大谷口

大谷口

[1] 大谷口

Webページ

[2] 大谷口すり鉢エリア① マチュピチュ編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-2ec0.html

やっと、大谷口に行けました。 ここは、去年ある方から教えていただいた場所です。すり鉢的には有名な場所なのかもしれませんが、私にとってはかなり魅力的でありながら、自力で辿りつくのは難しい情報だったと思います。

ある方、というのは、偶然にお会いした、河川・暗渠好きの方で、私が荒木町のすり鉢が良かったという話をしたら、大谷口を教えてくださいました。私より年若ながら、東京の地形のことをよく知っている人で、「若いのに、すごいなぁ」なんて感心した覚えがあります。

あちこちとさんぽしてきましたが、板橋はなかなか遠い印象がありました。が、ようやっと。大山の駅を降ります。以前、日大病院にお見舞いに行く機会が何度かあり、通るのはそれ以来です。大山の商店街を見るのは、サンドウィッチマンがM1取ったとき以来なので、これまたやや久しぶり。

そういえば以前大山のアーケードを歩いた時は、厚底ブーツを履いていました・・・ずいぶん前のことですね。あの頃は厚底なんて「全然」疲れませんでしたが、今じゃ数メートルで疲れるでしょうね、きっと。バランスだって、取れないかも。

アーケードを抜けると、「ハンサムらーめん」。うわぁw。・・・いや、でも、「ハンサム」という単語がむしろ新しく感じます。 その隣に材木屋さん。ここらへんたしか、千川上水が通っていたと思いますが、上水沿いにある材木屋さんって、どういうことなんでしょう。尾根沿いのわりかしまっすぐな運びやすい道があったということなのでしょうか。

さて、今回の第一の目的は「すり鉢を堪能する」なのですが、大谷口すり鉢エリアを通過するらしい、石神井川の支流をも堪能する予定です。

そこで、その水源といわれる大谷口1丁目のほうに向かいます。日大病院の脇を通過。 そしたら、もう無いものだとおもっていた、給水塔が見えました。リニューアルされていたんですねぇ。あたらしいけど、カタチは昔のものと同じなんですね。かわいいよなあぁ、あの帽子。

そして水源はこの近くみたいなのです。

もう遺構も、暗渠くささも何もない、きれいに舗装された道や、比較的新しい家が立ち並び・・・

でもこの道は、なんとなくあやしい。水源から、ここを流れ、すり鉢に向かうのでは・・・なんて、なんのあてもないのに勝手に妄想です。

その怪しい道の向い、コンビニの脇から北に向かおうとすると、おもむろにガックン!!と急降下し

[3] 大谷口すり鉢エリア② 風呂釜支流(仮)編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-7a01.html

前回の続き、大谷口から石神井川に注いでいた支流を、河口から遡ります。

河口近く、最初の道路はちょっと広めの立派なものでした。 道沿いにあった、ちょっと惹かれる一角。食堂と、むかし本屋さんだったらしき店。

てくてく。あまり川らしさが無い道だったので、ほんとにここで良いのかなあ、とちょっと疑わしく思っていたところに、公園がありました。見てみると、「さくらづつみ公園」!

堤!? 立派めの桜がいっぱいありました。桜堤、なんて場所があったのだとしたら、なんだかすてきですね。

そしてその先の流路はあてずっぽうです。なんとな~~く歩いていくと、いきなり出現しました!

車止め×コンクリ蓋の完全体が!!

わーーー!やったぁ、なぜだかすっごくウレシイ! 初めて歩く、板橋の蓋暗渠です。

よく見ると、コンクリ蓋のサイドに、穴が開いてます。それから、ひとつひとつの奥行が、杉並のソレよりもずっと長いです。

まあ、杉並の中でも規格が違うことはあるのかもしれないですが、それにしても、「おお、なんだか蓋が違うぞ」というのが第一印象でした。

さて、支流を遡ります!

すっごいワクワクします~。

いままで辿ってきた暗渠とのもうひとつの違いは、圧倒的な私有地感、でしょうかw こういう物置がどっかり置いてあったり、所狭しと植木?があったり、いろいろ、いろいろ・・・

なかでもスゴかったのは、これ。

お風呂の浴槽・・・ですよねぇ。 でもって、タイヤですよねぇ。半分はプランター・・・?

でも浴槽があったのはここだけじゃなくて、この先にも、いくつもあったんです。ベビーバスも、何個も・・・w ベビーバスには雨水が溜められていたりして、用途はさまざまなのかもしれませんけど、ともかく風呂釜の多いこと!・・・てなわけで、ここは「風呂釜支流(仮)」と名づけることにいたしましたw

もすこし先には、こんなガタガタ・エリアが。

ぱっと見はちょっと怖いですが、歩いてみるとべつにガタガタ動くわけではなかったです。 スキマから底を見ようとしましたが、微妙に見えませんでした。(・・・おそらく、水は流れていないようでした)

かなりワンダーランドな風呂釜支流(仮)蓋暗渠部分でしたが、全長は短いものです。

そろそろ終焉・・・の前に、なんだか意味不明な場所でクライマックスですwなんだか色々なもんが釣り下がってます・・・

・・・罠? 罠なのか・・・?

[4] 小竹向原~千川間連絡線新設工事(2011年1月9日取材) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/blog-entry-1005.html

東京メトロ有楽町線・副都心線が分岐・合流する 小竹向原~千川間 では、現在 平面交差となっている線路を立体交差化するための連絡線の新設工事 が行われています。去る2011年1月9日に現地の状況を調査してまいりましたので、今回は鉄道関連の専門雑誌の内容も合わせてこの工事について解説いたします。 ■小竹向原駅の構造と問題点 小竹向原駅 は 東京メトロ有楽町線・副都心線 と両路線と直通運転を行っている 西武有楽町線 が乗り入れる 島式ホーム2面4線の地下駅 です。小竹向原駅が開業したのは1983(昭和58)年の有楽町線池袋~営団成増(現・地下鉄成増)間と西武有楽町線小竹向原~新桜台間が開業した時のことです。以後、各方面とも延伸開業を続け、有楽町線は和光市駅で 東武東上線 に、西武有楽町線は練馬駅で 西武池袋線 と直通運転を行うようになりました。さらに、1994(平成6)年には有楽町線と同時に建設されていた13号線(副都心線)の小竹向原~池袋間を先行供用する形で 有楽町新線 が開業し、現在の線路の形態が完成しました。 小竹向原駅の配線 ※クリックで拡大 小竹向原駅は西側で有楽町線と西武池袋線が、東側で有楽町線と副都心線がそれぞれ分岐・合流していますが、西側については 外側2線が有楽町線和光市方、内側2線が西武有楽町線練馬方へ立体交差で分岐 するのに対し、東側は 一旦4線から6線になったのち、平面交差で有楽町線と副都心線が分岐 する構造となっています。有楽町新線の開業時は列車本数・利用者はともに少なかったため、この平面交差が問題になることはありませんでした。しかし、2008(平成20)年に 副都心線 が当初の計画通り池袋~渋谷間で全線開業を迎えると、 これら4方向を行き来する大量の列車をこの平面交差のみで処理 せざるを得なくなり、 交差する列車同士の信号待ちによる列車の遅延が多発し、長時間にわたり直通運転を行っている他社線まで影響を及ぼす こととなりました。(副都心線開業後初めての平日となった 2008年6月16日の終日にわたるダイヤ混乱 はその際たる例。) 来る2012(平成24)年には、 東急東横線の代官山~渋谷間が地下化され副都心線と直通運転を開始 する予定となっています。これに伴い、副都心線の 列車本数はさらに増加 することが見込まれ、平面交差による列車の遅延が深

[5] 釣堀となった溜池から流れ出していた小川ーエンガ堀向原支流(上流部)を辿る : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/19454254/

近寄って見てみると、それは「鯉供養の碑」だった。右奥の石積み上げたところにはかつて水が流れていたかのような赤茶色の痕跡があるが、何だろうか。 この窪地が上の地図で示した谷戸の谷頭で、かつて「田頭(でんがしら)」と呼ばれていた。そこには湧水を蓄えた溜池があり、谷の下流部の水田の水源となっていたという 古い地形図を見ると、溜池があったのは大谷口2−35付近。資料によれば上板橋に3箇所あった溜池のうちの2つで面積390坪ほどだったというが、地形図には1つしか描かれていない。

写真は石碑のあった地点からすこし谷を下った地点で、谷頭の方向を振り返ったところ。写真奥の、青いマンションのところがちょうど地形図に描かれた溜池があった場所だ。そして、そこから流れ出していた川跡が、暗渠となって残っている。 一帯の地名は暗渠を境に「大谷口」と「向原」に分かれる。向原では、干ばつの年には雨乞いが行われ、榛名神社の水を運びこの溜池に入れたという。榛名神社への講は他の地域でも聞いたことがあるが、100km以上離れた土地の山への信仰は何やら不思議な感じだ。谷頭から台地上に上がった千川通り沿いには、今でも雨乞地蔵が残されているという。google mapのストリートビューでもその姿が確認できるのだが、最近この地にマンションが建っており、現在も健在なのかは不明だ。 溜池は昭和初期には釣り堀になり、戦後もしばらく営業していたようで、「大谷口の釣堀」として親しまれていたという。信仰では向原なのに、通称が大谷口となったのはなぜなのか気になるところだ。 先の「鯉供養の碑」の裏面には昭和12年と刻まれておいたから、釣堀と何らかの関係があったのだろうか。水源となっていた湧水は近くを通る千川上水の暗渠化と同時期に涸れたといい、そのことから湧水は千川上水の漏水を受けていたと推測されている。

(goo地図1948年航空写真より) goo地図で1940年代末の航空写真を見ると、地形図に描かれた溜池と同じ場所に、中島のある池が確かに確認できる。池の中島には弁財天が祀られるのが普通だが、ここには不動尊が祀られていて、現在は八雲神社に移設されているという。 そして、先の鯉供養の碑がある辺りにもプールのような長方形の池や、それに隣接する台形の池の姿が認められる。昭和初期の地形図にも、昭和30年代の地図にも描かれていないこれ

[6] 貫井川の支流の支流をたどる : 暗渠徘徊の日々, , http://ankyoneko.exblog.jp/14301232/

石神井川の支流が削った谷を順番に西へたどってきましたが、もう残りわずかとなりました。 今回は貫井川の東隣にある谷を訪ねます。 訪問日:2010/1/24 こちらが恒例の国土地理院の「数値地図 5mメッシュ(標高)」CD-ROMからの画像。 支流の流路を書いていないので分かりにくいですが、貫井川は本流はまっすぐ石神井川に注ぎますが、支流が東向きに分かれて、今回の谷よりも東まで行ってから石神井川に合流しています。 その支流に合流する支流なので、今回は「支流の支流」ということになります。

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933301758

メモ