大沢田トンネル・有壁トンネル

大沢田トンネル・有壁トンネル

[1] 東北本線大沢田トンネル・有壁トンネル, 有壁隧道, 大沢田隧道, 新大沢田トンネル

Webページ

[2] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK34.html

2010年5月以来、2年振りの再訪となった2012年の春。 前年の春は震災の影響で、それどころではなかったという訳だ。

ビアンテが泥で汚れているのは、ここに来るならではのお約束ということで、ここから東方向へ数キロの地点にある旧東北線の有壁隧道を観賞するため悪路を走破したということだ。

その有壁と一ノ関を結ぶ隧道として有壁隧道が初代であるならば、今回探索する大沢田隧道はルート変更と共に掘られた2代目、そして現行の下り線が3代目、現行の上り線が4代目となるらしい。

詳しい歴史や内部調査状況については、他サイトにて確認して頂くという、毎度ながらの他力本願なのであった(笑)

【参考サイト】

「鉄の廃路(てつはい)」・・・「廃線調査 東北本線 有壁〜一ノ関」

「山さ行がねが(山いが)」・・・ 「隧道レポート 大沢田隧道 東北本線(有壁〜一ノ関)」

大沢田隧道への道は前回現地確認済みなので、その道筋を足早に辿る。

法面の梯子を使用させて頂き、安全確認の上線路をさっさと跨ぎ一気に藪に侵入!!

[6] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/arikabe/main2.html

東北本線の前身「日本鉄道線」時代の隧道である有壁隧道は、大正13年には、大沢田トンネルを経由するルートに切り替えられた。

以来、有壁隧道は、現在線とは最大で2kmほども離れた山中に、その痕跡をとどめている。

廃止後、今年で81年目(築115年!)となる隧道だが、

我々のような廃線趣味の者が、この地をネットやその他のメディアで取り上げるようになった十年ほど前の時点で、既に内部に著しい崩壊が認められ、通り抜けは出来ない状況にあったとされる。

特に、有壁側の坑口(南口)は、農業用溜め池の奥に半ば水没した状況で口を開けるという、隧道の存在状況としては末期的な悪条件となっている事が知られている。

当山行がでも、昨年春に一ノ関側坑口から、その内部の大崩落閉塞地点までをレポートしているが、時間的な都合の他、徒手空拳では接近できないだろうという事前情報を鑑みて、有壁側の坑門の探索は行わなかった。

そして、山行が水軍の長である細田氏の参戦をもって、遂に、挑戦の日を迎えることとなった。

それが、今回お伝えするレポートである。

果たして、山行がは失われた隧道に辿り着くことが出来たのだろうか・・・。

東北本線清水原駅から一ノ関駅付近までの、現在線にして9700mの区間は、大正13年まで約7000mの鉄路で結ばれていた。

一般的には、線形改善や、トンネルが長大化するなどの改良により、区間延長は短くなる傾向があるが、この区間は稀なケースで、当初の路線に比べて、現在線は2km以上も遠回りしていることになる。

短絡性に優れた旧線が廃止された最大の原因は、有壁隧道をサミットとする峠の勾配が、最大16.7‰と、かなりきつかったためだ。

廃止された当時では、まだ開通後35年ほどしか経過しておらず、隧道などの設備の老朽化とは考えにくいだろう。

旧線跡を清水原駅付近から辿ることは、たやすい。

隧道直前まで、旧線跡を利用した車道が通じており、自動車で接近することも出来る。

浄水場のような場所を過ぎると、未舗装のあぜ道となり、次第に勾配は増す。

それと共に、両脇の丘陵も接近してきて、いよいよ県境の低いがハッキリと存在感のある稜線が眼前に現れる。

ちなみに、清水原駅は岩手県西磐井郡花泉町、現在線にある有壁駅は宮城県栗原郡金成町、そして大沢田トンネルで県境をくぐると、次の一ノ関駅は

[9] 隧道レポート 大沢田隧道 東北本線 (前編), , http://yamaiga.com/tunnel/oosawada/main.html

2005年の春に山行がが挑んだ隧道の一つに、この大沢田隧道がある。

これは、東北本線の旧線の隧道で、右図の通り、この隧道があるのは宮城県と岩手県の県境部である。

ただし、この県境にある東北本線の隧道としては、有壁隧道がとみに有名であり、この大沢田隧道はこれまで商業誌ベースで取り上げられたこともない、ひっそりとした旧線である。

おなじ県境にある有壁隧道と大沢田隧道だが、これらは親子の関係にある。

東北本線がまだ日本鉄道株式会社によって敷設されていた頃、明治23年に完成したのが有壁隧道である。

そして、この有壁隧道が老朽化し、また前後の線形も良くなかったことから、日本国有鉄道が路線を約2kmほど西に移設した折に建設されたのが、大沢田隧道である。

こちらは、大正の13年生まれだ。

よって、いずれも県境を貫く隧道である。

そして、この一ノ関と清水原駅の間の峠越えの隧道は、この二本だけには留まらず、その後も時代を追って次第に増設されていった。

右の地図を見ていただきたいが、大沢田隧道を有壁隧道に対比して、「2代目」と表現している。

そして、その後「3代目」「4代目」、そして新幹線のトンネルまでもが、非常に狭い範囲に集中して穿たれた。

「3代目」は、2代目隧道の複線用として昭和になってからすぐ隣に追加されたもので、現在は下り線として利用されている。

「4代目」は、2代目隧道がいよいよ老朽化したために、昭和58年に廃止されたのを受けて代替に建設された物で、2.3代目よりもやや長い。

こちらが現在、上り線として利用されている。

今回の探索の対象となったのは2代目、大正13年完成とかなり古いながらも存在感の薄かった大沢田隧道である。

この探索については、幾つかの不安材料があった。

一つは、この隧道が約1kmと、比較的長いと言うこと。

そしてもう一つ、最大の懸念材料だったのが、この隧道が東北本線の上り線と下り線の間に口を開けていると思われたことである。

これは、地図調査によって懸念されていたことで、ローカル線ならばいざ知らず、東北の幹線である東北本線が相手なだけに、あまり下手をすると、そのまま手が後ろに回る可能性があった。

そのリスクを負って、現地へと赴いたのは、私の他、細田氏とふみやん氏の、合計3名である。

一関市方面から県道260号線(旧国道4号線)を

[11] 東北本線旧線 有壁〜一ノ関, , http://www2q.biglobe.ne.jp/~kodama/osawada.html

最初に言っておくが、今回の踏査は限りなくボツネタに近い。とは言っても普段あまりにも陽の当たらない廃線跡なので、あえて公開したい。表題を見て「え?結構メジャーな廃線跡では?」と思った方、あなたが知っている廃線跡はきっと「清水原〜一ノ関」の廃線跡であろう。当サイトに於いてもボツネタとして公開中である。さらに突っ込んだ踏査を相互リンクサイトの「山さ行がねが」様でも行っていることは、多くの読者様の知るところであろう。

今回の踏査対象は、東北本線の中でも比較的新しい付け替え跡である「有壁〜一ノ関」である。地図を見て頂ければ一目瞭然である。

地図をご覧になっておわかりのように今回の踏査は、有名な有壁隧道の廃止後に開通した新線上の「大沢田隧道」に関するものである。東北本線の多くの区間は複線化に際し、上り線を新設する形で行われたが、この大沢田隧道も複線化の際に上り線用の大沢田トンネルを新設し、下り線の大沢田隧道はそのまま使われ続けた。しかし昭和58年に老朽化の為廃止、新たに下り線の付け替え及び新大沢田トンネル(下り)の新設が行われた。有壁駅は大正13年に新線移行と共に開業している。仙台から北の奥州街道の宿場町を離れて進んできた東北本線が、この新線移行によってようやく有壁宿から奥州街道に再び沿って進むことになる。旧旧線からの移行の際、長大トンネルを掘らずにあえて遠回りとなる迂回ルートにしたのも、その辺の配慮があったかどうかは定かではないが。とりあえず、今回の踏査に関しては、私がアプローチした順を追って見て頂こう。

いきなり藪である(笑)とりあえず、どの辺が旧線かもわからずに現地へ行ってみた。ちょうど一ノ関バイパスと旧4号との分岐点辺りが大沢田トンネルの一ノ関側坑口附近ということで、とりあえずその辺のスペースに車を止め、線路沿いに歩いてみた。すると、下り線の東側になにやら怪しい切通がある。これは!と思い近づいたが、切通の縁のぎりぎりまで行ったが隧道らしき物は全く見えない。しばらく周辺をうろつきあがいてみる。写真右中央の灰色部分が、旧線の切通の法面である。

一ノ関方向を向くとこんな感じである。この場所から下には降りることは不可と判断。一度4号に戻ることとする。

4号バイパス上から見た下り線。大沢田トンネルの左側に沿うように、線路一本分のスペースが、一ノ関方向に上り線と合流する辺

[12] 東北旅行(東北本線大沢田トンネル付近)⑥:しゅうちゃんのお出かけ日記:So-netブログ, , http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2008-02-02

今日は東北旅行(青森から一ノ関へ)からの続きで(昭和40年8月11日)一ノ関~有壁間にある大沢田トンネル付近(一ノ関側)で撮った画像を見てください。 一ノ関機関区を後にしてD62の走行写真など撮るため、ミヤコバスに乗って約5㌔程で鬼死骸という怖いバス停名で降りました。と思っていますが今一?です。 大沢田トンネル付近は下り線と上り線が離れており、トンネルも独立しています。真夏のムンムンした蒸し暑い日の撮影だった様な記憶があります。 かなり古い時代には、ここから東側へ数キロの所に旧線があって勾配が16%以上の峠越えをしていました。トンネルをサミットとする峠は、かなりの難所だったそうです。有壁峠、有壁隧道と言っていました。

左側下り線、右側上り線です。丁度列車同しのすれ違いですね。架線が既に引かれていましたがまだ電車や電機等の運用はしていませんでした。

上りD624+C58(多分)の重連で50両近い貨物を引いてきました。

後方補機が付く場合も有ったんですね。補機はC58303でした。

上り特急「つばさ」通過して行きました。この前に特急「はつかり」が来るのですがフイルムに写っていないので、きっと撮り損ねたのでしょう。

下りC619牽引普通列車青森行きと思います。

上りC6128牽引の列車ですが列車名は不詳です。旧国道4号線をくぐり、大沢田トンネルに入ります。その上から撮影しています。

下りD624牽引貨物列車

DD51が牽引する上り優等列車上野行きですが、急行「みちのく」?急行「ひめかみ」?それとも何だろうなぁ。

下り急行「あけぼの」は仙台始発(13時50分)、横黒線(現在は北上線)、奥羽本線経由で青森行き(21時53分着)の運転でした。 客車、貨物を牽引は殆ど蒸気機関車でD62、D51、C61、C60、C58、それとDD51など、多彩な顔ぶれだったんですね。 最後の撮影はフイルムを見ると、上りC61が引く荷物列車が写っています。何時頃でしょうね。 この後、一ノ関駅までは5㌔程あるので多分バスで戻り次の目的地、3度目の夜行列車でまたまた北上し青森行き23時01分の普通列車を待ちます。駅舎の時計はまだ18時15分です。(前回の東北旅行(一ノ関)に駅舎の画像を載せています)。気長に待っていた様ですね。

ここで撮影した一ノ関機関区とD62の画像は下記の「なめくじ会鉄道写真館」のホ

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[13] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933286600

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