2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。
そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。
差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。
その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。
その道の場所は、右の地図の通りである。
地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。
その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。
いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。
最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。
ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。
すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。
このルートは、確かに一般の道路地図にも示されている。
だが、それは「歩道」としての記載であり、その存在する場所からも、ただの登山道路と見える。
ここに車道がもし存在するとしたら、果たしてそれが廃道となるものだろうか?
現在の国道ですら遙か谷を下り谷地温泉を経由して繋ぐこの二大観光地を短絡する路線、まさに、最高の観光道路ではないか。
メールを頂いた瞬間より、私の興味はこの道から離れなかった。
図書館に赴いたり、WEBをさすらい情報を集めた。
ぴょんぴょん氏からも積極的に追加情報を頂戴した。
それらを総合すると、ますます謎の深い道だと言うことが分かった。
それぞれの情報の出所は煩雑になるので示さないが、私が調べた限りでも、次のような情報が、この道について錯綜した。
・昭和8年〜9年に建設された「酸ヶ湯大鰐線」という観光道路である。
・昭和8年から3年間掛けて建設された産業道路である。
・一度も車が通ることなく現在に至る。
・検査の車が通ったこともある。
・昭和9年から3年がかりで、県が救農土木事業として建設した道である。
・救農対策で建設された後は、旧陸軍が使用する軍用道路であった。
・この道は「旧道」と呼ばれ、一部が登山道として再利用されている。
・この道を「旧県道」として案内しているガイドマップも存在している。
・戦後、道は放棄され現在は大部分が自然に帰した状態になって