歴史[編集]
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、南岩手郡滝沢村・鵜飼村・大沢村・篠木村・大釜村の区域をもって滝沢村が発足。
1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡が岩手郡に変更。
1965年(昭和40年)10月25日 - 村章・村歌・滝沢音頭を制定[1][2][3][4]。
1989年(平成元年)4月1日 - 村制100周年。
1990年(平成2年)8月17日 - 村民憲章を制定[5]。
2014年(平成26年)1月1日 - 滝沢村が市制施行して滝沢市となる。
単独市制移行に向けての経緯[編集]
2013年12月1日の時点で岩手県内13市15町5村のうち7番目に人口が多く、市に昇格可能なだけの人口には早くから到達していたものの、長らく「村」にとどまっていた。これは、峠を挟んで巣子地区(旧・滝沢村周辺)と鵜飼地区(旧・鵜飼村周辺)に世帯・商業地が分散してしまっているため、村内にはっきりとした市街地の集積がないことや、村民の多くは隣接する盛岡市に通勤・通学し、普段の買い物に関しても盛岡にほぼ依存しており、盛岡市のベッドタウンとしての位置づけが強いことなど、人口以外の「市となる条件(地方自治法 第八条第一項)」を満たしていないためであった。
さらに、市となる条件を満たしていないという直接的な理由のほかにも、「村」という言葉に人が抱く「のどかで豊かな美しい場所」というイメージのブランド性を維持するためという、戦略上の理由もあった[6]。
中核市指定を目指していた盛岡市との合併案も持ち上がり、盛岡市では合併協議会も設立されたが、滝沢村民による強い反対により実現しなかった。なお盛岡市は2006年(平成18年)、岩手郡玉山村を編入合併して人口30万人を達成し、2008年(平成20年)4月に中核市に指定されている。
滝沢村単独で市制施行することについては、1997年(平成9年)に当時の村長だった柳村純一が意欲を示したものの、その時は結局実現に至らなかった。しかし、全国の人口5万人以上の町村は大半が単独市制に移行している[7]ことや、2009年(平成21年)度の村民アンケートで盛岡市との合併に反対する意見が63.5%と、2007年(平成19年)度調査より2.2ポイント上昇していることなどを背景に、2011年(平成23年)から市制移行に向けた動きが再び始ま