菖蒲池

菖蒲池

[1] 忍野八海菖蒲池

Webページ

[2] 忍野八海(おしのはっかい), , http://sinn.dip.jp/kesiki/yamanasi/osinohakkai.htm

忍野八海(おしのはっかい)は山梨県忍野村にある湧泉群で、 富士山の雪解け水が長い長い歳月をかけて濾過され、湧水となって8箇所の池を作っています。

国指定の天然記念物、名水百選に指定されています。

池は、出口池(でぐちいけ)、御釜池(おかまいけ)、底抜池(そこぬけいけ)、銚子池(ちょうしいけ)、湧池(わくいけ)、濁池(にごりいけ)、鏡池(かがみいけ)、菖蒲池(しょうぶいけ)の8つです。

当日は

(2009年7月20日訪問)

[3] 忍野八海, , http://www.fujigoko.co.jp/oshino/gaiyou.html

忍野八海は、富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池(湧池、出口池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池、銚子池)の事をいいます。

忍野は、その昔、富士五湖と関連のある湖だったといわれ、八海は、忍野が忍野湖(宇津湖ともいわれた)といわれていたが、その後、漸次西方富士裾野と御坂山系との峡間を水蝕し、堀削排水され遂に忍野湖は乾れたが、富士山の伏流水の湧水口としていくつかの池が残ったものです。

現在の八海は、それぞれ湧水量は異なり、ほとんど沼地化したところもあって八つの池が全部昔のおも影をとどめてはおりませんが、湧池のように今なお2.2立方メートル/secの湧水量を誇っているところもあります。

また、八海から湧出した水の利用は、村内の水田地帯への供給や水力発電に使用されているほか、桂川の最上流の水源地として遠くは相模湖まで通じ、京浜地方の大切な給水源として大きな役割を果たしています。

なお、忍野八海の湧水は、富士山の高地に降った雪や雨が、古いものは、20年以上の時間をかけ、地下水としてロ過されてきたものであり、池の水はいつも澄んでいます。

昭和60年には、水質や水量、保全状況や景観に優れ、古くから地域住民に親しまれてるということで、環境庁より全国名水百選に選定されました。

忍野村周辺は、今から2400万年〜510万年前、広大な海が広がり、海底では、激しい海底火山が活動し、厚い海底火山の堆積物を生みに積もらせていました。500万年位前になると、地下深所には、マグマが上昇してきまして、白っぽい石英内緑岩の深成岩体が貫入し、次第に土地を押し上げ、陸地が広がり、現在の駿河湾から、忍野村、富士吉田市、都留市、大月市、上野原町から神奈川にかけて桂川海峡が形作られました。わらにその後陸地化は進み、忍野村一帯も陸地になりました。今から数十万年前、富士山の下に埋まっている小御岳火山と南の愛鷹山が火山活動を始めました。つづいて、小御岳火山の南に、8万年位前から古富士火山が活動し、数万年の間に大きな古富士火山が作られました。この時の古富士火山の溶岩や火山砂礫が、忍野盆地の基盤、御坂層群の上に厚く堆積し、忍野深層地下水湖の貯留層になっています。この古富士火山活動末期の約2万年前から、新富士火山活動初期の約1万年前の間に旧忍野湖は形成され、約2メートルの淡水性の珪藻化石を含ん

[4] 早春の河口湖(忍野八海)【和田フォト】, , http://wadaphoto.jp/japan/kawagutiko2.htm

▲▼ 毎年9月19日には、富士山の霊神である木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の祭がある。「八海めぐり」第五番の霊場として、八大竜王の一神・徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)を祀り、石碑には「いまもなほわく池水に守神のすへの世うけてかはれるぞしる」との和歌が刻まれている。現在も住民の飲水と灌漑用水に利用されている。

[5] 忍野八海の伝説, , http://www.fujigoko.co.jp/oshino/legend.html

この池の湧水は、富士山の雪がとけて地下にしみとおって、ほこりっぽいこの世とはかかわりなく湧き出す水なので「清浄な霊水」と呼ばれ、富士登山をする行者や道者たちはこの水で汚れをはらい、登山し、また、この水を携えることにより無事登山することができると、昔からの言い伝えがあり、堅く信じられてきた。このようなことから、この池の別名を精進池ともいった。石碑には「あめつちの ひらける時にうこきなき おやまのみつの 出口たうとき」との和歌が刻まれ、八海めぐり忍野第一番の霊場として難陀竜王がまつられている。

昔、この池のほとりにあった家に、年老いた父親と2人の美しい娘が住んでいた。父親は百姓をし、娘たちは裁縫や、洗濯をしていた。ある日、妹娘が洗濯をしていたところへ、突然大蟇が一匹現われて、その娘を強引に水中に引き込んでしまった。それを知った姉娘は、泣き叫んで近所の人達の助けを求める一方、畑仕事に出ていた父親を呼んで、妹娘の救出をはかったが、いつまでたっても娘はかえらず、いくら探してもその遺体は浮かんでこなかった。それ以来、父親と姉娘は命ある限り、お釜池のほとりにある家にとどまって、不幸な妹娘の冥福を祈り続けたという。八海めぐり第2の霊場として、跋難陀竜王をまつり、今はない、石碑には「ふじの根のふもとの原にわきいづる水は此の世のおかまなりけり」との和歌が刻まれていたといわれる。

この池は器物や野菜を洗う時、あやまって手を離すと、渦に巻き込まれて行方不明となり、いくら探しても見つからないといわれ、失われた物は池の底の穴をくぐってお釜池に浮かび上がってくるといわれたいる。以来、このようなことがたびたびあったため、村の人達はこの池で物を洗うことを神様が嫌っているのだということが広まり、村人は恐れていると伝えられる。八海めぐり第3の霊場として釈迦羅竜王をまつり、池畔の石碑には「くむからにつみはきへなん御仏のちかひぞふかしそこぬけの池」との和歌が刻まれている。

昔、ある家の花嫁が厳粛な結婚式の最中、おならをした、その音がすごく大きかったので、つつみかくすことができず、年若い初心な花嫁はこれを深く恥じて、結婚式の席にいたたまれず、すきをみて席を抜け出し、銚子を抱いて、この池に身を投げた。その後、花嫁の履いていたぞうりが池の水面に浮かんできた。そして時折、美しい姿が生きているように、池の底に映って見

[6] 忍野八海, , http://kozaru98.fc2web.com/kouen/minamituru_gun/osino_mura/osino_hakkai/osino.htm

忍野八海はただの池ではなく、富士山の伏流水、つまり湧き水で出来ています。湧き水でできた池はとても透明度が高く(一部例外がありますが(^^ゞ)、泳いでいる魚どころか池の底まではっきり見えるほどです。桜の時期はもちろん、冬は朝靄等と富士山を望む絶景のポイントとして四季を通して人気があります。

お土産屋さんがある場所に大きい池がありますが、これは八海と関係ありません。ですので、全ての八海を見るためには、離れた場所にある出口池や、さらに底抜池のある有料施設に入らなくてはいけません。ということは、八海の全てを見ている人は意外に少ないのかもしれませんね。駐車場は有料の駐車場のほか、無料と書いてあるお土産屋さんの駐車場(入りにくいよね)がありますが、公式HPによると無料の駐車場が底抜池の側にあるようです。なお、有名な観光地ですが、子供の遊び場はありません。

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933229150

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