キエフ

キエフ

[1] キエフ

Webページ

[2] 世界一深い地下鉄駅はすごくすてきだった - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/170210198763_4.htm

さて、最初の世界一深いアルセナーリナ駅に話を戻そう。そもそも、どうしてこの駅はこんなに深いのか。

「シェルターとしても使えるように深くした」という話もあるそうだが、それにしては小さすぎないか。確かにドームはぽっかりしていたが。

ちゃんと調べてはいないのだが(すみません。言い訳するとほとんどの資料がロシア語・ウクライナ語でして……)、 英語版Wikipedia によれば、キエフを流れるドニエプル川の自然堤防のせいで、この駅の地上部分が盛りあがっているせいだ、とのこと。

(ちなみにチェルノブイリ原発に水を供給しているのはこの川の上流の支流。というか、この川があったからあそこに建設されたわけだ)

[6] セヴァストポリ - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%AA

セヴァストポリ(ウクライナ語: Севастополь セヴァストーポリ、ロシア語: Севастополь セヴァストーポリ、ラテン文字転写の例: Sevastopol')は、人口360,000人の、黒海に面したクリミア半島南西部に位置するウクライナの都市である。首都のキエフとともに、ウクライナの特別市となっている。帝政ロシア時代以来セヴァストポリは軍港都市・商港都市として発展してきた。またリゾート地・観光地としても有名である。ソ連時代に、クリミア戦争と第二次世界大戦での攻防戦の奮闘を讃え英雄都市の称号を与えられた。

現在のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦の海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2045年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。

ロシアとウクライナの政治対立から、セヴァストポリのロシア領土編入を求める運動が、同地に住むロシア人住民によって起きており、両国の対立の火種となっている。2010年以降のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権では対立は沈静化していた。しかし、2014年ヤヌーコヴィチ政権が崩壊したことをきっかけに、セヴァストーポリにもロシア軍が出動した。

歴史[編集]

古代この地にはボスポロス王国の都市ケルソネソス(ケルソン)があり、6世紀に東ローマ帝国の統治下になった後も東ローマ帝国のクリミア半島における統治の拠点、ハザールやキエフ大公国などとの交易拠点としてテマ(軍管区)が置かれ、12世紀のコムネノス王朝時代まで東ローマの領土であった。

12世紀後半に東ローマが衰退すると、その後はモンゴル人のキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、その後裔のクリミア・ハン国などの支配下にあったが、1783年、ロシア帝国がクリミア半島を併合した際、一緒に組み込まれた。その後、重要な海軍基地、商業港として発展してきた。

1853年からのクリミア戦争では、同地を拠点とする黒海艦隊がシノープの海戦でオスマン帝国の艦隊を撃破するなどの戦果を挙げ

[7] ロシア、ニカラグア運河敷設計画への軍政的支援を保証する - News - 政治 - The Voice of Russia, , http://japanese.ruvr.ru/2014_06_06/273242704/

ニカラグア運河の敷設が今年の末に始まる。事前の見積りではこの計画にはおよそ400億ドルを要する見込みだ。

香港のHKND社(HK Nicaragua Canal Development Investment)が主な投資機関となっており、運河の敷設及び利用に関する100年間の利権協定を結んでいる。ロシアは経済的支援に加え軍政的な支援も行う。ニカラグア運河は太平洋とカリブ海とを結びパナマ運河に代替するものとなる。完成した場合パナマ運河の2倍の物資輸送が可能になる。   主な請負・投資機関は香港の企業であるHKND社だが、運河の敷設にあたっては外の国の企業の参加が認められている。その中でロシア政府は敷設を注意深く見守る立場にある。しかし現在ロシアの主な役割はニカラグアの計画に対して軍政的な支援を行うことである。こうした関係でニカラグア政府はモスクワと特別な協定を締結し、その合意のもとロシア艦隊や戦闘機が領海を巡回し敷設を想定される挑発行為から保護することとなっている。現在のところ協定の期限は2015年の上半期一杯までとされている。これに加えニカラグアの領土内にロシア海軍艦隊の拠点が置かれる。西側の報道機関では既にロシアがこの機会を利用しセーシェル共和国やキューバ、ベトナム、アルゼンチンそしてニカラグアに設置予定の軍事基地によってこの地域での存在を大きなものにしようと急いでいるといった誤った報道がされている。これに対してロシア連邦外務省のセルゲイ・ラブロフ外相は次のように説明を行った。  「ロシアが国外に軍事基地を建設することはない。もちろん海賊行為の取締等を行うために艦隊が頻繁に遠征を行うことはある。そのため幾つかの国とはロシアの軍艦が修理や食料・水の補給を受け乗組員に休息を与えるために各国の港に寄港することについて合意がなされている。しかし、アメリカが行っている様に基地を建設するということはない。また駐在先の国の領土で行われたあらゆる蛮行に対して軍人に特権を保証する様なアメリカが締結した協定に似たいかなる協定も結ばれることはない。」   ロシアはただラテンアメリカ地域とのつながりを全面的に強化するだけである。先月ロシアの外務大臣はキューバやニカラグア、チリ、ペルー、アルゼンチンそしてベネズエラといった国々の外相や政府の代表者を訪問、あるいはモスクワに招待している。   

[8] ノヴォロシースク - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AF

ノヴォロシースクは、黒海艦隊の基地として1838年に建設され、1722年以来その地を支配してきたトルコの要塞Sujuk-QaleすなわちSoğucakに取って代わった。1918年8月26日からデニーキン将軍の白軍の重要拠点となったが、1920年3月27日にピョートル・ヴラーンゲリ将軍の指揮によって白軍はクリミアへ撤収した。1942年には、この町はドイツ軍によって占領されたが、1943年9月16日に赤軍によって解放されるまで、ソビエト水兵の小部隊が225日にわたって町の一部を死守した。ソビエト水兵による英雄的な防衛により、市の湾入部を保持し続け、そのためドイツ軍は、補給のために港を使用することができなかった。このことから、ノヴォロシースクは1973年に英雄都市の称号を授与された。

経済[編集]

ノヴォロシースクは、黒海で最も快適な入り江の一つと評価される、凍ることのないツェメス湾に位置する。ノヴォロシースク港は、アジア、中東、アフリカ、地中海、南アメリカといった地域とのロシアの海上貿易に役立っている。

ノヴォロシースクは、産業都市でもあり、鋼鉄、食品そして金属製品その他の製造業に依存している。この都市には、多くの石灰岩の採石場があり、その結果、重要なセメント工場がノヴォロシースクのセメントバレー地域に存在している。

ノヴォロシースク地方は、ロシアの主要なワイン産地の一つである。近辺のアブラウにあるワイン醸造所では、ロシア国内で有名な、高品質のテーブルワインやスパークリングワインが造られている。

教育[編集]

ノヴォロシースクは、国立ノヴォロシースク海事大学とノヴォロシースク工科大学の所在地である。

交通[編集]

ノヴォロシースクは、ロシア、ザカフカース、中央アジアの主だった産業および人口の中心地へと続く、重要な鉄道や道路を有する。

ノヴォロシースク内の公共交通は、バス、トロリーバス、マルシュルートカから構成されている。

姉妹都市[編集]

ゲインズビル、 フロリダ州 (アメリカ合衆国)

プリマス (イギリス)

リヴォルノ (イタリア)

バルパライソ (チリ)

ヒホン (スペイン)

ヴァルナ (ブルガリア)

プーラ (クロアチア)

外部リンク[編集]

[9] ベルギー「研究」記:3月, , http://www.ishi.be/belgique2008-2009/3.html

3月

2009年3月3日(火) :公立美術館, Bibliothèque Chiroux, Histoire politique de la Belgique , Thomas Cook の時刻表

3月に突入。博論提出まであと3週間というところ。いろいろ頂いたコメント・ご批判を受けての手直しもとりあえず終了。後は細かなところの確認・修正。

基本書での確認のためにリエージュの公立図書館( Bibliothèque Chiroux )へ。基本書は公立。開架がなによりも扱いやすい。残念なのは平日は13:00からしかオープンしないこと。

Xavier Mabille の『ベルギーの政治史( Histoire politique de la Belgique. Facteurs et acteurs de changement )』。超基本書だけど版によって表紙の色が違う。こういうのを見ると、どうしても全部蒐めてみたくなるコレクター性格。

第四版(2000):緑色

第三版(1997):青色

第二版(1992):橙色

初版(1886): 灰色

第四版(2000年だけど一応最新版)すら手に入らない。販売元の研究所 CRISP (Centre de recherche et d'information socio-politiques)でも「絶版」。本屋にもない、古本屋でも見ない。こういうのが全版さらりと(開架で)揃っているのが公立図書館。

"APRÈS博論提出" のこともちょっとは考える余裕が出てきた今日この頃。旅。手始めに Thomas Cook の代理店に電車時刻表を買いに行ったけど、店の人はその時刻表の存在を知らなかった…。「飛行機の時刻表?」とか聞かれたり。

素晴らしいお天気な一日でした。

2009年3月6日(土) :国立公文書館, ULC, ULB, TEC, Lijn, Thomas Cook の時刻表, ブリュッセル地下鉄

ブリュッセルの ベルギー国立公文書館( Archives de l'État en Belgique )へ行く。この期に及んで、新しい資料を読むってのはちょっと無謀でもある気がするけど、ちょっと目を通しておきたい。

ついでなので、ルーヴァン・ラ・ヌーヴ経由で。UCLの図書館はやっぱり使い良い。ルーヴァンからブリュッセルにはTECの C

[10] 陸路と海路の世界一周 世界遺産巡り ウルムチからアルマトイへ, , http://karaagesix.blog.fc2.com/blog-entry-51.html

これから国際列車でウルムチからカザフスタンのアルマトイに行く。 アルマトイ行きのチケットを買う時に、22時までにウルムチ南駅に行くように言われたのでホテルを20時過ぎにチェックアウトした。 まだ昼過ぎのようにも感じる。 ウルムチ南駅にはバスで向かう。 バスでの駅までの行き方はチケットを買う時に学習済みだ。 渋滞が激しく、21時頃にウルムチ南駅に到着。 まだ夕食を食べていないので、駅近くの牛肉面の店に行く。 やはり中国の締めは日本人としてラーメンにしたかった。 これが最後のラーメン、特色牛肉面だ。 牛肉以外にも煮込んだ大根や人参等の野菜が入っていて美味しかった。 ウルムチ南駅に戻ると、珍しいアルマトイ(阿拉木?:口構えに冬)行きの表記があった。 駅の待合室はかなり混んでいた。 一つ前の電車を待っている人のようだ。 混んでる場所からどうにか抜け出してビールを購入。 飲みながら待つ。 前の電車の人達が捌けた後、残っていたのは自分とおばあちゃんの二人だけだった。 時間は22 時を過ぎている。 散々北京時間の22時までに来いと言われたのに守ったのは二人だけか。 一旦待合室を追い出される。 待合室の掃除をし始めた。 23時頃になると他の客も集まってくる。 掃除が一段落したのか、待合室に入れる人が出てくる。 自分が待合室に入ろうとしたら荷物の重さを測らされた。 結果は、19.75kgだ。 電車に持ち込もうと待合室内の売店で水やビールをたくさん購入していたのでかなり重くなっている。 重さを測ったということは、荷物の重さによって追加料金でもかかるんだろう。 自分の重さはセーフだったが、もう少しビールを購入していたらアウトだったかもしれない。 電車に持ち込む飲み物を買うのは、荷物重量チェックの後の方が良いということだ。 乗車時間になった。 車両はカザフスタンのものだ。 ウルムチからアルマトイの鉄道は土曜と月曜の週二本あるが、月曜のはカザフスタン車両で、土曜が中国車両らしい。 客車を引っ張るのは赤い和諧号だった。 最後まで和諧号にはお世話になる。 客車はなかなか綺麗な作りだ。 客室が3段でなく、2段ベッドなのが嬉しい。 自分のルームメイトはカザフスタン人のおばあちゃん、カタリナだ。 彼女はクレヨンしんちゃんの靴下を履いていた。 24時過ぎにウルムチ南駅を出発。 さすがにこの時間は真っ暗だ

[11] 香港の団地はやっぱりすごい - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/170310198999_2.htm

この光景についてだけでも語るべきことはたくさんあるのだが(バルコニーのカスタマイズ具合を キエフの団地のそれ と比較するとか)、ぼくが今回気になったのは、ここの敷地の地形である。

中庭の、道路と反対側の出口(南側)はがくっと下がっていて、急な階段になっている。ここでみんな記念撮影していたので、ぼくも撮ってみた。が、団地っ子たちのお気に入りの場所らしく、アー写風になりきれなかった。

このビルがどうして湾曲した形になっているかというと、地形に沿って引かれた道路に沿って建てられたからだ(おそらく)。

その結果、高低差がある場所に建っており、上の写真のように、敷地の一方は崖のようになっている。

さきほど「香港は慢性的に住宅不足」と書いたが、その原因のひとつは平らな場所が少ない点にある。

過日ロンドンで団地に泊まって大満足した ものだが、今回香港でも団地に泊まった。ただし、現役ではなく、団地をリノベして宿泊施設にしている物件だが。

その建物もまた、崖に建っている。

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567281881716

メモ