吉坂隧道の東口は、どこにある?
前回、西口を発見したが、内部は落盤のため坑口からわずか20mほどで完全に閉塞していた。
隧道の通り抜けができなかったので、今度は東口を探してアプローチしたい。
ただ、東口の位置については、大きな謎があった。
それは、「 大鑑 」に本隧道の全長として記載されている141.5mという数字は、峠を潜り抜けるには短すぎるという問題だ。
右図に付した青丸は、西口を中心に描いた半径141mの円だが、この長さでは到底峠を貫くことが出来ないのである。
極端にトンネル内部の勾配を大きく取れば、吉坂峠の頂上辺りに抜けることは不可能でないかも知れないが、それはあまりにも不自然である。
…結論として、 「大鑑」のこの数字は誤りなのだ。
しかし、それは現地探索も机上調査も終えた今の見解であり、探索前の段階では東口の位置を考える上での大きな障害になっていた。
前回の冒頭でも述べた通り、吉坂隧道はそれが極端に短命な存在であったためか、歴代の5万分の1地形図に正しい姿で描かれたことがない。
そのため、発見できないことへの警戒が普段よりも強くあり、そのためやや念入りの事前調査を行ってから探索に望んだ経緯があった。
旧地形図に代って旧隧道の位置確定の役に立ってくれたのが、古い航空写真だった。
右図は 昭和27(1952)年の航空写真 だが、ここにお目当ての吉坂隧道が写っており、坑口前後の道から坑口の位置を推測することが可能である。
そして、変化後の画像はそれから11年後の 昭和38(1963)年 に撮影されたものである。
2枚の写真を比較してみると、この短い期間に吉坂隧道の西口に通じる「旧道」は、完全に見えなくなってしまった。
新トンネル(青葉隧道)建設に伴う残土(ズリ)で埋め立てた可能性が高そうである。
そして懸案である東口の位置であるが、 青葉隧道の東口から非常に近い位置に存在していたように見える。
…場所はだいたい分かったが、これはこれで新たな懸案事項となってしまった。
下手したら建設位置が重なってしまっていて、そのために旧坑口が破壊されてしまった可能性もありそうだ。
(だから今回は西口により大きな期待を抱いていたのだが、閉塞していたものは仕方ない。)
2016/10/17 16:27 《現在地》
これから現道の青葉隧道を通って、吉坂隧