2007/12/7 15:12
我々が切り通しとなった「堂川一号隧道」の探索から「2号隧道」南口前に戻ると、ちょうどそこに一人の老婆が通りかかった。
堂川の住人であろう。
まずは細田氏が接触。
LAWSONで鍛えた私を凌駕する、NI●SAN流対人話術を備えた彼が、この地に隠されてきた2本の林鉄隧道について、老婆の持つ全ての情報を引き出そうと試みる。
私が話の輪に入るのは、少し後からだ。
話に油が乗りだしたと判断したら、そこから参入するのである。
最初から二人攻めというのは、相手に圧迫感を与えかねないからだ。
二人の様子をやや距離を取って観察。
さすがは林鉄情報だ。食いつきが早い。
すぐさま話が乗りだしたようだ。
他の地域ではどうだか分からないが、林鉄が40年前まで至る所に通っていた秋田県北部地域では、50才以上の住人の大半が林鉄を生で体験している。
しかも、林鉄についてはほとんどの人が良い思い出と捉えているようで、我々のような若輩者が林鉄を調べていると知ると、とても好意的に情報を提供してくれる。
だから、このような情報収集によって新たな発見がもたらされるケースは、非常に多い。
老婆が指差した先には、前回細田氏が一人で来たときには見つけられなかった重要な遺構が、早くもその姿を現していた。
当初は、完全に埋め戻されてしまったと考えられていた2号隧道の南口だが、意外な位置にその痕跡を留めていたのだ。
左の写真に写っている坑門の一部は、右写真で示したとおりの位置にある。
坑口を埋め戻す際に、上にある墓場への道を兼ねるように土を盛ったのだろう。
その結果、この坂道の法面に僅かだが、坑口の上端部が露出している。
おそらくこれは、老婆の情報無しでは気付けなかった。
これが、地上へ残された2号隧道南口唯一の痕跡だ。
坑門の上端部分だが、まるで土留めを補強するかのように、廃レールの格子が取り付けられていた。
だが、その正体については心当たりがある。
埋め戻される前の隧道を、この廃レールの格子が塞いでいたのではないか。
未舗装の路盤を剥がして1mも掘り下げれば、おそらく坑口が露出することだろう。
さすがに「それをやらせてくれ」とは言い出さなかったが…。
草にほとんど隠されながらも、坑門工の上端には笠石の出っぱりが見て取れた。
前回紹介した1号隧道南