八百津

八百津

[1] 八百津

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[2] 国道418号笠置ダム〜丸山ダム区間(第四回), , http://pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp/418v4.html

岐 阜県東部を流れる木曽川にそった国道418号 笠置ダム〜丸山ダム区間 はどの道路地図にも国道を示す赤の実線でしっかりと書かれているにも関わらず、実際にはその大部分が車の走行がまったく不可能な事実上の廃道状態でありネット上ではきわめて有名である。

しかしそのレポートの多くは丸山ダム周辺の一般車も通行可能な区間(とはいえ一車線の断崖が続く道だが)を車でヒヤヒヤしながら通ったもので廃道区間を通り抜けたものは限られており、特に最近のものは少ないようだ。

今回はいわゆる「酷道区間」をレポートする。

さて、フェンスの向こうの完全封鎖区間を攻略した国道418号だが、ここからは「一応」車も通れる道に変わる。

しかし、どうもここまで一般車がフリーで入ってこれるという訳ではないようだ。

フェンスを過ぎるとダブルトラックが復活するが、中央と両側から緑の侵略を受けており、それ程頻繁に車両が通過する訳ではないようだ。

今までの廃道状態からは相当に改善されたが、ここが現役国道とは信じがたい事には変わりない。

未舗装の道を暫く行くと、簡易なゲートがあったが此処もまた一般車がフリーで入れる最終地点ではない。

今日は道の端に寄せてあったが、なにか作業が行われるのであろうか。

(追記)約1年後に再びこの場所を訪れた際もこのゲートはやる気のない感じで端に寄せてあったので、現実に封鎖が機能している訳ではないのかもしれない。

路肩に現れた「起点」。

そう、ここがかの有名な県道352号大西瑞浪線の起点である。

酷道から分岐する険道といった所だが、キロポストの向こうに道が見当たらないのは、単に廃道化したという言う訳ではなく、もともと車道として開通した歴史が無い為のようだ。

県道352号大西瑞浪線は、国道脇の急斜面を獣道レベルの道で下って行き、やがて木曽川の本流を渡るこの五月橋に到達する。

この五月橋を含む瑞浪市方面の全区間は非常に見どころ満載であり、実は踏破済みなのだがレポートはまたの機会に。

2010年12月 レポート公開しました

五月橋への分岐を過ぎても、国道418号は激狭のダートのままで、ガードレール等も無い。

この辺りは天気に関わらずいつもぬかるんでいるようだ。

恵那方面へ走り去る一台の軽自動車。

山仕事風のおじさんが二人乗車しており、この車は酷道マニアという訳では

[3] 国道418号線を走ってみる・その3 (八百津町→迂回路→恵那市) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/944e3cbdca3d2a40b9c770d69eaa97f9

きたへふ(Cチーム)のブログ

ファミスタとは特に関係ありません。タブレット・スマホをご利用の方は、できればPCモードで御覧ください。

【記事作成日:2017/10/29、現地訪問日:2016/9/3】

このエントリでは国道418号線走行記の その2(旧根尾村樽見→八百津町) の続きとして、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館付近から(ヤバイ区間を迂回して)恵那市に至る区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町)

・ その3(八百津町→恵那市) …このページ

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町)

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷)

1. 八百津町→武並橋(恵那市笠置町)まで

本来の国道418号線(深沢峡)経由の地図 ( google mapのデータ )

ここから先は国道418号のハイライトともいえる八百津町~恵那市間のエリアを通っていきます。 その1 の冒頭でも触れましたが、国道418号が酷道マニアから “キングオブ酷道” などと評されているのは、木曽川沿いのこの区間が超絶的にイカれているからです。(もはや車両が通れるレベルになく、通行止めになっている)

今回の走行区間の地図 ( google mapのデータ )

それで今回は、木曽川より北側にある迂回ルートを通っていきます。

現地を訪問した2016年時点で(そしてこのブログを書いている2017年現在も)国道418号線の迂回ルートはまだ全線開通しておらず、八百津町潮見まで開通している国道418号丸山バイパスより先は、岐阜県道353号(篠原八百津線)+県道402号(中野方七宗線)+県道412号(恵那八百津線)と経由して、木曽川にかかる武並橋付近で国道418号線に復帰するルートを進んで行きます。

01-国道418号に戻ってきました

杉原千畝記念館に寄り道して休憩していたブログ主ですが、13:10過ぎに再出発します。

上の写真の右下側の道がイカれた川沿いルートに続く道ですが、こっちの方には見向きもせず、トンネルのある丸山バイパス方面に進んで行きます。

02-高いところにかかっている橋が見えます

あれはV字の渓谷の間に架けられた

[4] 岐阜県民が選ぶ、岐阜県のおすすめ観光スポットをまとめました - niko life..., , http://niko.hateblo.jp/entry/2015/11/11/230650

日本の中部地方に位置する岐阜県。私は岐阜県生まれ岐阜県育ちです。

「名古屋は行ったことがあっても、岐阜はない…」「そもそも岐阜ってどこだっけ?琵琶湖の県?」と言われてしまうことがあります。琵琶湖があるのは隣の滋賀県です。

「岐阜県のおすすめ観光スポットはどこ?」と聞かれたときは、世界遺産の白川郷や飛騨高山がおすすめ!と伝えるんですが、他にも岐阜県内にはいいところがいっぱいあります。

今回は、岐阜県民が選ぶ、岐阜県のおすすめ観光スポットをまとめていきます。ランキングにしようと思ったんですが、順位がつけられませんでした。好きなところがいっぱいあるからです。

まずは、少しだけ岐阜県の説明をします

「岐阜ってどこにあるの?」と聞かれたとき、私は「名古屋の上(北)だよ!」と答えるようにしています。そうすると、だいたい伝わる。

南北にも東西にも広い岐阜県。地域はざっくりと2つにわかれています。 美濃地方 と 飛騨地方 。この地図は、美濃地方を更に4つ( 岐阜 ・ 西濃 ・ 中濃 ・ 東濃 )にわけてあります。美濃と飛騨の2つでもよかったかもしれない…!

白川郷や飛騨高山があるのは、北の方の地域 (飛騨地方) です。そのため「名古屋からちょっと岐阜にも寄りたいんだけど、岐阜でいいところない?」と聞かれると、ちょっと岐阜に寄るだけで車で170km先まで行かないといけなかったりするので、だいぶ面積が広いです。

でも県庁所在地のある岐阜市 (岐阜地域) は、名古屋から快速で約18分(JR名古屋駅→JR岐阜駅)で着くので、愛知県に近いです。

岐阜地域 (岐阜市/各務原市/羽島市/山県市/瑞穂市/本巣市/羽島郡)

金華山・岐阜城(岐阜市)

お城の写真がないです、ごめんなさい。岐阜城は小学校の遠足で金華山を登って行きました。標高329mのてっぺんに岐阜城があります。お城以外には、夜景が見られるのでデートスポットとして人気。カップルがいっぱいいます。

ロープウェイやドライブウェイがあるので、登山しなくても行けます。景色を見るために何度か行きました。私は昼の景色も結構好きです。夕焼けもキレイらしい。

川原町(岐阜市)

岐阜城のある金華山の近くにある川原町。町並みがちょっとあるんですが、写真がこれしかありませんでした。岐阜城から近めなので、カフェもあるのでセットで楽しむといいかな。手湯もあ

[5] 二股トンネル徹底調査!1/2, , http://www.geocities.jp/teamkokudo/kokudo/R418/hutamata1.htm

二股トンネル徹底調査 1/2

2005年2月に単独で再調査した時のレポートです

酷道418号線沿いにある二股トンネル。ここには、色々な噂話があります。

たとえば・・・

1、戦時中に鹿島が在日朝鮮人を人柱として埋めた

2、戦時中に朝鮮人を強制労働させて手掘りでトンネルを完成させ、多くの犠牲者をトンネル内壁に塗りこんだ

3、二股トンネル付近で口の裂けた女性が目撃され、全国に「口裂け女」が広まった

4、昔は内部で二路に分岐していた

などです。しかし、どれ一つ信じるに値する根拠はなく、肯定も否定もできない状況です。

1と2は似たような内容で、二股トンネルが「朝鮮トンネル」の俗称で有名になった所以です。418号の木曾街道沿いには、戦時政策で満州に移り住んだ集落が多くあります。離村して開拓移民となった村民は、昭和20年の敗戦により筆舌に尽くしがたい苦痛を受け、半数以上が満州の野に散ったと言われています。こういった話が、「朝鮮トンネル」という名称を生み出した土壌になっている気がします。

昭和26年に丸山ダムが再着工され、それと同時に今のR418十日楽〜丸山間が整備されました。二股トンネルもこの区間にあります。トンネルの竣工は昭和31年になっていますが、ダムの完成時期を考えると、昭和26年頃にはトンネルの原型が出来ていたのではないでしょうか。当初、たわいの無い噂話だと思っていましたが、一応調べてみる必要がありそうです。

3「口裂け女」のいわゆる都市伝説は、1978年12月に岐阜県から広まったとの学説が有力視されています。発祥の地も、美濃加茂〜八百津の地域とされています。しかし、塾通いが過熱しはじめた時期で、親が子に聞かせた作り話だと言われています。また、口裂け女を目撃したのはタクシーの運転手とされており、二股トンネル付近でタクシーというのは、ちょっと考えにくいですね。

4のトンネル内で二つの道に分岐していたという説、近くの地名を調べても二股という地名はなく、トンネル名称から考えると、あながち嘘とも言い切れません。

まずは、4の確認のため、早速現地に向かいました。

[6] 【酷道ライド】旧国道418号線 - mot3のブログ, , http://mot3.hateblo.jp/entry/2017/02/28/230012

国道418号とは 、 福井県 大野市 を起点とし、 長野県 飯田市 を終点とする 一般国道 である。

現在は立派な代替道路が整備され廃道となっている八百津から恵那へと抜ける”黒瀬街道”は路面が荒れ果てており、その荒廃ぶりから一部 酷道 マニアからは ”キングオブ 酷道 ” と呼ばれ親しまれている。

日本三大 酷道 の一つとも…

国道として限りなく不名誉に近い称号を与えられ、有名心霊スポット”二股隧道”を有し、数多の物好きを楽しませてきたこの 区間 は 近い将来 ダム湖 に沈み、その役目を終えます。

消え行くこの道を自分の脚で見納めようと ロードバイク で走ってきました。

自宅から2時間程で丸山ダムへ到着、ここから潮南の分岐点まで ヒルクライム

恵那方面との分岐を右に曲がり、今度は山を下っていきます。

序盤はこんな感じ。美しいですね

さらに下って行くと廃道然とした路面が現れます。

舗装は剥がれ、砂利と落ち葉が散乱し放題のつづら折れの道、斜度は10%を軽く超えている…

しかもめちゃくちゃ長い

落車しなかったのが奇跡とも思える道に写真を撮る余裕などありませんでした。

何度も引き返そうと思いましたが登れる気がまったくしなかったので 下るしかなかったんです。

一部 区間 では砂利に流されるまま滑り降りてました。

わざわざ潮南まで登ってから下って旧道入りしたのはこの坂を登れる訳がないからです

どう考えても ロードバイク で通行する道ではありません。

憔悴しきった頃に旧国道に辿り着きました。

恵那側は巨大落石によって道を阻まれ、終着点の笠置ダムではフェンスによって通行阻止される為、写真右側の丸山ダム方面へ進みます。

舗装などありません

ぬかるみ、落ち葉に無数の石

小さな洗い越しまで

洗い越しとは、川に橋を架けずに道路と川が平面交差している構造のことである。

こちらは自然にできたものですが…

さて 酷道 走行の不安点として荒れ果てた路面によるパンクがあります

ただでさえ砂利道の中で、なかなか鋭利な石が上を向いているので路面を良く読んで慎重に進んでいきます

どう考えても ロードバイク で走る道ではありません

ボントレガーのタイヤ、R2は耐えられるのか

タイヤへの負担を減らす為、常に腰を浮かせて膝を軽く曲げ、人間サスペンションを駆使して進みます

自然に還りつつある景色と共に愛車を撮影し

[7] 2011年04月23日 : 夢乃又夢, , http://blog.livedoor.jp/donburi01/archives/2011-04-23.html

険道352号と酷道418号の分岐点はすぐだった。「大西瑞 浪線」のキロポストが埋まっている。意外にも険道352号は最近整備されたような形跡があり(それでも道幅は登山道レベルしかないが)歩くのに支障はなかった。数分で五月橋にたどり着く。 桜の満開の時期にはもう遅いが、まだ多くの山桜のピンクが山に色づいていて美しい。かつて深沢峡に観光客が訪れていたころは、多くの人々が桜のピンクと赤い五月橋のコントラストに見入ったことだろう。 五月橋は現在バイクはおろか自転車すら入れないようガードされているが、橋の上に立ってみる。グレーチングの下には木曽川の流れが見える。何度見ても足がすくむ(泣)。橋から丸山ダム方面をよく見ると廃茶屋「いさまつ」がわずかに顔をのぞか せていた。2008年にはいさまつに少しお邪魔したが、こうしてまだ建物があることに少し安心する。 対岸には名もなき小さな滝も見える。貸しボート屋があった頃 はここに近づけたのかもしれない。   「瑞浪市史料集三 なつかしの写真集(瑞浪市民図書館刊)」には昭和28年、32年の五月橋の貴重な写真が載っているが、この写真の中で八百津側に小屋が建っているのが確認できる。また昭和32年の写真は、この小屋から川面まで踏み分け道が続いているのもわかる。小屋は貸しボート屋だろうか。現在はどこにこの小屋があったのか、川 面まで続く道がどこだったのかも判別できない。   五月橋を離れ、ここから恵那方面に向かって歩く。酷道418号は所々に頼りなげなデリネーターを擁しつつ、荒れた路面を呈している。本当に今更だが、この道が1983年頃まで国道として機能していたとは信じがたい。しかしながら車で通れないわけではなく、現に比較的最近と思われる車の轍が路面に刻まれていた。 木曽川対岸に広がる砂浜のような美しい砂地に見とれつつ、名もない小さな橋を2つ過ぎると八百津と恵那の境界線にある名場居川にさしか かってくる。険道352号の分岐点から徒歩20分ほどの地点だ。川にかかる立派な橋はなんとなく「名場居川橋」という名だと思い込んでいたが、恵那市の住宅地図によると「川平橋」と名づけられていた。川平橋の手前には、頑健なガードレールが何人の侵入も拒むように設置されていた。ガードレールの手前には軽トラが停められており、真新しい轍はこの軽トラのものであることがわかった。車の持

蘇水峡トンネル

蘇水峡トンネル

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933262796

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