湘南道路

湘南道路

[1] 湘南道路 (しょうなんどうろ)

Webページ

[2] 湘南道路 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%98%E5%8D%97%E9%81%93%E8%B7%AF

湘南道路(しょうなんどうろ)は、神奈川県逗子市、鎌倉市および藤沢市にかつて存在した、日本道路公団所管の有料道路。

[3] 小坪住吉城址 - 相模湾 海から見る風景 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/nakagawa0322/13585948.html

逗子マリーナの裏山に、大きなマンションが建ちあがっている。クレーンが見えたときに、見に行って、驚いた。中世の遺跡住吉城址にあたる場所、兵士が陣立した「ぼんぱたけ」と呼ばれた平坦地にその建物が建っていた。後北条氏と三浦氏の戦場の跡地である。城址といっても城が建っていたわけではなく、山城というか、空堀などが配され、間道が手掘りのトンネルで繋がっていた。

この場所に最初行ったのは20年くらい前である。その時の様子を、当時遺跡とも知らずに、家族とハイキングした、中世の砦跡ではないかとかすかに思いながら書いたものがあるから紹介しよう。写真は、マンションが建ち上がり始めたころの昨年撮ったものである。

[4] 隧道レポート 小坪のゲジ穴, , http://yamaiga.com/tunnel/kotubo/main2.html

2007.3.31 8:10 【鎌倉市 材木座】

現在地は国道134号・小坪地内を北上中。

見ての通り、この区間の国道は深い掘り割りになっており、古い地形図に描かれていた“目指す隧道”への道は分断されているようだ。

しかし、今の地形図にあっても隧道の掘られていた山の形に変化は無いように見えるから、道はさておき隧道は現存する可能性が高い。

そう期待しての訪問である。

とりあえず、掘り割りと隧道への道の交点と思われる位置まで北上を続ける。

ちなみに前話の最後でも少し触れたが、現在は国道134号として無料開放されているこの道は、以前は日本道路公団の管理する「湘南道路」という自動車専用の有料道路だった。(開通年および無料開放年度不明。)

そんな由来の道だから歩道も無くて、圧迫感のある掘り割りの底を車に追い立てられるようにチャリで走るのは怖い。

さらに進むと、『逗子小坪プロジェクト マンション建設予定地』と大書きされた真っ青な看板が現れた。

そこから左の山中へ向けて、鉄板敷きの工事用道路が伸びているのだが、すぐ先に高いゲートが設置されており、奥はまるっきり見通せない。

位置的には、この辺りが目指す隧道への入口になると思うのだが…。

長いあいだ沿道利用が進まなかった元有料道路沿いの、ようやく始まった開発のようであるが、嫌な予感がする。

隧道は無事なのか!

そして、一番肝心なのは、私にこの奥へと近づく術があるのか。

ダンプが頻繁に出入りし、守衛が睨みを効かせる入口前で、無惨なはげ山となった現場の山へとカメラを向ける。

…これは…

隧道の現存はもはや… 絶望的 なのでは……。

国道を悶々としながらさらに30mほど進むと、いよいよ行く手に逗子市を画する飯島トンネルが迫ってくるのだが、その手前で左に折れる小道発見!

国道から逃げ込むようにそこへ入った私だが、5m先に門扉が。

その奥には、綺麗に手入れされた庭園路が丘の上に向かって続いており、セレブの薫りがする。

というか、門の前にチャリで止まった刹那、隠されていたスピーカーから「ご用の方はインターホンを…」などと声がいきなりしたもんだから、場違いな私はびびって逃げ出した。

…だめだ。

国道の海側はこの2カ所の枝を除いては全てコンクリの法面だし、枝も全く立ち入り禁止。

正攻法での接近は無理。

湘南で不法侵入

[5] 自然の回廊巡礼 ③古東海道と住吉城址 - 地球のしずく - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/pokochino6324/64982020.html

小坪切通しは、治承4年(1180)年8月17日の「小坪坂の合戦」の場でもありました。源頼朝が挙兵すると三浦氏は石橋山へと向かいましたが、折からの雨で酒匂川を渡河することができず、合戦に間に合いませんでした。8月24日、石橋山での頼朝の敗北の情報も入ったため、酒匂川から引き返します。しかし、平家方の大庭景親の要請によって武蔵国から出陣した畠山重忠の軍と由比ヶ浜で遭遇してしまいました。

畠山重忠の母は、三浦大介義明の娘であったことなどから、合戦に及ぶ気配はありませんでしたが、鎌倉杉本寺の杉本城を守っていた三浦一族の和田義茂が三浦軍が攻められていると勘違いし、畠山軍を攻めたため合戦となったのです。両者ともに痛手を負ってそれぞれ退却しました。畠山軍500騎、三浦軍300騎が布陣したのが、ここ小坪峠でした。

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933262975

メモ