鎧畑ダム

鎧畑ダム

[1] 鎧畑ダム (よろいはただむ)

39.79 140.653611111111

Webページ

[2] 鎧畑ダム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%A7%E7%95%91%E3%83%80%E3%83%A0

鎧畑ダム(よろいはたダム・よろいばたダム)は秋田県仙北市、一級河川・雄物川水系玉川上流部に建設されたダムである。 建設省東北地方建設局が施工し、秋田県に管理が移管された高さ58.5メートルの重力式コンクリートダム。国土総合開発法によって計画された阿仁田沢特定地域総合開発計画の一環として、玉川の治水と出力1万5,700キロワットの電力を生み出す水力発電を目的とし、雄物川水系で最初に建設された多目的ダムである。ダムによって形成される人造湖は秋扇湖(しゅうせんこ)と命名された。

[3] 隧道レポート 玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群, , http://yamaiga.com/tunnel/yoroihata/main5.html

この写真は決して、優雅な昼下がりの湖上ボート遊びや、細田氏のデート風景では無い。

まあ、前回探索をお読みの方なら間違うワケなかろうが。

平成17年8月10日に行った前回の探索では、昭和31年の鎧畑ダム完成に伴って秋扇(しゅうせん)湖に沈んだ玉川森林鉄道旧線(同ダム建設の付替新線があるので旧線と表記)の廃線跡を、陸と湖面の両面から攻略した。

写真はこのうち、「水上攻略」のスタート時に撮影したものであり、この直後、船頭細田氏の身に起きた世にも恐ろしい出来事は、未だオブローディングの危難伝説として語り種になっている。

ともかく、この水上攻略は我々に新たに2本の隧道への接近を許した。

右図は秋扇湖周辺の現在の地形図であり、赤い線が湛水前の旧線(昭和14年完成)を、桃色の線が付替後の新線(昭和31年完成)を、黄色い線が平成17年の探索時のボートの航路を示している。

あの日は7号から4-2号までの5本の隧道(なお、隧道の名称は全て仮称である。特に、古いレポートとの整合性を取るため、4号隧道は「4」と「4-2」の2本となってしまっている。分かりにくいと思うが、ご容赦願いたい)を探索しているが、このうち4号と4-2号の2本はボートによる探索であった(4-2号は外から見ただけ、4号はボートで内部を通過した)。

そして今回の再訪編のターゲットは、前回すぐ近くまで接近しておきながら現状を確認する事が出来なかった、3号隧道に他ならない。

この隧道については、随分昔から存在自体は知っていた。

だが、私も私の友人も、その姿を見た事はなかった。

それはどういうことかと言うと…。

← ご覧の通りである。

3号隧道と私が呼んでいる隧道(そのワケは、起点の生保内貯木場から数えて3本目の隧道だから)は、4号や4-2号隧道とともに、昭和14年や28年版の地形図にしっかり描かれているのである。

しかも、その地形図上の「長さ」は、玉川林鉄の隧道の中ではダントツに長く、おおよそ200mの全長が期待された。

もしも現存している事が確かめられれば、玉川林鉄の全貌を把握する上での重要な前進と言えるに違いないのである。

そもそも、「そこにある」事が分かっていながら辿り着けないというのは、オブローダーにとってもっともストレスの溜まる存在なのであって、その攻略がそれほど甘美であるかは、前回の探索でわざわざボートを持ち

[6] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/tamagawa/main6.html

さて、しばし鎧畑地区で手こずっていた間に、レポは6回目を迎えてしまった。

まだまだ、玉川林鉄の探索は、やっと半分きたばかりである。

ちなみに、玉川ダムより上流についてはまだ探索すらしていない。

なんて、長い軌道なんだ。

本線だけで40,500mは、伊達じゃない。

しかも、一部は付け替え軌道だなんだで、二重になっているので…。

今回は、やっと先へ進む。

まずは、昭和32年の鎧畑ダムの完成に伴い付け替えられ廃止された軌道を、ダムまで辿ってみよう。

ちなみに、次回は同じ区間の付け替え軌道をお伝えしよう。

耳除から左折

チャリを回収し、鎧畑発電所の側まで戻る。

ここから左折する道は、鎧畑ダムサイトへと通じており、概ね旧軌道を踏襲した路線である。

正面の道は国道341号線で、付け替え軌道と重なる部分が多い。

まずは、旧軌道だ。

一車線の舗装路は、杉林の中を玉川に沿って進む。

両脇の山はそそり立ち、もう逃げ場はない谷間へと進んでいく。

だが、まだ僅かに猶予がある。

そこには、白煙をもうもうと上げる材木工場が稼働していた。

軌道は車道の左の杉林に築堤をして続いているようだ。

つかず離れず、並走している。

分岐から1200mほどで、蛇行する玉川と、それが削った岩肌とに挟まれる地点が来る。

ここを過ぎさえすれば、道のある右岸はしばらく地形的に楽なのだが。

軌道としても、ここは最初の難関だったに違いなく、隧道を持って越えていた部分だ。

しかし、車道は岸壁を広く切り開いて先へ進んでいる。

ま、また開削なのか…。

いかにも、この写真の場所など、隧道が開削されたっぽい。

この岸壁を過ぎてから振り返って撮影。

この右の大岩盤に隧道があったはずだ。

見たところ、坑口は存在しないが、ただ。

微妙に、古い地形図にある軌道の線形と、この車道の線形は異なる気がするのだ。

両者を重ね合わせてみても、精々0.5mmも違いはしないだろうが…私の勘が、別の位置に隧道があると言っている。

一旦引き返して、再度大岩盤の麓を精査してみることにした。

隧道 発見!

やはり、あった。

隧道は、車道よりもほんの5mほど山寄りの、帯状の湿地帯の奥に口を開けていた。

湿地帯は元々は軌道敷きだった場所らしい。

素堀の坑口は、岩盤上から落ちてくる細い滝の滝壺となっ

[16] 橋梁レポート 宝仙湖底の岩ノ目橋, , http://yamaiga.com/bridge/iwanome/main.html

2年前の2012年(平成24年)の夏は全国的に猛暑で、降水量も少なかったため、渇水に見舞われる地域が多かった。

東北地方の秋田県も例外ではなく、2012年8月28日には地元の高校生鈴木ヤス太さんから、当サイト宛にこんな情報が寄せられるまでになっていた。

このたびメールさせて頂いたのは、玉川ダムの渇水についてです。秋田ではこの夏例年にないほど雨の日が少なく、ここ2週間ほどは30度を超える真夏日が続いています。そのため、玉川ダムでは平成16年(2004年)の最低渇水水位を大幅に下回り、8月28日現在の貯水量は15%となっています。まだ確認はしていないのですがもしかしたら国道341号の旧道の探索ができるかもしれません。

玉川ダムといえば、私にとってはなじみ深い場所で、秋田在住の時代には良く訪れている。(関連する一番古いレポートは、2001年のこれだろう)

しかし、このダム湖が干上がりそうになっているというのは、私は聞いたことがなかった。

とても山深く水も豊かな場所だし、そもそもがとても巨大な湖だったからである。

だが、もし干上がったのであれば、玉川ダムは湖底に様々なものが眠っている可能性という意味で、期待度が高いダムだった。

早速だが、ダムが出来る前の古い地形図を、今の地形図と見較べてみよう。

玉川ダムは、平成2年(1990年)に雄物川水系玉川に完成したまだ新しいダムで、高さ100mの堤防によって湛水された人造湖「宝仙湖」は、総貯水容量が約2億5000万トンと、東北地方の人造湖では奥只見湖、田子倉湖に次いで三番目の規模を誇る全国屈指の大貯水池である。

このダム建設により、当時の田沢湖町(現:仙北市)の玉川と田沢という二つの地区に属する129世帯が水没し、ダムサイト上流の集落は全て無人となった。

もちろん水没したのは集落だけではなく、国道341号が約11kmにわたって付け替えられたほか、町道や林道なども相当距離が水没し、付替が行われている。

集落移転が始まる前の昭和48年当時の地形図を見て頂くと、谷底の広い範囲に集落が点在し、多くの道路が敷かれていたことが分かるだろう。

また、さらに時代を遡って昭和28年当時の地形図を見ると、集落は変わらず存在するが、道路はほとんど無く、その代わり多くの軌道が敷かれていたことが分かる。

これらは「林用軌道」と注記があるとおり、

秋扇湖

秋扇湖

履歴

[20] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933315340

メモ