私が七影隧道の存在(現存するかという話ではなく)を知ったのは、今年の2月20日だった。
その日、シェイキチさんのサイトで初めて、七影隧道は紹介されたのである。
さらに、30年くらい前までは片方の坑口が残っていたという情報も。
氏が語る、七影隧道の失われた現在へと結びつく、僅かな断片。
それらをモニタ越しに掻き集めるように見つめながら、私は、訪問する機会をずっと伺っていた。
狙いは、晩秋、もしくは早春。とにかく薮の薄い時期。
氏の現地レポによれば、夏場は一帯が相当の激藪になっているようで、隧道の捜索は困難だと感じていたからだ。
そして、連日のように東北の高山から初雪の便りが届くようになった11月最初の連休、懐かしい顔ぶれが久々に揃った。
今回の合同調査に参加したメンバーは、右の写真の4人に私を加えた5人。
左から順に、ミリンダ細田氏、くじ氏、謎の自衛官氏、紅一点のトリ氏である。
この写真を撮ったのは中泊町小泊港の埠頭で、ここは小泊磯松連絡林道の起点だった所だ。
現在は近代的な港湾となっているが、今もその一角には大量のヒバ材を積み上げたままの貯木場があって、当時の面影を残す。
我々はここで昼食を摂った。
そしていよいよ、この日の最大の目的、七影隧道の合同捜索へと出発したのである。
レポートの前に、日本有数の規模を誇った津軽森林鉄道網の中での、この連絡林道の位置関係を整理しておこうと思う。
津軽半島の脊梁を中山峠越え(六郎隧道)で攻略した津軽森林鉄道の本線は、山を下って今泉に達すると南北に分かれる。
南下して喜良市(きらいち)を目指すのが本線で、北へ分かれ十三湖北岸を通り海岸沿いの磯松へ達するのが磯松林道(支線)である。
磯松林道は磯松から内陸へ進むが、その途中で更に分岐し、沢伝いに峰越して小泊林道と繋ぐのが連絡林道である。
小泊林道は小泊で終点だが、さらに北へと世にも珍しい海沿いの林鉄が続いている。
このうち、磯松林道と小泊林道は明治39年に軌道として供用されており、明治42年に全線が開通した津軽森林鉄道本線と同時期に建設が進められていた。
これらは県内もとい、日本最古の森林鉄道である。
連絡林道の起源も、序章で述べたとおり大変古いもので、県内最初の林道として明治32年に開設されたという(牛馬道?)。
やがて、七影隧道を掘ることで