小坪トンネル

小坪トンネル

[1] 小坪トンネル

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[2] 隧道レポート 小坪のゲジ穴, , http://yamaiga.com/tunnel/kotubo/main.html

私は、東京に移り住んだ地の利を活かし、月に一度くらいは千代田区九段下にある国土地理院関東地方測量部というところへ通っている。そこでは、これまで発行されたほぼ全ての地形図を閲覧することが出来るし、気に入った物があったら一枚500円でコピーを購入することが出来る。

これから紹介する隧道は、そうした地道な活動の中で見付けた小さな廃隧道である。

左右の地図を見比べてみて欲しい。

ここは、三浦半島の付け根に位置する逗子市北西の小坪海岸で、地図の左上の市街地は鎌倉市の一部である。(半島内での位置図はこちら)

この地名を聞いて、“出る”スポットの最古参としてマスコミにも度々登場し、余りに名前が売れてしまった「小坪トンネル」を思い出した人もいるだろう。

確かに、この小坪地区には“アノ”トンネルが存在する。

だが、今回の本題はそこにはない。

右の地図には、その一部を拡大したものを書き加えているが、今回表題の“小坪のゲジ穴”は、その中に描かれている。

そして、同じ部分を現在の地形図と比較してみると、確かに消失していることが分かる。

そこに何が有るのか、 或いは無いのか。

これを確かめるべく、三浦半島一円を舞台にした隧道巡りの二度目の旅の中で訪れた。

2007.3.31 8:06 【鎌倉市 材木座】

現在地は鎌倉市材木座。

右の地図を参照していただきたいが、ここから“とあるトンネル”をくぐって、目指す「地図から消えた隧道」が眠る小坪地区へ向かうことにする。

左の写真は、進行方向(南)を向いて撮影。

眼前には屏風のような岩山が立ちはだかっており、これは鎌倉市と逗子市の境となっている。

また、右の石とコンクリの防波堤のような壁は、昔は本当に防波堤だったものだが、今はそのさらに海側に国道134号が通っている。

良く写真を見ると、防波堤の向こうにも街灯が見えるだろう。

そのまま広い道を真っ直ぐ進むと、すぐに岩山の麓へ辿り着く。

直前で急に路幅が狭まるとともにS字のカーブとなり、そのすぐ頭上を国道が跨ぐ。

そして、位置を入れ替えた両者には、もれなくトンネルが。

さて、この二本のトンネルであるが、国道のものは「飯島トンネル」、この道にあるものは「小坪海岸・・トンネル」という。

どちらも比較的新しいトンネルで、特に“いわく”は無い。

これらのトンネルをくぐってもイイのだ

[4] 鎌倉 和賀江嶋から住吉城址へ, , http://www.izumi-loc.com/kamakura/wakaejima/index.html

鎌倉の材木座海岸に和賀江嶋という築港遺跡が残っています。築港遺跡としては最古のものです。

築かれたのは、鎌倉時代の貞永元年(1232)、往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)の発案で、執権北条泰時の助力で工事が行われ完成しました。その後、江戸時代まで利用されました。

飯島ヶ崎から弧状にのびる防波堤で舟繋ぎの石杭もありました。大きな根石を置き、その上に丸石を積み上げて造られたと思われます。石材は相模川、酒匂川、伊豆海岸から運ばれたものと思われます。

鎌倉時代の和賀江嶋には、宋からの貿易船も盛んに来航し、鎌倉の物流を支えました。そして材木座の周辺には魚座や米座などいくつもの座(座 ーー 商業権を独占する場、集団)が設けられ商業地域として栄えました。材木座という地名はそれが現在に残ったものです。

[5] 自宅にトンネル! その2 ~謎の邸宅 in 小坪~: 三浦半島なんでも探偵団 ~B面~, , http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-20c1.html

トンネルだらけの三浦半島ですので、いろんな変わり種トンネルがあります。 10年前にそれらを探しに行った成果をオリジナルサイトに残していますが、それ以外で新たに発見された物はこちらのB面で紹介して行こうと思います。

さて2月に紹介した、自宅にトンネルがある物件ですが、詳しく調査してみたいと思いきや、それが許される状況では無さそうなのでしばらくは遠くから指をくわえて見ているしか無さそうです。 あのような物件は滅多にないと思われるだけに、残念だなあ。

ところがどっこい、地図上ではありますが、同様な物件をもう一つ発見してしまいました! 場所は逗子マリーナの横。

逗子マリーナの横とは言っても、入口はR134側にあります。 この入口から母屋までは私道が続いています。 地図上で測定すると、150mから200m位ありそうです。 その途中が山になっていて、そこにトンネルを掘ってある、という構造。

でも入口からじゃトンネルは見えないし、第一この門、表札はないし、だけどALSOKがガッチリガードしているようだし、怪しさプンプン。

ちなみに左前方に見えるのは、私道横に現在建設中のマンションで、これが完成すればそこから私道トンネルの入口は見えるようになるのではないかと想像しています。

じゃあ母屋はどこにあるのかというと、逗子マリーナ横の崖の上にあるんです。 写真右上に見える白い家がそれ。 ちなみに左下に見えるのは小坪海岸トンネルです。

この崖、ほとんど垂直に切り立ってますので、マリーナ側からは全くアプローチできません。 つまりここ、マリーナを見下ろしてはいますが、入口は海とは反対側にある私道トンネルのみ、ということで鉄壁のガードを誇っているわけです。

とはいえ、どこかにほころびがあるのではないかと思って、地形図を見ながら歩いてみました。 等高線から推察するに、住吉ずい道方面から山に入れば可能性がゼロでは無いように見えます。

ということで一旦小坪海岸トンネルを通って海側をUターンして住吉ずい道へアプローチする道に来ました。 ここから先はかなりの登りになります。

坂の途中、山中に伸びている怪しげな階段を発見! 階段があると言うことはその先に道があると言うことでしょうから、行ってみたい度200%、だったのですが、残念ながらこの階段、民家の庭から延びていることが判明したため、アプロ

[6] 住吉城 - 風雅庵の日々, , http://blog.goo.ne.jp/fuga_an/e/759ffd76e8f46d08cdad3871a60266a0

小坪の町の山際、海前寺から神明宮への途中にある

山道を登って行くと、望洋邸というマンションの横に出ます

警戒厳重ですので、通り過ぎて「ぼんばた橋」を渡って、

振り返ると、「ぼんばたけ」の向こうに望洋邸がそびえてます。

車道に出るので小坪トンネルの方へ歩きます

134号線の飯島トンネルです。これからあのトンネルの上を回り込みます。

トンネルの上の扇山を主峰とする丘には住吉城があったそうです

住吉城址実測図です(「逗子市住吉城址」より)。先ほどの「ぼんばたけ」に家臣の邸、

「げんじヶ谷」に住吉城(城主の館?)があったと言われてます。

住吉隧道、このトンネルをくぐると正覚寺、

記主良忠上人が鎌倉に来て住み着いた悟真寺です

正覚寺の裏山には住吉社があり、住吉城址の板が置いてありました。

戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香がこの山城にこもって、

北条早雲の軍勢と戦いました。道寸と道香兄弟の奮戦もむなしく

戦いに敗れ、道寸は三浦の新井城へ逃れ、道香は逗子の延命寺境内で、

家来たちと自害したと伝えられています。

住吉城は山城ですから、近世の城のように天守閣も石垣もありません。

自然の地形をうまく利用して、攻め寄せる敵を防いだものと思われます。

祠の横にトンネルがあります。が、出口は封鎖のようです。

鎌倉攬勝考などに出てくる「くらがりやぐら」は

このあたりから「げんじヶ谷」へのトンネルのことと思われます。

「げんじヶ谷」に邸宅が建ったときに閉じられたとのこと、志村源太郎(大正12)、

幣原喜重郎(大正15)、五島慶太、秀吉魁(昭和31)らの邸宅になったそうです。

小坪海岸トンネルの上に現在の「げんじヶ谷」に立つ豪邸が見えます。

SMAPの香取慎吾さんの別荘という噂です

六角の井戸を通って光明寺に戻りました

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933262926

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