本尊岩隧道

本尊岩隧道

[1] 国道49号本尊岩隧道

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[2] 隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/honzongan/main.html

国道49号は太平洋岸のいわき市と日本海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。

都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。

だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。

それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。

そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた本尊岩(ほんぞんいわ)であった。 場所は新潟県東蒲原郡阿賀町(最近まで津川町)で、ここは阿賀野川が細く屈曲し海抜400m前後の山間を貫流しており、元もと道を通す隙間に乏しい場所であるが、その中でも本尊岩という大岩が水際に迫り出した一角があり、この基部を隧道が貫いて、辛うじて陸上交通を確保している。

この地の隘路としての宿運を初めて断ち切ったのが、平成8年に津川ICまでを開通させた磐越自動車道で、阿賀野川対岸の焼山直下に全長3kmを超える焼山トンネルを開通させた事によった。

細く入り組んだ宿場町の風情を残す津川町の南縁をバイパスで通り抜けた国道49号は、少し狭い麒麟橋で阿賀野川右岸に取り付く。

そこから本尊岩隧道までは西進すること約3.5km、ほぼ一本道である。

道はずうっと阿賀野川に沿っているが、進むにつれ両岸の山並みは険しさを増していく。

対岸は早々に沿う道もなくなり、緑茂る斜面が直接水面に触れるようになる。

やがて此岸も似たような景色になっていくのだが、その入口に、元一級国道らしからぬ交通規制表示が現れる。

本尊岩隧道を間に挟む揚川ダムまでの4km区間の通行規制の表示である。

現在は磐越自動車道という有力な迂回路があるものの、数年前まではこの通行止めは県経済に事あるごとロスを与えていたものである。

この阿賀野川沿いの国道の両側を挟むように、南に越後山地、北には飯豊山地という、いずれ

[4] 国道49号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%9349%E5%8F%B7

概要 [編集]

陸上距離:249.4km

起点:福島県いわき市常磐上矢田町沼ノ平23-1(常磐上矢田交差点 = 国道6号交点)

終点:新潟県新潟市中央区明石二丁目78番1(栗ノ木橋交差点 = 国道403号・国道459号起点)

距離標:平バイパス以西は、十五町目交差点(いわき市平市街地)からの距離となる。国道49号旧道と国道6号平市街地線の交差点は内郷御台境交差点。

主な経由地:郡山市、会津若松市、河沼郡会津坂下町、耶麻郡西会津町、東蒲原郡阿賀町、阿賀野市

指定区間:全線

冬の通行止め:会津若松市河東町八田付近から郡山市中山付近まで、吹雪などで視界不良になると通行止めになる。

福島県浜通りから新潟県下越地方に至り、太平洋側と日本海側を結ぶ連絡線の一つである。旧道はいわき市平市街地、バイパスは平郊外から発して、浜通りから中通りの郡山市、会津地方の会津若松市などへと福島県内の主要都市を連絡し、県境を鳥井峠で越えて新潟県下越地方に入ると、阿賀町津川地区からは阿賀野川に沿って東蒲原郡を通る。阿賀野市の安田、水原地区を経由し、京ヶ瀬地区北西部からは一部連続立体交差方式のバイパス区間(横雲・亀田バイパス)。新潟市横越、亀田地区を経由して、新潟市の市街地に至る。阿武隈高地以外の全線で磐越自動車道と並走する。

歴史 [編集]

国道制定以前

江戸時代には、現在の福島県いわき市付近から中通り地方の郡山市付近までを結ぶ岩城街道[1](現在は磐城街道とも称される)、同県二本松市付近から会津地方の会津若松市付近を結ぶ二本松街道、また会津地方と新潟県を結ぶ越後街道が存在していた。これらの街道と現在の国道49号が経由する場所は異なる部分もあるが、それぞれの街道が現在の国道49号が経由する地域を連絡していた。

1879年10月、当時の陸羽街道から分岐(現在の福島県本宮市付近)して新潟県へと向かう道路が仮定県道の一等路線として指定された。その後、三島通庸の福島県令就任後、越後街道の区間は会津三方道路として重点的に改良された。また、1885年11月には磐城街道と呼ばれる区間も仮定県道の二等路線として指定された[2]。

国道制定以降

1953年5月18日 - 二級国道115号新潟平線(新潟県新潟市 - 福島県平市)

1963年4月1日 - 一級国道49号(福島県平市 - 新潟県新潟市) -- 115号を昇

[5] , , http://yamaiga.com/comment/tunnel/honzongan/

揚川バイパス開通と同時にこの区間が封鎖されてしまうということなので、開通当日に走りに行って来ました。道端に車を停めて写真撮影をされている方も何人か見かけました。開通時間になっても福島側の道が開いていたのでバイパスとの交差点に結構な数の車が残っていました。開通前に車払いをするわけではないのですね。取り残された人たちをちょっと羨ましく思いました。 このレポートを見返しながら電子国土を覗いたのですが、開通翌日だというのにすでにバイパスが描かれていて、封鎖区間は道路もトンネルも綺麗サッパリ消えていました。印象的な道が元から存在していなかったかのように消されてしまうのは悲しいです。

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933278596

メモ