層雲峡隧道

層雲峡隧道

[1] 層雲峡隧道

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[2] 隧道レポート 層雲峡隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/souunkyo/main3.html

「ヨッキれん、やらかす!」

2018年5月26日付けヨッキ新聞の見出しは、これで決まりになりそうだ。

普通の水ならばここまで騒ぎはしなかったろうが、ここまで酷く汚れてしまった長ズボンは、経験上、洗っても駄目なことが多い。読者諸兄にはどうでもいいことかも知れないが、私にとっては痛いダメージだった。

かくなる上は……

長ズボンよ、お前の犠牲を無駄にはしない!

ここで引き返してしまったら、この長ズボンは無駄死にだ。

俺はお前の屍を踏み越えることで、この隧道の“貫通者名鑑”の末尾に名を刻んでやるッ!

(人はこれをヤケクソという…)

9:00(入洞から9分後) 《現在地》

隧道全長の中間地点であろう待避所部分を突破した。残り、あと半分だ!

だいぶ大きくなってきた出口の光までの間には、依然として大きな障害物は見あたらない。しかし、そのことに安泰を感じていた数分前の軽薄な私は、もういない。

己の下半身と引き換えに、現状の危機を理解した。

このあとの状況も、全く予断を許さない。

おそらくだが、この隧道は東口から西口に向けて下り坂になっている。

だから、このまま坂道が続けば、西口付近の水位はさらに深くなっている恐れがある。

いまはまだ膝丈だが、この泥沼に上半身まで浸かるのは、不快を通り越して溺死の危険を感じる。さすがにそれは勘弁願いたい。

はじめからここまで、衝撃尽くしと言っても良い展開を見せた地獄谷の隧道。

だが、この隧道が私に与えた衝撃の出来事は、これで終わりではなかった。

これから皆様には、この先の歩行シーンの動画を何本かご覧いただく。

これまで見たことがないような動画になったが、1本目の動画では特に、

最後の1秒間、振り返って見たものに注目だ。

ある種の危険な展開の幕開けが写っている。

このとき、カメラを回しながら咄嗟に「やばいかも」と思ったが、もう遅かった。

改めて、私の 「やばいかも」 の正体は、これだ。↓↓

とくと見よ。

私が泥沼を歩行したことで、“堰”に穴が空いた。

“堰”は泥の堆積で自然に生じた極めて脆弱なものであったから、崩壊は不可避であった。

そして、“堰”が破られたことにより、待避所(6m×30m)付近に溜っていた水は、

私の進路上、西口へ向けて、流出を始めた。

はじめのうちは、たいした流れ方ではなかった。

だが、鬱積したエ

[6] 道路レポート 層雲峡万景壁の旧道群, , http://yamaiga.com/road/bankei/main.html

今回のレポートは、ちょっと変わり種。由来は異なるが近接している、4つの廃道を紹介しよう。

先日公開した 隧道レポート「層雲峡隧道」 机上調査編 によって、上川から層雲峡を経て石北峠へと至る道路の整備史を知った私。今回はそれが前提となるので、内容を簡単に復習してみよう。

現在国道39号の一部になっているこの道のもとを辿れば、上川から清川へむけて切り開かれた素朴な開拓用道路であった。それが清川の先にある層雲峡温泉や層雲峡を観るための観光道路として延伸され、さらに層雲峡上流の豊富な森林資源を開発する林道としての延伸があって、最後は道央と道東を短距離で結ぶ幹線道路として石北峠越えの延伸が果たされた。そして国道になった。

タイムスケールとしては、明治末から昭和30年代までのおおよそ半世紀のあいだに、 開拓道路→観光道路→林道→広域幹線道路 というような、ダイナミックな性格の変化が起こったのである。

層雲峡隧道のレポートは、この道の途中にある1本の廃隧道が主役だったが、今回は同じ歴史(ストーリー)を共有する別の地点を取り上げたい。

その地点とは、 万景壁 。 マンギョンボ… じゃなくて、読みは素直に「ばんけいへき」。

天下の奇勝 層雲峡の玄関口にあたる場所である。

層雲峡ビジターセンターが発行している『 層雲峡温泉ミニ観光マップ(pdf) 』(右図)には、約15kmにわたって石狩川の両岸に聳え立つ様々な奇岩怪石の名が、うるさいくらいたくさん記されている。

その中で、万景壁の名は、最も入口に近い、上川寄りのあたりにある。

一緒に掲載されている説明文によると、 「岩の断面が、さまざまな形に削り取られており、あたかも壮大な壁画を見るようだ」 とあって、名前とこの説明だけでも相当の偉容が想像できる。名前負けなんか、しないよね?

�@ 地理院地図(現在)

�A 昭和63(1988)年

�B 昭和43(1968)年

�C 昭和32(1957)年

�D 大正10(1921)年

万景壁における道路の変遷を、歴代の地形図で見てみよう。

いつもなら本編レポート後に掲載するような内容だが、今回の机上調査は 以前のレポート でほぼ済んでいるので、先に種明かしだ。

まずは現在の �@地理院地図 。

上川から約14km石狩川を遡ったところに、 陸万 (りくまん)という集落がある。上川町大

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[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/25645855925303524

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