五百刈沢隧道は、秋田市の北部、外旭川と上新城を分ける稜線上に幾つもある隧道のひとつだ。
この稜線は、太平山地の末端に位置し、太平山前衛の山々を取り囲むように存在するが、その標高は100mにも満たない。
そして、上飯島地区の飯岡山を最後のピークとして、あとは、かつては海の底であった広大な水田地帯に落ちている。
五百刈沢隧道は、私にとって、山チャリで出会った初めての隧道(トンネルではなく、隧道)であり、その消長というほどではないが、十年来の姿を追ってきているので、とくに思い入れがある。
まあ、当サイトで紹介している他の隧道に比べれば、迫力には乏しく、ただの狭くて小さな隧道と見えると思うが、どうかお付き合い願いたい。
今回は、新たな発見があったので、これを中心に、五百刈沢隧道の再訪レポートをお送りする。
2003年12月11日、午前8時すぎ、自宅から5kmほどの地点にある五百刈沢隧道を目指し、主要地方道72号線(秋田北インター線)を、終点目指して走る。
五百刈沢隧道は、秋田北インターチェンジのすぐ裏の山にあり、高速道路があと50m山側を通過していれば、確実に消滅していただろう位置にある。
隧道への道は目印に乏しいが、一般の道路地図にもちゃっかりと掲載されているので、誰でも簡単に訪れることが出来よう。
数日前に始めて積雪したのだが、今日はそれもかなりとけている。
まあ、ちょっとした所用(当サイト用トップページの写真撮影です)で、道川製油軌道隧道に用事があって、そのついでに五百刈沢も行ってみようと思っているだけなので、山チャリというほども無い。
まさか、あんな発見があろうとは、思ってもいなかった。
高速道路の下を潜って、隧道への上りに入る。
この右手には、高速の建設のために集団移転して無人となった五百刈沢集落の墓地があって、そこには移転記念碑も建立されている。
高速道路のために集団移転するケースは珍しい。
過去何度と無く上り、または下ってきた道である。
急な道なので、ママチャリには少し辛かった覚えもある。
色々な思い出のある道を、ほんの50mも登れば、杉の木立の中、隧道がすぐに見えてくる。
今回の探索の目的としては、この五百刈沢隧道の起源を解明する手がかりを得ることである。
探索の前日に、地元にお住まいの方より情報を頂いていた。
それに