吹上トンネル

吹上トンネル

[1] 吹上トンネル, 新吹上トンネル, 吹上隧道

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[2] 隧道レポート 旧 吹上隧道群, , http://yamaiga.com/tunnel/fukiage/main.html

小学六年の夏に横浜から秋田へ引っ越して以来、17年間もの間、ただの一度も関東地方へと足を踏み入れることなく、ひたすらにみちのくの地に轍を刻み続けてきた私であったが、このたび、たった一日だけではあるが、思いがけない形で関東の地を踏むことになった。

この春から勤めはじめた仕事先の、出張の機会である。

東北新幹線が大宮に近付くと街並みがはじまり、それが途切れぬまま、やがて上野の車内アナウンスが響く頃には今度は列車は地下へと潜ってしまう。 これは東京隧道なのか。地下鉄なのか。

……あれから17年も経って、もう東京の街では全てがドームに覆われ、空の見えない全天候型都市になったのかと諦めかけた頃、列車は再び光の元へ、周囲のビルディングの巨大さに驚く間もなく、すぐに東京駅の21番線に滑り込んだ。

不慣れなスーツに身を包み、ぱりぱりの名刺を胸に秘め、緊張の面持ちで下り立つ首都東京駅のホーム。

どうにかこうにか初日の仕事を終えると、時刻は22時近くになっていた。

あとはもう慣れないホテルに篭もって寝るだけと、経った一晩だけの東京の夜の虚しさをかみしめていた私へ、以前からメールのやり取りがあった山行が読者のT氏から電話が。

T氏は言った。

山行が、出動だ!

T氏は、それから幾らもせずに日本橋のねぐらへと迎えに来た。

そして、吹上隧道の攻略を指令したのである。

当然のことながら、私はこの隧道のことを殆ど知らない。

だが、聞くところによると、明治・昭和・平成と3つの隧道が共に近接して存在しているという。

そして、明治の隧道はこの東京都で最古の道路隧道なのだという。

そういえば、そんな隧道がこの東京にあるという話は、どこかで聞いた事があった。

そして、私がこの隧道について覚えていることは一つ。

そこが、どういう経緯かは分からないが(根拠があるのかさえ不明だ)、関東を代表する一大心霊スポット(小学生の頃から有名だった小坪トンネル…三浦半島と並んで……)であるということだった。

私は、心霊の類などが自身の探索のおかずにこそなれ何ら障害になるとは思っていないが、それ以前に、この深夜という時間帯に(しかも土曜日の夜)単身で、関東のならず者たちが一同に会しているかも知れないような廃隧道へ行っても大丈夫なのかと、それを聞きたかったが、T氏はもう既に私を乗せ、夜の街を走り出してい

[4] 巡霊者:心霊スポット取材記:茨城県【佐白山:その3】, , http://ghostplace.net/ibaraki/sashiro3.html

■その2へ戻る

■佐白山の内部へ

さて、現地のなだらかな坂道を“てくてく”と歩いていると、周囲の木々のほかに色々なもの…たとえば石碑や石製の階段などが見えてくる。こういったものが視界に入ってくると「笠間城跡に来たんだなぁ」と、しみじみ思えてくるのが面白い。

また、それと同時に“気持ち”の方も徐々に盛り上がってくる…という表現は少々大袈裟かもしれないが、現地撮影に“気”が入ってくる。

■井戸

そんななか、“霊的”に噂されているもので最初に視界に飛び込んできたのが井戸だ。 本編「その1」の写真で紹介したのが、まさに“それ”なのだが、人の良い屋根なども作られており、当地がキチンと整備されているのが伺える。 目の前に井戸があると内部を覗きたくなるのが人の本能かどうかは分からないが、「中はどうなってんのかな?」などと気になってしまうのは私だけではないであろう。己の欲求のまま井戸の中へ顔を覗かせ、内部の写真も撮影する。ここで思ったのだが、確か

「井戸の内部を覗くと神隠しにあう」

といった噂があったような…いや、「その2」で書いてあるとおり確かにそんな噂話が聞かれている。

果たしてこの噂が嘘か誠かは分からないが、今現在の私はこうしてレポートを執筆中であり、少なくとも現在においては神隠しにあってはいない。しかしながら、「一寸先は闇」という言葉のとおり、未来における私の“行先”など分かるはずもない。もし私が“行方知れず”なんてことになったなら、その時にはこの佐白山でのエピソードを思い出していただければと思う。

もっとも、この佐白山にはもっと沢山の井戸があるという話もある。現に「その2」で書いた「3つの井戸を見つけると呪われる」という噂もあり、少なくとも3つの井戸が、この周辺に存在していることになる。 なお、その1でも若干触れたが、3つの井戸のうち2つは見つけることができた。最後の1つは時間の都合から見つけることができなかったのだが、そのもう1つの井戸にはコンクリート製のフタが置かれていた。したがって当然ながら覗き込むことはできなかった。もちろんフタを退かして覗くことも選択肢としてあったのだが、あまりこういったものに手を付けるのも“如何なものか”と思ったので、それはやめておいた。

いま思えば、フタがされていたものが実は神隠しの井戸だったのでは…といった気もして

[5] 道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第二回, , http://yamaiga.com/road/okutadami/main2.html

ゲートから200mほど進むと、早速にして1号トンネルが出現。

プラスチック製の簡単な銘板が掲げられている他は、至って殺風景な坑口の様子である。

特にトンネルをウリにしている観光道路らしい様子は見られない。

それはさておき、記念すべきこの一本目の隧道の正式な名称は「1号トンネル」。

当初はダム管理道路のトンネルとしてこの名前だけで足りていたと思われるが、観光道路化を契機に親しみやすい日本語の名称「折立」を付与したのだろう。

ちなみに、折立は周辺の字名で、他の隧道はほぼ隧道周辺の沢名などから名付けられている。

全長235.7mと、長くもない1号トンネルであるが、長方形断面のスノーシェッドから入ると間もなく本来の地下部分となる。

この断面の形状が特殊だが、これはこの先の他の隧道も同様である。

よく見る馬蹄形や半円形の断面ではなく、扁平な曲線を描く天井を垂直の側壁が支える形状である。

力学的に決して優秀な隧道断面ではないと思われるが、なぜ全ての隧道がこのような断面に揃えられたのか、不思議なところである。

直線のトンネルだが勾配は結構きつく、これもまたシルバーライン前半の各隧道にほぼ共通する特徴である。

残念ながら、私はちょっと人目を憚りながら走行しなければならない立場なのだが、完全に一本道の隧道内において逃げ隠れする事は不可能。

ただただ追いつき追い越していく車の邪魔にならないよう、危険を感じさせないように出来る限りのオーバーアクションで存在をアピールするより無かった。

具体的には、手持ちのSF501を車の接近に合わせて点灯させ、地面や天井を盛んに照らすのだ。

ドライバーが早めに光に気がついてくれれば、余裕を持って回避してもらえるだろうと考えた。

また、車が追い越していくときには、必ず停止することも忘れなかった。

しかし、それだけしても実際には、思いのほか頻繁に大型車が通過するので、決して安心できる状態ではなかった。

また、いつ管理者や警察官によって制止を求められないとも限らなかった。

最初の隧道だけにもの凄く緊張していたが、特に何事もなく通過出来た。

…それはそうだ。

ただの隧道だもの。

妙に力んでいる自分が、少し可笑しかった。

1本目を数台の車に追い越されながらも無事通過できたことに少し安心し、行く手に2本目がすぐに現れた時には

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[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933284875

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