乗鞍岳

乗鞍岳

[1] 飛騨山脈乗鞍岳 (のりくらだけ)

Webページ

[2] 乗鞍岳 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E9%9E%8D%E5%B2%B3

乗鞍岳(のりくらだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称。山頂部のカルデラを構成する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など23の峰があり、広大な裾野が広がる。飛騨側の高山市街地などから大きな山容を望むことができ、親しまれてきた山である。

[3] 飯豊山 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E8%B1%8A%E5%B1%B1

概要 [ 編集 ]

磐梯朝日国立公園 内に位置し、可憐に咲く 高山植物 が有名で、 日本百名山 のひとつに数えられている。飯豊連峰の最高峰は、標高2,128 mの大日岳である [2] 。

飯豊山は、 福島県 と 新潟県 そして 山形県 三県の 県境 にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが 福島県 喜多方市 になっており、山頂付近は喜多方市である [3] 。理由は、明治期に廃藩置県後飯豊山付近が 新潟県に編入 されたが、 飯豊山神社 宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、参道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である [3] 。そのため、福島県の県境がいびつな結果になっている [4] 。

山名の由来 [ 編集 ]

飯豊山の名の由来には諸説あり、確定していない。 福島県 会津 地方では「いいとよさん」とも呼び、雪化粧した山容が飯を豊かに盛った様子に見えることから、この名がついたとされる [5] 。 陸奥国風土記逸文 には飯豊山の名の由来について、以下の2つの伝承が記されている( 飯豊青皇女 の項目も参照のこと)。

飯豊(いいとよ)を歴史的仮名遣いで表記すると、「いひとよ」となる。「いひとよ」とは 古代日本語 で フクロウ をさす言葉であり、それが語源であるという説もある。他にも、山麓に温泉(湯ノ平温泉)があることから「湯出(ゆいで)」が変化したものだとする説がある [6] 。

飯豊連峰の主な山 [ 編集 ]

大日岳 (2,128 m) :飯豊連峰の最高峰 [2]

飯豊山 (2,105.1 m) :飯豊本山であり、飯豊山神社が置かれている

北股岳 (2,024.9 m) :晴れた日には日本海が望める

烏帽子岳 (2,017.8 m)

御西岳 (2,012.5 m)

三国岳 (1,644 m)

地蔵岳 (1,539 m)

山岳信仰 [ 編集 ]

652年 ( 白雉 3年)、知同和尚と 役小角 が開山したとされる古い 山岳信仰 の場である。飯豊山大権現を祀る 修験 の場として栄え、 江戸時代 初期までには修験道の 修験者 が多く訪れた。 元禄 期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。

また、 明治 初年の 神仏分離 によって 飯豊山神社 となり、地域住民から崇敬された

[4] 暇人\(^o^)/速報 : 【画像あり】黒部ダムが2年連続1位!「行ってよかった無料観光スポット 2013」TOP20 首位 黒部ダム - ライブドアブログ, , http://himasoku.com/archives/51805468.html

1: ストマッククロー(東日本):2013/09/26(木) 20:56:26.83 ID:TzJmdb0o0

「行ってよかった無料観光スポット 2013」が、旅行口コミサイトのトリップアドバイザーで発表された。 富山県にある黒部ダムが2年連続で1位に選ばれた他、企業博物館や工場などのPR施設、 遺跡や大学キャンパスなど、無料とは思えないほど大満足できる観光スポットが全国からランクインした。 ■行ってよかった無料観光スポット 2013 1位 黒部ダム(富山県)

2位 インスタントラーメン発明記念館(大阪府) 3位 航空自衛隊 浜松広報館(エアーパーク)(静岡県) 4位 三内丸山遺跡(青森県) 5位 椿山荘 庭園(東京都) 6位 北海道大学札幌キャンパス(北海道) 7位 奈良町の町家(ならまち格子の家)(奈良県) 8位 サントリー山崎蒸溜所(大阪府) 9位 ニッカウヰスキー余市蒸留所(北海道) 10位 えびせんべいの里(愛知県) 11位 旧大社駅(島根県) 12位 オリオンビール名護工場(沖縄県) 13位 松本市アルプス公園(長野県) 14位 海上自衛隊呉史料館(広島県) 15位 桂離宮(京都府) 16位 Befco ばかうけ展望室(朱鷺メッセ)(新潟県) 17位 野毛山動物園(神奈川県) 18位 万国津梁館(沖縄県) 19位 サントリー京都ビール工場(京都府) 20位 東京大学(本郷キャンパス)(東京都) http://news.walkerplus.com/article/41369/

4: ミッドナイトエクスプレス(京都府):2013/09/26(木) 20:57:36.70 ID:jh/CDsTV0

一度は行ってみたいわ かなりデカいんだろ?

2: チキンウィングフェースロック(家):2013/09/26(木) 20:56:58.07 ID:oXhAYKgK0

ダム怖い

5: ブラディサンデー(やわらか銀行):2013/09/26(木) 20:57:37.13 ID:vkel5mRt0

黒部の太陽

24: ローリングソバット(群馬県):2013/09/26(木) 21:08:14.18 ID:SBrHk3Kk0

登るのにけっこうお金かかるじゃん

27: 急所攻撃(奈良県):2013/09/26(木) 21:11:24.79 ID:B+f/vgXo0

[5] ツーリングに 尻木宇豚堂/ウェブリブログ, , http://ulman.at.webry.info/201310/article_1.html

行ってきました。

当初は志賀高原に行くつもりでしたが、この日は東側の天候が良くなかったので比較的天気の良い西側へ行くことに。先日の「福井県にタッチ」の続きで荘川〜白川郷方面へ行くことにしました。

安房峠越えで岐阜県入り

安房峠を下る途中から見た乗鞍岳

平湯温泉スキー場前から見た槍ヶ岳

平湯温泉スキー場は少しだけ紅葉しはじめていました。

旧道を登って平湯峠

乗鞍スカイライン頂上は午前11時現在で9℃

ちょっと気温高めですね。

ここからR158で高山、中部縦貫自動車道で飛騨清美JCT、東海北陸自動車道で荘川IC。ここで高速を降ります。

昼になったので荘川町のソバ屋「蕎麦正」に入ります。

このときは新そばまつり期間中でした。

新そば旨かったです。

さあ、R156白川街道に入ります。ここは4年前のZZR一泊ツーリングで通りました。今回は逆方向の北上ルートです。

岩瀬橋が見えてきました。

注意標識

この先が難所であることを予告しています。

岩瀬橋

岩瀬橋を渡った先は直角カーブ

大量の注意標識。さあ、難所の始まりです。

荘川桜

御母衣湖の水没地区から移植した桜の木です。

尾上橋

渡ったところから振り返る

この橋も渡ったところは直角カーブです

この先2本目のトンネル「尾神2号トンネル」の中は補強付き

今はこのように照明が付いていますが、以前は無かった。暗い中でいきなり出っぱりが現れる怖いトンネルでした。大型車の運転手はさぞびっくりしたでしょう。

トンネルを抜けて振り返って撮影

少し行くと1999年開通の福島保木トンネル(全長1106m)と旧道

もちろん右側の旧道に進みます。

旧道に入って最初のトンネル「福島保木第1トンネル」

トンネルを抜けても洞門が続き、次は「福島保木第2トンネル」

ここも抜けても洞門が続き、次は「福島保木第3トンネル」

トンネルに横窓がついています

横窓から外の壁を見るとボロボロ

作ってから50年以上経ちますからねぇ

洞門の上に登るハシゴがあります

湖面を見おろす

この水面下数十メートルには、白川街道の難所「福島歩危」がありました(詳しくはコチラ)

トンネル名の福島「保木」は「歩危」から来ているんですねー。まさかトンネル名に「歩危」なんてコワい名前つけられませんから。

途中明かり区

[6] 糸魚川静岡構造線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A

国の天然記念物 新倉の糸魚川-静岡構造線

画像の中央、崖の右上から左下に斜めに走るラインが構造線の露頭である。

山梨県南巨摩郡早川町新倉(あらくら、地図)

1918年に、東北帝国大学(現東北大学)の地質学者・古生物学者である矢部長克(1878年〜1969年)によって提唱された。

しばしばフォッサマグナと混同されるが、糸魚川静岡構造線は「フォッサマグナの西辺」であって、「フォッサマグナ」ではない。フォッサマグナは、糸静線から東に大きく広がる地溝帯、すなわち「線」ではなく「面」である。

特徴[編集]

(ここでは自然地理的な特徴について述べる。人文地理的な特徴は「中部地方#地域性」を参照すること。)

糸魚川静岡構造線に沿って日本アルプスが造られており、飛騨山脈や赤石山脈の高山が沿線に連なり、天険を形成する。生態系は、糸静線を境にして大きく異なり、東半分を東北日本、西半分を西南日本という。糸静線沿線の主な山や高地には、白馬岳、乗鞍岳、上高地、赤石岳、身延山などが連なる。

日本海側の東西境界線は新潟県と富山県の境に位置する親不知であり、内陸側の東西境界線は諏訪湖である。太平洋側については、静岡市付近ではあるが詳細ははっきりしておらず、安倍川の他、薩埵峠付近や大崩海岸付近などともされる。

北部フォッサマグナ[編集]

日本海が形成された時期の新第三期中新世後期までは東西方向に引っ張られる力が作用し大きな陥没地帯が形成されていたが、中新世末期以降は力の方向が逆転し圧縮方向に変化した。その為、隆起と沈降を示す地形が交互に現れている。隆起地形としては、上水内丘陵地帯(主に妙高火山群の山々)と中央隆起帯(長野県中部から群馬県にかけての地域で志賀高原、八ヶ岳などとその周辺)があり、隆起地形の間には逆断層の長野盆地西縁断層系があり地震活動が活発である[1]。なお、最北部の西頚城山地での活動は終了しており変動地形学的に見ると活断層ではない[2]とする見解もある。

北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面[3]と呼ばれる第四紀の70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていた[4]が、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る[5]。

糸静線上の松本盆地から長野盆地に向か

[7] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main.html

廃道の中の廃道。

皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。

草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ…

ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある!

廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。

ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。

それゆえ、以前執筆させていただいた『 廃道をゆく (イカロス・ムック)

』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。

この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。

同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作成したい。

都合により、このレポートの完結までには数日間の更新停止を数度挟むと思いますが、なにとぞ気長にお楽しみ下さい。

国道158号は、福井県福井市と長野県松本市を結ぶ約250kmの一般国道で、中部日本の内陸部を東西に連絡する路線である。

この地域には南北方向に走向する地溝および山脈が連続しており、路線内には険しい峠が複数ある。

そのなかでも、北アルプスの穂高連峰と乗鞍岳の間を越える岐阜長野県境「安房(あぼう)峠」は冬期閉鎖を余儀なくされる最大の難所であったが、平成9年に念願の安房トンネルが開通したことで長年の困難は解消された。

だが、この安房峠越えの道。

険しいのは峠だけではなかった。

むしろ、安房峠が飛騨国と信濃国の最短距離にありながら、歴史的には南方に大きく迂回する野麦峠の方が両国を結ぶ街道の本道とされて来たのは、安房峠そのものよりも、その信濃側(長野側)アプローチとなる梓川渓谷の、尋常でない険しさのためであった。

右の地図を見ていただきたい。

密に描かれた等高線の最も密なところ、さらに多数の崖の記号を従えて描かれているのが、梓川渓谷である。

どこまでが谷で、どこからが山腹なのかの区別は難しいが、稜線に対する谷の深さは1000mを下らない。

北アルプスの名を冠するに足る、極めて険しい山岳の描写だ。

そして、梓川の流れに寄り添う、一筋の道がある。

[8] 道路レポート 梓湖に沈んだ前川渡(長野県道乗鞍岳線旧道), , http://yamaiga.com/road/maekawado/main4.html

現地での最大の謎として残った、この写真の隧道の行く先は、旧版地形図を見ることで簡単に解決した。

次にご覧頂くのは、奈川渡ダム完成の17年前を描いた、 昭和27(1952)年応急修正版5万分1地形図「乗鞍嶽」 である。

長過ぎ〜!!

案の定、あの隧道はめちゃくちゃ長かった! 深追いせず正解。地形図上での長さを計ると、 3800m はある!

この数字は、過去に私が探索したあらゆる廃隧道の中で最長だと思う。

仮に洞内に泥が堆積していなかったとしても、さすがに途中で怖ろしくなって逃げ出したか、或いは本当に酸欠で大変な目に遭っていた可能性がある。

私は僅か20mほどでリタイアしたが、私は本当に果てしない長大な隧道に呑み込まれかけていたのである…。

そして肝心の出口には何があったかといえば、そこにはやはり発電所の記号が待ち受けていた。

その発電所の場所には、梓川と奈川が合流する奈川渡(ながわど)の地名があり、これは現在の奈川渡ダムサイトのすぐ近くだ。

上の図は、昭和27(1952)年と昭和47(1972)年の地形図である。カーソルオンやタップ操作で画像が切り換わる。

これらの地図には、私が今回発見した2本の水路橋を含む長大な発電用水路の全貌が描き出されているが、昭和47年版では既に奈川渡ダムが出現しており、その湖畔に本来なら既に廃止されていたはずの水路が引き続き描かれてしまっている。これは「資料修正版」という、ダム完成以前の図に簡単な修正を施しただけの版だからだろう。

昭和27年版に描かれた一連の発電用水路の上端は、大野川上流の乗鞍高原番所(ばんどころ)付近に設けられた取水堰であったようだ。

そこから小大野川の上流を経由して前川発電所の水圧管路(水を落とす水路)へ導かれていた。これが前半部分で、奈川渡ダムの完成後も引き続き稼働している。

対する後半部分が今回発見された廃止区間であり、ここでは2本の水路橋を経由し奈川渡にあった発電所へ導かれていた。

以上の水路の全長は10km以上もあり、しかもほぼ全線が隧道として描かれていた。

奈川渡ダムの湖底に眠る、長さ4km近い水路隧道。

その奥部は依然として未知のままであり、閉塞しているのか貫通しているのかも分からない。

我々はただ想像するのみである。

仄暗い湖底の底に、人知れず眠り続ける巨大な真闇のあることを。 ―

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933369603

メモ