宇久須隧道の斧
クリスタルパークから黄金崎に抜ける所に有る宇久須隧道。そこのシンボルになっていた
斧が平成9年6月から7月にかけて見えなくなりました。自然に落下したのか盗られたのかは
分かりません。ただ、無くなる前に大きな車を斧の下に止め屋根に乗り(斧を)いたずらしている
人物が村民に目撃されているようです。村民の間では盗まれたという線が濃厚です。
下の文章は大久須の浅賀豊氏が書いたものです。写真は柴の鈴木三与志氏撮影です。
宇久須隧道の斧について
宇久須隧道の真ん中の天井部分に斧がうめられているのは、賀茂村の方なら知っていると思います。
ところが、その斧が最近無くなってしまいました。
週刊誌に掲載されたためか、今年の夏は、わざわざ斧を見に来る観光客が多くありました。
そんな方達の話を聞いていますと、斧の話がよその方へ一人歩きをしているようです。
私が子供のころ聞いた斧のことは、次のとおりです。
国道136号(その頃は県道)が開通したのは昭和の初めです。安良里から宇久須を経て
小峰に至る部分が一番難工事だったと聞いております。この道路を作るにあたって、
よそから多くの人夫がやってきました。そのなかで、特に朝鮮の人達は危険な場所を
受け持って一生懸命働き、完成に貢献しました。朝鮮の人達を監督していたのが、
同じ朝鮮の人で田村さんといいました。田村さんは宇久須の柴に住んでいました。
隧道の完成が近くなった頃、田村さんは、みんなの働いた記念に隧道の真ん中に
斧を埋めようと提案しました。みんなが賛成して、斧は隧道の真ん中に埋められました。
それから約60年過ぎました。田村さんは戦後亡くなりました。
そして、田村さん達の努力の証しの斧も無くなりました。
ここからはカネジョウ商店浅賀丈吉の文章です。
私が村の人達に聞いた所 田村さんは柴の浅賀モータースの隣に住んでいたようです。
廃品回収業を営んでいたようで現在50才台の人は拾った銅などを田村さんに買って貰って
小遣いにしたと言う人もいました。
田村さんのお墓はどこかなと思って探したのですが有りませんでした。
お骨は柴の城福寺に預けられているそうです。
城福寺に行って調べてみました。過去帳には「田村一郎」の名で書かれていました。
没年は昭和40年12月27日でした。城福寺で