口野トンネル

口野トンネル

[1] 国道414号口野トンネル (くちのとんねる)

35.0485137360232 138.907999992371

Webページ

[2] 隧道レポート 沼津市口野の “隧道の辻”, , http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main2.html

【mapion 現在地】

8本もの隧道が口を向ける“隧道の辻”こと口野放水路交差点。

今回は、ここから派生する個性的な隧道達を紹介しよう。

まずは、予想外の遭遇となった口野トンネル脇の封鎖された坑口。その謎を解こう。

国道414号口野トンネルの脇に、車道にしては小さい坑口が口を開けている。

現道に平行する小さいトンネルといえば旧隧道だと考えるのがセオリーだが、もとは石切場だったらしい垂直な崖に鋼板アーチの簡易な坑門が飛び出している姿は、いかにも建設途中のトンネルである。

なお、口野トンネルの全長は約120mほどで、真っ直ぐ正面の小山を貫いている。

向こう側は伊豆の国市(旧伊豆長岡町)である。

別のアングルから撮影。

昭和42年竣工の口野トンネルは、歩道の狭さが殺人級である。

肩を触れあわなければすれ違えないし、自転車同士などとなればもう、お手上げである。

にもかかわらず、半島内陸部から沼津・静岡方面への主要な幹線道路になっているために、昼夜問わず通行量は多い。

写真を見ていただければお分かりのように、車道を自転車で通行するのも怖い状況だ。

この状況には地元でも頭を悩ませているらしく、数年前に国道414号静浦バイパスが着工した。計画では、やがては口野トンネルも旧道になるようだ。しかし、まだ当分先であろう。

この封鎖された坑口は、歩道用トンネルが建設途中に何らかの事情で中断している…。

そういう性格のものではないかと、私は考えた。

いかにも工事途中といった風情の坑口。

高いバリケードが立ち入りを阻んでいるが、ニャンコにモーフィングすればどうと言うことはない。

正体不明の穴へ入るときは、いつも胸が躍る。

脳内にジョーズのテーマが鳴り響く。

辺りに人影の無いことを確かめた後、素早く内部へ侵入する。

わーお…。

なんなんでしょうねー、この穴は…。

壁は一面のモルタル吹きつけで、岩盤の凹凸が感じ取れます…。

歩道トンネルとするにはぴったりだが、一台ずつならば車も通れるくらいのサイズ。

しかし、ちゃんとした覆工をしないで、工事関係者はどこへ消えてしまったのでしょうねー…。

出口が見えないのも、風が全くないのも、先を予感させますねー。

数十メートルほど進むと、壁には鋼鉄製のセントルが露出するようになる。

路面は通常の舗装とは少し違う、土にモ

[7] 隧道レポート 旧口野隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main2.html

今回からは、いよいよ表題の「旧口野隧道」を探しにかかる。

この隧道に関しての机上情報は極めて少ないが、ほぼ唯一の“存在証明”といえるのが、日本帝国陸地測量部が明治28年に測量して発行した初代・5万分の1地形図(沼津)と、その子孫として改訂されて来た昭和22年版までの同図である。

次に発行された昭和27年版からは、隧道の表記が消えて、切り通しのような描かれ方となっている。

また、最近の地形図では、峠前後の道自体が消えてしまっている。

前回紹介の、明治35年と40年に相次ぎ竣工した「沼津・四日町往還」に較べて、地図に見る“初代ルート”は距離も短く、隧道の数も一本だけだった。

しかしそこには、大交通を阻害する何らかの問題点があったのだろう。

「沼津・四日町往還」は、韮山方面の石材輸送や、沼津御用邸からの行幸路、中伊豆方面の著名温泉地への観光道路などとして末永く活躍し、現在はそのバイパスが国道になっている。

この繁栄の原点にありながら、歴史の陰に隠された初代ルートの謎を解き明かそう。

2008/2/26 7:13

再びこの写真の場所。

しろ氏から情報を得るまでは、全く何の気もナシに素通りしていた三叉路だが、そう言われてみればイイカンジな追分だ。

両者の離れていく自然なカーブなど、今日の区画整理によっては生まれようもないものだ。

今回もクルマは少し離れた駐車場に止めており、ここへはチャリでやって来た。

首尾良く初代ルートをチャリごと踏破する目論見だが、果たしてどうなるか。

左折すると、車一台がやっとの狭い道になった。

両側には民家や駐車場の塀が迫っていて、緩い上り坂であることと合わせ、かなり圧迫感がある。

もっともそれは、私の緊張を多分に反映した感想である。

この先に峠や廃隧道の存在を想定し、ましてそこを通り抜けようなどと考えない人にとっては、普通の閑静な住宅街の風景かもしれない。

一目見て古そうだと感じられる石垣が現れた。

石材の空積みで、高さはないが延々と法面を覆っていて、城壁のような重々しさがある。

草生した表面は、これが明治のものではないかと私に疑わせるに、十分な風格を持っている。

周囲の林からは、いたずらに不安を煽るようなヤマバトの鳴き声や、サカリの付いたにゃんこどもの、焦りを誘う叫びが聞こえていた。

民家が密集しているエリアを過ぎると

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[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933242474

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