国道1号

国道1号

[1] 国道1号

Webページ

[2] 静岡県道416号静岡焼津線 浜当目トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/toume/main3.html

「問」

2017/6/17 16:43 《現在地》

自転車と一緒に、ここ (道幅10cm未満) を越えるためには、どうすれば良いか?

↓↓

自転車を―

片手で持って宙づりにして通る。

……という、あまりにもシンプルで工夫の入る余地のない方法でもって――

――自転車と一緒に、崩壊現場を越えることに成功した。

側溝さん、ありがとう!

対岸で自転車を“構えて”から渡り終えるまでの実質の所要時間は1分も掛かっていない。

これを「無謀!」と思う方がいるかも知れないが、最近の私のレポートを多く読んで貰えば、私自身が無茶と思うような真似をネタとして行っていないことが分かって貰えると思う。

これは無理は何もしていない、自然に行けると感じたことを行動に移しただけである。

今回はたまたま「巾10cm」とか、「下がすっぱり切れている」とかの状況のクリティカルさが分かりやすく目立つ場面であったというだけで、これまでいろいろな廃道を自転車同伴で突破してきた中では、こんなふうに「自転車を片手で持ってバランスを保ちながら狭いところを通る」動作は珍しいことではなく、慣れた動作だったといえる。

それでも一つだけ怖いと思ったのは、「片手で持って宙づりにして通る」の写真を撮影しようという悪戯心が出てしまい、右手でカメラを構えファインダーをのぞき込んでいた最中だった。その瞬間も当然自転車は左手だけで空中に支えられていたわけだが、ファインダーを覗く行為をしていると、視界が極端に狭いせいか、身体のバランスがどこにあるのか実感しづらかったのである。

16:45 《現在地》

ともかくこんな感じでギリのギリに残された道幅を2往復することで、この区間を廃道に変えてしまった致命的崩壊現場を自転車と全ての荷物を持って突破し終え、このまま先へ進める出来る状況を手にした。この先がどうなっているのかは不明であり、最悪、この先の当目隧道の状況次第では引き返す羽目になるかも知れないが、そのときはそのときだ。

ということで、ここから廃道区間の焼津側状況をお伝えしていく。

写真は崩壊現場を振り返って撮した。

なんとなく雑然としているが、道路の崩壊が起きてから行われた復旧工事(実際には新道を作るという復旧になったが)に関係する物が、ほとんど撤去されないままに残っている。設置された赤色灯が物々しい。

もっとも、探索

[3] 愛知県道368号豊川蒲郡線 灰野坂, , http://yamaiga.com/road/apr368/main2.html

2014/4/8 14:46

国道1号上の起点から2.2km、公園として整備された区域を外れると同時に、本性らしきものを現した県道368号豊川蒲郡線。

道幅の半分だけを塞ぐ車止めと、裏返しになった「通行止め」標識 (←読者情報によると以前は今と反対向きに設置されていたらしい) が、100m手前の交差点にあったが、ここには赤いコーンが一つ、やる気なく路傍に置かれているだけだった。この先がどうなっているかは、自ら入って確かめろということだろうか。

すっごい豹変ぶりだ!(笑)

前回 紹介した道と同じ道とは、とても思えない変貌ぶり。

前回のどのシーンからも、3kmと離れていないのに…!

どうやら、私にとってはまだまだ未知に満ちたこの豊川という地の県道も、これまで見てきた沢山の不通県道に負けず劣らず、素敵なギャップの持ち主らしい。期待外れでは終わらなそうだ。

なお、道が豹変して間もなく、車止めやチェーンゲートの一部らしき謎の障害物が、ぽつんと1本だけ路上に突っ立っていた。

しかし路面上の轍は、それを無視して奥へ続いていた。

まるで、 昔はやり ・・・・ の洗濯板だ!

酷い路面状況である。砂利さえ敷かれていない古典的な土道だが、勾配のある土道の宿命に漏れず、洗掘された溝や露出した岩が、路面を激しく凹凸させていた。

しかしそれは、意外にも多くの轍に踏み固められた姿であった。

舗装があったときには窺い知れなかった車止め以奥の交通量だが、この豹変に屈せず踏み込んだ車両が、それなりにあるらしい。

地形図などでは、この先の峠道は一応「軽車道」として、峠の向こう側へ抜けられるように描かれているのだが、無理すれば車両も通れる“不通”県道は、私の特に大好物とするところである。いきなり登山道みたいな道が始まるパターンも覚悟していたが、これはますます良い感じ!

この調子が続くようなら、個人的にかなりの高評価物件になるかもしれんぞ…!

14:50 《現在地》

……やはり、そう簡単には行かないか…。

いい感じに轍を連れた道だったが、豹変から150mほど前進したところで突然広場となり、その濡れた地面には、転回しようとしたタイヤ痕が沢山残っていた。

そしてさらにその30mばかり先にも小さな広場があり、それが “車道としての最終地点” であるようだった。

それにしてもここは、森の

[5] 横浜駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85

横浜駅 (よこはまえき)は、 神奈川県 横浜市 西区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京急行電鉄 (東急)・ 京浜急行電鉄 (京急)・ 相模鉄道 (相鉄)・ 横浜市交通局 ( 横浜市営地下鉄 )・ 横浜高速鉄道 の 駅 である [1] 。

JR東日本と京急の駅は 高島 二丁目に [1] [2] 、東急・相鉄・横浜市営地下鉄・横浜高速鉄道の駅は 南幸 一丁目にある [3] [4] [5] 。

概要 [ 編集 ]

横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる ターミナル駅 である。当駅には合計6社局が乗り入れており、2015年2月現在 一つの駅に乗り入れる鉄道事業者数としては日本最多となっている 。

現在の横浜駅は三代目であり、初代の「横浜駅」は 桜木町駅 に改称され、二代目の「横浜駅」は現在の横浜市営地下鉄 高島町駅 付近にあったが廃止された。

当駅は工事完成前に構内や駅周辺で次々と工事が行われるため、実質1915年に開業してから2015年2月現在に至るまで、一度も工事計画が完全に完成したことはない。このため、「日本の サグラダ・ファミリア 」と揶揄されている [6] [7] 。ただし、これは横浜駅のみに限った傾向とは必ずしも言えない。現在では駅ビルおよび駅周辺の大規模 再開発 事業が進行中( 2011年 〜 )である(詳細は「 #エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画) 」を参照)。

2008年4月から、当駅に乗り入れている4者と横浜市や市民団体によって、当駅の俯瞰図・構内図・広域図・断面図に 点字 を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」が配布されている [8] 。点字のないPR版もある。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

以下の6社局が乗り入れている。JR東日本を除く各社局の駅には 駅番号 が付されているため、その番号も合わせて記す [2] [3] [5] [9] 。

JR東日本 : 各線(後述)

京浜急行電鉄 : 本線 - 駅番号「 KK37 」

東京急行電鉄 : 東横線 - 駅番号「 TY21 」

相模鉄道 - 駅番号「 SO01 」

本線

いずみ野線 (起点は 二俣川駅 であるが、早朝・深夜のごく一部を除く全ての電車が本線を介して当駅発着となっている)

横浜市交通局 : 横浜市営地下鉄ブルーライン - 駅番号「 B20 」

[6] 新橋駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85

新橋駅 (しんばしえき)は、 東京都 港区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京地下鉄 (東京メトロ)・ 東京都交通局 ( 都営地下鉄 )・ ゆりかもめ の 駅 である。

所在地は、ゆりかもめの駅が 東新橋 一丁目、その他の駅が 新橋 二丁目となっている。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

当駅には以下の4社・局の路線が乗り入れている。なお、地下鉄各線とゆりかもめの駅には 駅番号 が付されているため、それも併せて記す。

JR東日本 : 各線(後述)

東京メトロ : 銀座線 - 駅番号「 G 08 」。

東京都交通局(都営地下鉄) : 浅草線 - 駅番号「 A 10 」。

ゆりかもめ : 東京臨海新交通臨海線 - 当駅が起点。駅番号「 U-01 」。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および「 鉄道路線の名称 」参照)が、運転系統としては以下の4系統が停車し、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名で案内されている。

東海道線 : 列車線を走行する東海道本線の 中距離電車

京浜東北線 : 電車線を走行する東海道本線・ 東北本線 の近距離電車

山手線 : 電車線を走行する 環状路線

横須賀線 : 地下線を走行。 大船駅 まで東海道本線( 品鶴線 経由)、同駅より線路名称上の横須賀線に入る

また、 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。

歴史 [ 編集 ]

JR東日本 [ 編集 ]

1872年 10月14日 ( 明治 5年 9月12日 )、当駅 - 横浜駅 (現・ 桜木町駅 )間に日本初の鉄道が正式開業する際に起点駅として開設された( 日本の鉄道開業 を参照)。なお、1872年 6月12日 (明治5年 5月7日 )に品川駅 - 横浜駅間は仮開業していた [1] 。

その後、 1889年 (明治22年) 7月1日 には 東海道本線 が 神戸駅 まで全通し、国土の重要幹線に於ける東京側の ターミナル駅 として、 東京駅 の開業まで重要な役目を担うこととなった。 1900年 (明治33年)に 大和田建樹 が作詞した「 鉄道唱歌 」では、 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」 と歌われた。

現在の駅は2

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567381831229

メモ