石部海上橋

石部海上橋

[1] 石部海上橋

Webページ

[2] 道路レポート , , http://yamaiga.com/road/ookuzure/main8.html

大崩海岸の廃道。

その道路下の岸壁。

そこに、“謎の穴”はある。

もよ〜ん

…無表情ですね。

一見、ただの排水口のようですが…。

なんで、こんな穴に入ろうと思ったのか…。

自分でも不思議である。

こんな法面やら路肩のコンクリート壁に穴があるのは珍しくないが、

今回みたいに「廃道の下」にでもなければ、入ろうなんて思わなかったに違いない。

おそらく、「廃道の裏のウラまで舐め回したい!」という、

オブローダーとしての私の執心が、この穴に身をねじ込ませしめたのだ。

そして始まる…

─大崩海岸 最終章─

2008/2/25 14:04

この穴は、とても微妙な高さに口を開けている。

地面から2mほどの高さで、手を伸ばせば届くけれど、踏み込むのはちょっと大変。

もしもう1m上にあったら、梯子でもなければ入りようが無かっただろう。

私は、しゃがみジャンプでこの穴に入り込んだ。

穴は、初めの1mほどが極端に狭かった。

まさに、匍匐前進である。

しかしそこを抜けると、しゃがんで歩けるくらいのサイズに広がる。

私の興奮も、広がる!

WIDE!

明らかに、上にある道路の路幅よりも奥は深い。

これは、来ちゃったか?!

ある“地下構造物”の存在が、思い当たる。

入口から5mほど進むと、出てきたよ…

煉瓦の山が…。

その山には、たくさんのペットボトルが散乱している。

人が来たのか? …いや違う。

波のしわざに違いない。

…決まりだな。

この穴の素性がはっきり読めた。

煉瓦の出現で、はっきりと。

煉瓦の山の向こう側は、さらに広い空洞だ。

この写真は、煉瓦巻きの部分に入ったところで振り返って撮影。

車道の真下の部分だけ断面が小さくなっていることが分かる。また、出口がさらに狭いということも。

今さら種明かしも必要ないだろうが、この煉瓦の横穴はJR東海道本線の石部隧道へと続くものである。

煉瓦を利用していることから明治期の石部隧道、すなわち明治22年の初代石部隧道開通時か、或いはその複線化工事である明治44年に作られた構造物なのだろう。

それが、後の道路工事によって干渉を受けながらも、今日まで辛うじて坑口を地上へ見せていたのである。

何というものを見つけてしまったのかと、この時ばかりは自分の“オブ運”を、天性のもののように感じた。

カタコンブ…みたいだ。

カタコンブ

[4] 大崩海岸 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B4%A9%E6%B5%B7%E5%B2%B8

大崩海岸(おおくずれかいがん)は、駿河湾沿いの静岡市駿河区石部から焼津市浜当目にかけて続く急崖の海岸。延長は約4km。地名は崩落が多いことに由来する。

[編集] 地理

静岡平野と大井川平野の間に位置する。一帯は高草山山塊の標高100~300mの断崖が駿河湾に面している。

竜爪層群の玄武岩や粗面岩から構成され、海底火山由来の枕状構造がみられる。平坦面はごく一部で、波打際は通行できない。

勇壮な海岸線と、駿河湾ごしに富士山や伊豆半島が見える景勝地として知られ、付近にはホテルやミカン園が点在する。

[編集] 歴史

明治時代には海岸沿いに道があったが、海食が激しく、後に中腹に国道150号が開通した。しかし急崖のため落石や崖崩れが頻発し、防災工事が繰り返された。

1971年7月5日、第5洞門上で土砂崩壊が起こって乗用車1台が下敷となった。これを契機に海上橋の迂回路が設けられた。しかし1978年には静岡バイパスが開通し、当海岸を通らずに静岡と焼津を交通することが可能となった。現在では、旧150号は静岡県道416号静岡焼津線となっている。

鉄道の東海道本線は石部トンネルで付近を通過するが、1887年の建設工事は難航し、落盤事故で12名の犠牲者が出ている。

[編集] 参考文献

角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(22.静岡県)』、角川書店、1982年

[編集] 関連項目

[5] 静岡県道416号静岡焼津線 浜当目トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/toume/main2.html

2017/6/17 16:32 《現在地》

この写真は、前回最後のシーンのほんの少しだけ手前の“クズ”のエリアだ。

これまではこんなにクズが路上にはびこっている場面はなかったのに、末端の予感が近づくこの場所で、急にこうなった。

そして、路上に現れた障害物は、このクズだけではなかった。

無造作な感じに置かれた3台の 木製A型バリケード があった。

真っ当に国道を封鎖していたものではなく、工事現場の一角といった雰囲気だが、それらに取り付けられた太陽電池式の発光器が一つだけ生き残っていて点滅を続けていた。工事関係者さえいなくなってしまった現場で、それは健気な姿だった。

さて、改めて前回最後のシーンだ。

旧道北口から500m。逆算して南口まで残り400mという地点で、前方の道が寸断しているのが見えた。

本当に寸断なのかはまだ分からないが、少なくともここからはそう見えた。

はっきり言えるのは、20mほど先で2車線の路盤が全幅にわたって陥没していることだ。ガードレールも引きづられるように、への字に折れ曲がっていた。

そしてそんな絶対的異常である陥没の縁までの間で私の進路を塞ぐものは、申し訳程度に設置された土嚢の一山だけであった。

それが最後の「understand?」

普段は過保護な道路だが、今はとっくにそんな保護の外にいる。それを実感させられる眺めだった。

先を見たいと逸る気持ちを抑えて、手前にあるものから順に確認していく。

(←)これは上写真の矢印の位置に立っていた、1本の木製標柱である。

正体は工事標だ。工事現場ではよく見るアイテムだが、本来なら完工時に撤去される一時設置物なはずである。

標柱の道路に面した3面に、次のような内容の細かな文字がびっしりと書かれていた。

平成26年災害 (一)静岡焼津線 査定第2号

工事位置 焼津市浜当目地内 申請額1.540.835千円

道路災害復旧工事 復旧延長L=62m 頭部排土工15174m 3 法枠鉄筋挿入工3297m 2

●●●工209本 モタレ擁壁工1376m 3

内容からして、この道を襲った災害に対する「災害復旧工事」の記録物だ。

62mの道路を復旧させる工事に約15億円の工費が予定されていたことが分かる。

また、「頭部排土工」や「法枠鉄筋挿入工」などと書かれている数量は、道路と一緒に被災

[7] 大崩海岸(静岡県道416号静岡焼津線・用宗街道), , https://www.youtube.com/watch?v=6BEqSn3USKo

(トンネル名等のテロップつき)

海上区間があることで知られる大崩海岸付近の走行映像です。

崩れやすい地質の崖が海のすぐ脇まで迫っており、過去に何度か大きな崩落事故が起きています。

石部洞門付近では崖沿いを通っていた洞門が崖崩れにより破壊され犠牲者が出たため、海上へ迂回するコースに付け替えられました。

※映像の最後(10:35付近)に石部海上橋付近から撮影した写真のスライドショーがあります。

※海上橋は7:32付近から

使用機材:iPhone5(映像はトリミングされています)

撮影路線:静岡県道416号静岡焼津線(旧国道150号線) 通称用宗街道

撮影区間:焼津市中港─静岡市駿河区用宗

撮影日:2013-05-24

※トンネルなどの施設名は、以下のWebサイトを参考にしました。

『山さ行がねが』(ヨッキれんさん)http://yamaiga.com/road/ookuzure/

『とりあえずでかけよう静岡』(torideka@shizuokaさん)http://www.geocities.jp/books10002000/reporter/ookuzure.html

Okuzure Kaigan (seashore) road on the sea, in Shizuoka Japan.

May. 24 2013

Google Maps:

https://maps.google.co.jp/maps?saddr=%E7%9C%8C%E9%81%93416%E5%8F%B7%E7%B7%9A&daddr=%E7%9C%8C%E9%81%93366%E5%8F%B7%E7%B7%9A&hl=ja&ie=UTF8&ll=34.905158,138.351839&spn=0.007021,0.006856&sll=34.87437,138.324818&sspn=0.003305,0.003428&geocode=FcQlFAIdWa0-CA%3BFTHeFAIdLDc_CA&brcurrent=3,0x601a460216921979:0xedf27d81350e789d,0&dirflg=d&mra=dme&mrsp=0&sz=18&t=m&z=17

[8] 道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/tpr236_seihou/main2.html

2016/3/4 13:00 《現在地》

船を下りた者達の多くは、島の人が操縦する軽自動車にそれぞれ迎えられ、荷物と一緒に乗り込むと次々と港を離れていった。

その後も埠頭に残ったのは、船と船乗り、その船にフォークリフトで慌ただしく荷役を行う人々、そして、輪行袋から自転車を取り出して組み立てようとする“二人”であった。

写真を撮ることができる道とは違い、あまりはっきりとした記憶がないが、確かここで並んで自転車を組みながら言葉を交わしたのが、 猛悪!たんぽぽ団氏 (ツイッター: @siitake77712 ) との最初だった。互いの上陸目的などの込み入った話はしていない。本当にただこの島での境遇が妙に近い二人が、上陸を祝福し合っただけだった。しかし、彼が気持ちの良い人物であることを理解するには十分な時間であった。

上陸から8分後、私は4時間ぶりに愛車に跨がった。「お先に失礼します」と声をかけて、青ヶ島での記念すべき初漕ぎを果たした。

ちなみにここは九州の長崎辺りに匹敵する低緯度で、これほど南へ足を運んだのも初めてのことだ。3月の頭とはいえさすがに温和で、頬を撫でる程度の海風が涼やかで心地よい。廃道探索向きといえるほどの冬枯れがないことは既に八丈島で理解していたが、単純に自転車日和だと思う。

あおがしま丸が停泊している埠頭を振り返る。

伊豆諸島の他の島々にある埠頭は大型客船が接岸できるが、この港だけはそれができそうにもない短い埠頭である。

とはいえ、さっき海上から見た峻嶮な島の姿を思えば、これだけの平らな場所さえ、他にあるのか疑わしく思えてくる。少なくとも、海岸には他にこの広さの場所はなさそうだった。

そんなささやかな埠頭の広さをあざ笑うかのように広い海。

船の向こうに広がる南海には、真に全くいかなる島影も認められなかった。実際の伊豆諸島はまだ南にも連なっているが、そこに有人島はない。本土から連なる本諸島の島の頻度と大きさは、フィボナッチ数列的に暫減していて、南へ行くほど海が広い。次の有人島は小笠原諸島(父島)だが、さらに600km以上も離れていて果てしない。

聞くところによると、八丈島からはごく稀に本土(の富士山)が見えるのだという。しかし、青ヶ島からは見えたという話を聞かない。

だからこの辺りに本土との隔絶を示す一つの閾があると思うが、それでも青ヶ島

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567337021097

メモ