953 140.243246555328

Webページ

[2] 橋梁レポート 藤琴森林軌道 高岩橋, , http://yamaiga.com/bridge/takaiwa/main.html

これまでも、山行がでは多くの林鉄遺構を紹介してきた。

特に私の住む秋田県内の遺構を重点的に紹介してきたわけだが、探索を続ける中で、今はもうすっかり失われてしまった物がとても多いことに、「跡もう10年早く生まれていたらなぁ〜」などとため息をつくことが少なくない。

県内でも最も林鉄が密にあった旧二ツ井町荷上場にも、私にそんな悔し涙を流させた、かつて「日本一」を冠されていた物件がある。

それは、日本一長い、森林鉄道用の橋梁である。

その橋は、高岩橋という。

それは、二ツ井営林署が昭和5年までに完成させた、藤琴森林軌道に架かる橋で、藤琴川とその左岸の耕地をまとめて跨いでいた。

さて、この橋、現役当時何メートルあったと思うだろう?

答えは、724 m である。

驚いた人、感覚的に掴めない人、色々な反応があろう。

比較対象物として、例えば秋田県内に現在ある(川に架かる)橋の中で最も長い橋を挙げると、それは秋田市の秋田南大橋である。

ではその長さはと言えば、689m。

なんと、いまだ秋田県内には林鉄の高岩橋を越える長大橋は存在しないことになる。

…バカにするのは止しなさいな。

あなたの県にもおそらく、そうそう無いから、川を渡る橋で700mを越えている橋は。

まあ、高架橋何かだとね、結構1km越える物もあったりするわけだが…。

ともかく、林鉄というか、林野庁の建設した橋の中では歴史上最も長いのが、この高岩橋。

竣功は昭和5年、廃止されたのは昭和33年で、米代川流域を襲った大水害による無念の廃止だった。

左の写真は二ツ井町荷上場の藤琴川右岸で、下流方向(二ツ井町中心部方面)を写している。

この場所に、高岩橋はあった。

ちょうど、向かって右側の法面から左の藤琴川へ、川と直角に交わるようにして伸びていた。

当時は、河岸を削り取って造られた写真の県道はまだ無く、県道敷きとなってしまった辺りに、高岩橋の巨大な主塔…そう、高岩橋は川を渡る部分が吊り橋であった… が、立っていたはずである。

読者の皆様の反応を予想すると、おそらく、「ふ〜ん」でしょ。

その気持ち、分かる!分かるぞ。

だって、全然何も残ってないもんね。

そりゃそうだ。

こんな目立つ場所に、日本一の巨大林鉄橋が残っていたなら、今まで山行がが紹介してこなかったわけもないだろうし。

はっき

[3] 【廃線跡】藤琴森林軌道 粕毛支線 2号隧道 - あきた鉄廃逍遥記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ogadenesuka/9072846.html

目的は積雪量を実感すること。残雪が多く探索にはまだ早いと頭ではわかってますが、自分の目で見ないと落ち着かないので…

[4] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/niageba2.html

二ツ井町の中心地から北へ約3km。

秋田杉の美林に囲まれた狭い耕地に、それは忽然と姿を現した。

緩やかなカーブを描きつつ、森へと向かって登る築堤。

明らかに、昭和40年代後半まで林業用に敷設されていた鉄道―森林鉄道―の痕跡だ。

この先に期待される景色は、唯一つ。

隧道だ。

林道にチャリを置き、狭い畦を通って築堤へと近付く。

丁度築堤の下にある畑には一人の老婆がおり、なにやら農作業の真っ最中だ。

近付きつつ笑顔で会釈。

「こんにちわー。」

しわくちゃのお顔をこちらへ向けて、優しげな笑みを浮かべる。

…ああ、よかった。

先へ進ませてくれそうだぞ。

仕事柄、人に声をかけることには慣れているが、私は“怪しい侵入者”であり、友好的に情報を引き出す為のハードルは低くない。

だが、とても感じのいいおばあちゃんだったので、積極的に質問してみた。

「このあたりに、使われていないトンネルとか、ありませんかー?」

この質問で、おばあちゃんはピンときたらしい。

どうやら、以前も林鉄の隧道目当てで来た人が居た模様。

この先にあるという確証を経た私は、藪が深いから畑の中を歩いていってもいいよという、あり難い申し出をやんわりとお断りして、築堤に喰らい付いた。

おばあちゃんが、この森林軌道のことをしきりに『林道』と呼んでいたのが印象的だ。

最近の認識では「林道=道路」だが、県内最長の軌道延長を誇った当地では、ほんの4半世紀前まで「林道=森林鉄道」という時代が確かにあったのだ。

築堤上は何かに利用されている形跡も無く、緑の絨毯が敷かれたかのようだ。

ただ、歩きにくいというほどのこともない。

間も無く深い森にぶつかる。

この先は、見ての通り藪だ。

だが、目指す隧道は既に私の眼前にあった。

正面の暗闇は明らかに、それだ。

坑門の手前には幅1mほどの小川が流れており、ここを渡る橋台が深いブッシュに覆われ見えない。

そのため、踏み抜きの危険性がある。

これにだけ気をつければ、夏場でも比較的容易に坑門へたどり着ける。

私の知っている森林軌道の隧道といえば、みな素堀りの崩れかけたような(或いは崩れた)ものばかりだったので、簡単とはいえこのようにコンクリで施工された隧道は目新しい。

また、その形状に特徴がある。

通常の隧道は、円を基本とする断面を持ち

[5] 廃線レポート 真室川森林鉄道 高坂ダム周辺区間, , http://yamaiga.com/rail/oosawagawa/main5.html

2013/6/9 8:22 【現在地】

設置された固定梯子を登って、一気に林鉄路盤と橋の高低差を詰めた。

私がここへ来るのも、来ようとしたのも今回が初めてなので、この場所がどういう場所なのかはよく分からない。

雰囲気的には、ダムの管理区画内っぽく、立入禁止のようにも予想されたが、軌道跡(あるいは川)を辿ってくる限り「立入禁止」を見る機会が無かった。

万が一関係者に見られたら、そんな風に陳謝しようなんて事を考えた。

この橋には親柱があったが、ダム側の2本に銘板は見あたらない。

橋を渡って下界へと戻る前に、折角だから、さらに軌道跡を求めてダム方向へと進んでみよう。

ちなみに、右の写真の左端に見えている入口は、ダム堤体まで続く監査廊(人道トンネル)か。普通に開け放たれていたが、現役施設であり、イラストが妙に上手い「立入禁止」の看板もあったので、立ち入りは遠慮した。

ダム側に少し移動した地点から、橋を振り返って撮影。

林鉄の探索からはテーマが離れるが、なかなか立派な橋に心が躍った。

ダム専用道路に架かる橋としては、異例な規模である。

形式としては単純なアーチ橋だが、アーチが末広がりになっており、シルエットのバランスが素晴らしい。

また、橋が空中に描き出す横のラインと、周辺の地形が見せる縦のラインの対比、および、橋の人工的な白い塗色と、周辺地形が見せる様々な暗色の対比が、本橋の印象の度合いを深めている。

橋の素性については情報が無く推定しか出来ないが、昭和38(1963)年のダム着工に合わせて建造され、昭和42年の竣工までには完成していたと見られる。

ところで、この橋と交差する地点で、軌道跡は完全に断絶している。

大沢川林道(真室川森林鉄道)の最終廃止は昭和40年で、その時に6390mが廃止された記録があるが、ダム周辺より上流の区間は、昭和33(1958)年にダム計画が決定した時点から遅くとも昭和38年の着工までには廃止されたらしい。

とはいえ、この絶壁の中腹が唐突に終点となったというのは解せないので、 どこに一時的な終点が置かれていたのか、なお研究の必要がある。

8:24 【現在地】

橋を背にして上流へ100mほど進むと、そこがこの道の終点で、谷底の狭所に建てられた武骨な建造物に突き当たった。

そしてこの建物が御旗のように背負うのは、堤高57

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933388228

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