[1] 櫻山運鉱線
ちょいキモ悪いアーチ内部の観察を終え軌道跡へと戻る。実は、この足元は超崖っぷちである。国道は遥かに下であり、怖くて写真を撮る余裕もなかった。 山への侵入から既に50分が経過していた。侵入地点からはかなりの距離を歩いて来た。どこまで行けるのか、途中で引き返すのか、明確なプランは無かった。途中で国道に下りるにも高度が有り過ぎ、危険という意味から現実的でない。 最悪は来た道を戻ると言うことで、行けるところまで行くことにした。やがて、広い軌道敷きに到達した。もしやここではないかと、写真を取りまくる。 このカーブの具合といい、軌道がすれ違う山側と谷側の段差が、まさしく広報釜石の写真と酷似していた。どうだろう、上の画像と比べてみて、似てはいないだろうか。今は木々が生い茂り遠くの景色が見えにくいのだが、後にも先にもこの条件に合った場所はここしかない。写真はもう少し高い場所から引いた感じである。木々がなければ、スッキリするだろうに、残念!! ということで、念願であった写真の場所に到達したのだと確信した。少し行くと、錆び色の重厚なネットが張られた場所が現れた。想像するに、この下は選鉱場や変電所の施設があることから、ネットの向こう側に見えるような巨石が櫻山から転がり落ちてくるのを、ここでくい止めると言う役割を果たしているのではないかと推測される。 当然の如く、それは櫻山運鉱線が廃止になった以降の設置であろう。
ちょいキモ悪いアーチ内部の観察を終え軌道跡へと戻る。実は、この足元は超崖っぷちである。国道は遥かに下であり、怖くて写真を撮る余裕もなかった。
山への侵入から既に50分が経過していた。侵入地点からはかなりの距離を歩いて来た。どこまで行けるのか、途中で引き返すのか、明確なプランは無かった。途中で国道に下りるにも高度が有り過ぎ、危険という意味から現実的でない。
最悪は来た道を戻ると言うことで、行けるところまで行くことにした。
やがて、広い軌道敷きに到達した。もしやここではないかと、写真を取りまくる。
このカーブの具合といい、軌道がすれ違う山側と谷側の段差が、まさしく広報釜石の写真と酷似していた。
どうだろう、上の画像と比べてみて、似てはいないだろうか。今は木々が生い茂り遠くの景色が見えにくいのだが、後にも先にもこの条件に合った場所はここしかない。写真はもう少し高い場所から引いた感じである。木々がなければ、スッキリするだろうに、残念!!
ということで、念願であった写真の場所に到達したのだと確信した。
少し行くと、錆び色の重厚なネットが張られた場所が現れた。想像するに、この下は選鉱場や変電所の施設があることから、ネットの向こう側に見えるような巨石が櫻山から転がり落ちてくるのを、ここでくい止めると言う役割を果たしているのではないかと推測される。
当然の如く、それは櫻山運鉱線が廃止になった以降の設置であろう。
これまで幾人もの猛者達が制覇したであろう、仙人峠の櫻山運鉱線。ネット上では、数々のすばらしい遺構群を拝見させて頂いた。 いつかは行ってみたいものだと思っていたのだが、ある日mixi仲間のrebi氏の日記に仙人峠の風景の画像が載った。そこでボクは見逃さなかった。山肌に走る一本の路盤跡を・・・。 そこから、「行ってみる?」と言う話しがとんとん拍子にまとまり、山が緑に色づく前にと言うことで、20年来の付き合いとなるrebi氏との久々の再会は突然の共同遺構探索となった。 そうなると気になることがあった。それがこの画像であるのだが、これは広報釜石に掲載された櫻山運鉱線が運行していた時代の写真である。(画像をクリックすると広報釜石の掲載記事へ飛びます。必ず戻って来てね!!) 隧道も見たいが、この写真の位置に立ってみたいと言うのが、密かな願いでもあった。その願いを胸に、一路友の待つ釜石へと旅立った。 ちなみに、ボクのレポには歴史も理論もテクニックもない。ただ画像だけ楽しんで頂ければと思うだけだ。 さて、以前は盛岡から国道396号線を釜石に向けて行くのだが、久しく足が遠退いている内に状況は変化した。釜石自動車道なるものが花巻から東和まで開通していた。そして最近、仙人峠道路なるものが新しく開通した。 北上高地の難所、仙人峠を克服する道路の開通は、長年に渡る地域住民の悲願であった。 いずれは釜石自動車道に昇格するであろうが、それはずっと先の話しであり、4本のトンネルで直線的に山を貫いた高規格の道は、これまでの仙人峠という難所を通らずとも、安全かつ短時間で釜石まで到達することが可能となった。老体には何ともありがたいし、釜石という街がぐぐっと身近に感じられるようになった。
これまで幾人もの猛者達が制覇したであろう、仙人峠の櫻山運鉱線。ネット上では、数々のすばらしい遺構群を拝見させて頂いた。
いつかは行ってみたいものだと思っていたのだが、ある日mixi仲間のrebi氏の日記に仙人峠の風景の画像が載った。そこでボクは見逃さなかった。山肌に走る一本の路盤跡を・・・。
そこから、「行ってみる?」と言う話しがとんとん拍子にまとまり、山が緑に色づく前にと言うことで、20年来の付き合いとなるrebi氏との久々の再会は突然の共同遺構探索となった。
そうなると気になることがあった。それがこの画像であるのだが、これは広報釜石に掲載された櫻山運鉱線が運行していた時代の写真である。(画像をクリックすると広報釜石の掲載記事へ飛びます。必ず戻って来てね!!)
隧道も見たいが、この写真の位置に立ってみたいと言うのが、密かな願いでもあった。その願いを胸に、一路友の待つ釜石へと旅立った。
ちなみに、ボクのレポには歴史も理論もテクニックもない。ただ画像だけ楽しんで頂ければと思うだけだ。
さて、以前は盛岡から国道396号線を釜石に向けて行くのだが、久しく足が遠退いている内に状況は変化した。釜石自動車道なるものが花巻から東和まで開通していた。そして最近、仙人峠道路なるものが新しく開通した。
北上高地の難所、仙人峠を克服する道路の開通は、長年に渡る地域住民の悲願であった。
いずれは釜石自動車道に昇格するであろうが、それはずっと先の話しであり、4本のトンネルで直線的に山を貫いた高規格の道は、これまでの仙人峠という難所を通らずとも、安全かつ短時間で釜石まで到達することが可能となった。老体には何ともありがたいし、釜石という街がぐぐっと身近に感じられるようになった。
広報釜石に掲載されたこの場所は何処なのか。 山々の感じからすると、かなり下の方と思われる。一部複線となっている箇所であることから、それなりに路盤幅も広くなっているようで、それだけが頼りであった。
広報釜石に掲載されたこの場所は何処なのか。
山々の感じからすると、かなり下の方と思われる。一部複線となっている箇所であることから、それなりに路盤幅も広くなっているようで、それだけが頼りであった。
[5] この記事はSuikaWiki Worldで2013-06-09T09:40:02Zに作成されました。 2013-06-09T09:46:37Zに最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933291453